書籍

新潮選書 新潮クレスト・ブックス とんぼの本 全集・著作集 辞典・事典 新潮オンデマンドブックス

明日、アリゼの浜辺で
秦建日子

ため息とともに浮かんだ一言が、様々な人生を少しずつ変えていく。失業寸前のサラリーマン、売れない脚本家、不倫に疲れたOL、離婚を決めた主婦……。出会うはずのない人々をつなぐのは、ニューカレドニアの青い海! 足先をくすぐる柔らかい波が、白い砂浜に運んでくる「小さな奇跡」を詰め込んだとっておきの連作短編集。

ISBN:978-4-10-320841-9 発売日:2009/12/21

立ち読み 書評

1,365円(定価) 購入

波 2010年1月号より

人生は、間違えられるからこそ、素晴らしい

吉田伸子


 秦建日子という名前は、一部ドラマ化された「刑事・雪平夏見シリーズ」(篠原涼子主演でオンエアされた時のタイトルは「アンフェア」)や、『チェケラッチョ!!』(同名のタイトルで市原隼人主演の映画にもなった)で記憶された人のほうが多いと思うのだが、私にとって、秦建日子は『SOKKI!―人生には役に立たない特技』の著者として記憶されている。
『SOKKI!』は、副題が示す通り、「人生には役に立たない」速記サークルに入った一人の青年の物語だった。舞台は八〇年代の早稲田大学。法学部の授業で一目惚れした美少女から勧誘されたサークル「速記研究会」に入った主人公の本多が、その美少女希美を「全力で三年間追いかけた」記録ともいえる物語は、希美を巡る元甲子園球児との恋のさや当ても読ませたし、何よりも速記という特殊技能のディテイルが読ませた。青春小説に速記を絡ませるとは! でもってそれをちゃんと読ませる物語にしているとは! なので、「刑事・雪平夏見シリーズ」もいいけれど、普通小説ももっと書いてくれないかなぁ、とずっと思っていたのだ。
 で、本書である。待ちに待った秦さんの新刊だ。五編からなる連作短編集なのだが、これがもう、実に実にいい。冒頭の「エレベーター」から、最後の「ハッピーエンド」まで、どれもが私が待ち望んでいた物語だ。読み終えた途端、もう一度最初から読み直したくなるほどだ(実際、私は二度読んだ)。
 ここに描かれているのは、ごくごく普通の人々の、普通の人生の一コマだ。会社から早期退職を促され、それでも家のローンや娘の学費があるため、会社を辞められない五十五歳の山口彰男がいれば、プロデューサーにダメ出しをされる、駆け出しのシナリオライターの島本朝実もいる。大学の司法試験のための勉強サークルで先輩に一目惚れした文枝がいれば、二股をかけられているのを承知で男とつき合っている愛子がいる。彼らは勿論フィクションである。けれど、彼ら一人一人の、何とリアルで愛おしいことか。何と身近に感じられることか。
 五編が五編とも、それぞれに味わい深いのだが、中でも冒頭の「エレベーター」が秀逸だ。この短編の“何も起こらなさ”加減がたまらなくいい。物語は、早期退職を打診された山口彰男が、司法書士をしている独身の兄に金の無心をするために出向いた七階建てのそのビルで、女性と二人だけでエレベーターの中に閉じ込められる、というだけの話だ。古いビルなので、時々止まるそのエレベーターが、いつもは一分ほどで再び動き出すはずが、何故か数分経っても動かずに、彰男は間を持たせるために同乗のその女性と会話をせざるを得なくなる。物語はやがてそのエレベーターが動き出すまで、それだけを描いたものなのに、これが読ませる、読ませる。
 何せ彰男は、実の娘から「お父さんってさ、すごく面白い話をしますよ、って雰囲気で、全然面白くない話をするんだよね。そういう時、すごくリアクションに困っちゃう」と評されるようなキャラクタなのだ。その彰男が、見ず知らずの、それも妙齢の美女!と二人だけになってしまうのである。案の定というか、会話はさっぱり盛り上がらない。盛り上がる以前に、噛み合わない、のだ。年も性別も違うので、当たり前といえば当たり前なのだけど、二人に「共通して好きなもの」が見事なまでにないのである。この二人のやりとりが、ゆる~く可笑しい。可笑しいんだけど、何だか温かい。そこがいい。やがて、彰男自身、思いもかけなかった共通事項が見つかるのだが……。
 本書の中で、私が一番好きな言葉を最後に。「人生は、間違えられるからこそ、素晴らしい」
 一人でも多くの人にこの言葉が届きますように!


(よしだ・のぶこ 書評家)

今月の新刊
近刊情報

書籍から探す



発売日順に見る



すべてのジャンルを見る



RSS 書籍の新刊情報


メールマガジン

ベストセラーランキング
おすすめの一冊
映画・テレビ・舞台化作品

コロッケ『母さんの「あおいくま」』

糸井重里 ほぼ日刊イトイ新聞『できることをしよう。―ぼくらが震災後に考えたこと―』

塩野七生『十字軍物語3』

カレンダーと手帳 2012


ページの先頭へ戻る