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まずいスープ
戌井昭人

本当にまずいものって、世の中にそうそうない。でも、これはかなりまずいかもしれない。呑めたものではないスープをつくり、サウナへ行ったきり、父は行方不明になった。俺の家にはモラルがなく、どうにか保たれていたのだが……。冗談ではないが、冗談みたいな人生の可笑しさと人間の愛おしさ。演劇界の鬼才が放つ、新潮流小説。

ISBN:978-4-10-317821-7 発売日:2009/09/30

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波 2009年10月号より

骨組みがゆらゆらなビルは意外に崩れない
柴田元幸


 登場人物の生き方のよさが小説のよさを決めるわけではもちろんないのだが、そうはいっても、「おお、いいなあこういう生き方」と登場人物に好感を抱き、いわばついでに小説にも好感を抱いてしまう、ということは往々にしてある。
 戌井昭人の第一作品集『まずいスープ』は、僕の個人的趣味からいうと、まさにその好例である。
 三つの中篇に出てくる人物たちは、その大半が、かなりいい加減な、雑な、中途半端な、適当な生き方をしている。表題作「まずいスープ」の一家を見ても、父親は家族すら把握していない怪しげな商売に携わっていて、そういう夫が失踪しても母親はこたつで焼酎を飲みまくるだけ……といった按配だし、「どんぶり」の語り手は、アルバイトに行く前に競輪場に行ったら大穴が当たったのでバイトをさぼって実に適当なやり方で金を使いまくり……。
 むろんこういう生き方は、いつの世でも世間ではあまり奨励されない。これら三作のいずれかが中学高校の教科書に採用されそうもないことはほぼ確実である。しかし。人間が自分の仕事を肩代わりさせるために発明したコンピュータというものが、まあたしかにある程度肩代わりしてはくれるのだが、と同時に人間にもコンピュータと同じ速度と精度で働くことを強いている今日、実のところみんな、機械のペースで真面目に働きつづけることに疲れているのではないか(働かないという選択肢をとれば――あるいはとらされれば――それはそれで現今の状況ではもっと疲れるだろう)。実はこういういい加減な生き方こそ、もっと称揚されるべきではないか。少なくとも、こういう生き方をこうやって愉快に書く小説がもっと出てきていいのではないか。小学生の息子にスクーターで買い物に行かせ、息子が警察に捕まると父親が「お前、免許持ってないんだから、警察の目をかいくぐらなくちゃ、駄目だろ」と言うところとか、刑事二人が庭に埋葬されたフナを(ちゃんと墓に向かって合掌してから)スプーンで掘り返すところなど、何度読んでもおかしい。
 本当は、呑気なニッポン人一家に、リンチされたアメリカの黒人たちがさりげなく対比されたりするような箇所にこそ着目し、その批評性を賞賛すべきなのかもしれないが、どうもそういう物言いはこの小説の精神を裏切っている気がする(と言いながら遠回しにそれも賞賛してますが)。
 三作品のうち、芥川賞候補にもなった「まずいスープ」が、人物たちのいい加減な生き方を作品自体が――少なくとも語り手自体が、そしておそらくは作者も――一番ストレートに肯定しているように思える。「世間からみれば、家はモラルも常識もないのだけれど、家族の体裁は不思議と保っていた。それは物凄く危うかったけれど、無理して保っている感じではなくて、骨組みがゆらゆらなビルのようではあったが、意外にバランスがよくて、崩れ落ちたりはしなかった」。「額に汗をかいて、うねるタコに塩をすり込んで格闘している父を見ていたら漠然と、この人はどんなことがあっても大丈夫なんだな、と思った」。
 こうしたアッケラカンとした自己肯定を、今後もこの書き手が続けられればそれはそれですごいだろうと思うし、逆に、この肯定に亀裂が入って、家族というビルが崩れはじめたり、父の大丈夫でない姿が露呈するとすれば、それもやはりすごいだろうと思う。どっちへ向かうにしろ(もちろん、両方に向かってくれて全然構わないが)楽しみである。
 しいてひとつ注文めいたことを書くと、僕は戌井昭人らがやっている劇団「鉄割アルバトロスケット」の公演を何度か見ていて、あのほとんど方法化された中途半端さが大好きなのだが、戌井昭人個人の小説も、登場人物の生き方の次元のみならず、書き方、展開などの次元において、もっといい加減、もっと中途半端になってもいいように思う。でもそれじゃ芥川賞獲れないか。

(しばた・もとゆき 翻訳家)

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