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復活 アナスタシア
川村カオリ

「こんな思いをする人は少ないほうがいい。だから全ての人に伝えていきたい。そして愛すべき家族にも……。」――2008年10月1日、ブログでがんの再発・転移を告白。病と壮絶に闘いながら、ミュージシャンとして、母として力強く走り続けたその生き様が、いま甦る。ブログにアップされないまま遺された未公開メッセージも収録。

ISBN:978-4-10-322441-9 発売日:2010/01/22

立ち読み 書評

1,470円(定価) 購入

波 2010年2月号より

別れの時刻――闘い、燃え尽きた愛娘へ

川村 秀


 二〇〇九年七月二十六日。病室の時計はすでに夜の十時をまわっていた。明朝、成田を発ってモスクワへ向かわねばならない。文藝春秋の〈『坂の上の雲』と司馬遼太郎〉特集臨時増刊号に掲載される拙稿〈「軍神」広瀬武夫・死の真相〉の最終取材を終える必要があったからである。
 しかし、この時、娘であるカオリの容体は極限状態で、このロシア出張は、カオリとの今生の別れを覚悟しなければならなかった。主治医からも警告を受け、万が一の場合、父親としての取るべき態度は伝えてあった。
 カオリに別れを告げる時刻は容赦なく迫り、三十八年間の思い出が浮かんでは消え、消えては浮かんだ。生まれた時から、大きな目を輝かせて、誰にでも微笑む明るい子だったし、千里のカトリックさゆり幼稚園で礼儀正しいあいさつを身に付けたカオリ――やがて歌手となり、結婚、るちあを出産、そして、亡き母エレーナと同じ乳がんを発病。二〇〇八年に再発・転移するも、歌手活動を続けた。こんな嵐のような人生を送ることになるとは、誰も想像しなかったはずである。
 やせ細ったカオリの背中をさすってやるのが、父親として病室で出来るせめてもの手助けだった。いよいよ別れの時刻が来た。
「カオリ、それじゃ行って来るよ。代わりにママに来てもらうからね……」なかば冗談なかば本気で声をかけ、病室の入り口のドアを開けて振り向くと、ベッドの壁際に身を起して座ったカオリが、じっと無言で私をみつめ、わずかに右手を挙げて別れを告げていた。ドアを閉め、廊下を逃げるように去りながら「これが一番かわいがったカオリとの別れだ」と思うと胸がいっぱいになり、カオリがこの世に生を享けた一九七一年に、七十六歳の生涯を終えた母と同じ別れ方をした日のことを昨日のように思い出していた。母が危篤になった時、会社の配慮で勤務地モスクワから一時帰国を許された一週間、母は奇跡的に持ち直し、モスクワで録音したカオリや妻エレーナの声をカセットで聞かせると、嬉しそうな表情を浮かべてくれた。いよいよモスクワへ帰任する、九月三日、快晴の早朝。荷物を義兄の車に載せ、母の病室に寄ったが、「モスクワに発つ」とは言えず、「また来るからね。元気になって!」と声をかけて去った。九月十一日、会社から弔電が届いた。姉からの手紙によると、母の最期の言葉は「すぐる……三人で……」ということだった。「エレーナさんと、カオリと三人で幸せにね!」と言いたかったのだろう。

 カオリと別れてモスクワに到着。翌七月二十八日は早朝からモスクワ郊外の公文書館へ行くため、目覚まし時計を午前六時(*東京は午前十一時)にセットしたが、不思議にも午前五時半に目が覚め、支度をしていた午前六時五分、ホテルの部屋の電話が鳴った。カオリに付き添ってくれていた知美さんから涙声で「カオちゃんが……」との悲報。三十分前に目が覚めたのは、息を引き取ろうとするカオリの「パパ! カオリ! これから行くよ」という声が届いたのだと今でも信じている。

 カオリの遺骨をモスクワの、亡き母エレーナのお墓の傍らに埋葬できたのは十一月十一日、ロシアとしては暖冬で雪もなく穏やかな日だった。日本から、遺児るちあ他総勢九名が納骨に参加してくださり、感謝に堪えない。一昨年の暮れ、カオリはるちあを連れて、自らが生まれた産院、通った日本人学校、育った家、祖父母の家、私が商社駐在員時代、夏・冬の休暇や週末に車を走らせては家族で過ごした、モスクワの一一七キロ北西にある外交官・ビジネスマン用のレジャー・キャンプを訪れた。るちあの記憶に自分のルーツを覚えさせ、その記録のフォト・エッセイ『MY SWEET HOME ~君に伝えたいこと~』を出版し、残したことは本当に「よくやった!」とほめてやりたい。

 カオリが生まれた一九七一年は、ソ連の全盛期。「日本は帝国主義国で敵国」の教育が国のすみずみまで徹底し、KGBの尾行や密告が盛んな時代だったから、先進資本主義国の駐在員である私と娘エレーナの結婚を認めてくれた両親も偉いが、妻エレーナもよく市民の冷たい仕打ちに耐えた、と感謝している。一九七〇年、私と結婚した時、十九歳だったエレーナは、コムソモール(ソ連共産主義青年同盟)の中央委員会に呼び出され、目の前で同盟員証を破かれ、裏切り者として面罵された由。本当にソ連が崩壊してよかったが、カオリの芯の強さは、子供の時からそのような逆境に負けなかった親・祖父母や暖かく接してくれたロシアの親戚・友人に育まれたのだと思う。一方で、心を許した友だちにとっては、カオリほど頼りになり、楽しく、面白く、なんでも話せる女性はいなかったのではないだろうか。

 今回出版された『復活 アナスタシア』は、カオリの心情を綴ったブログと、常にカオリを支え、励ましてくれた多数のファンの偽らぬ気持を伝え、三十八年を駆け抜けたカオリの人生の記録を、すぐれた写真作家の作品多数とともに集大成した、極めて稀な本に出来上がっている。改めて、この困難な企画をみごとに実現された担当各位に深甚なる敬意と感謝を捧げます。


(かわむら・すぐる 日露文化センター代表)

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