| 波 2006年3月号より | ||||||
「週刊新潮」の五十年を貫くもの 福田和也×早川 清
ライバルは「週刊文春」? 福田 「週刊新潮」の編集長は、五十年間で五人しかいらっしゃらないんですね。 早川 佐藤亮一、野平健一、山田彦彌、松田宏、私とすぐ名前を挙げられます。 福田 「週刊文春」は編集長が三、四年で変わるでしょう。私が業界に入った一九八○年代末からでも、花田紀凱さんから今の鈴木洋嗣さんまで編集長は七人変わりました。あまりに違うのが面白いです。今「週刊文春」をどう見ておられますか? 早川 大分変わりましたね。私は七八年入社ですが、当時の「週刊新潮」は袴田里見という除名された元共産党NO2の内部告発手記をスクープした直後で勢いがありました。世間では「週刊文春」がライバルだと見られていましたが、“え、あそこがライバルなの?”という感じでした。傲慢ですけど(笑)。部数的にも圧倒していましたし、取材でも同じテーマで競合して負けた記憶はありません。 ところが、いつの間にか部数も追いつかれ、抜かれてしまいました。今ではむこうが、“え、「週刊新潮」がライバル?”と思っているのではないでしょうか。 福田 いや、「週刊文春」の方もすごく気にしていると思いますよ。やはり、両方とも文藝出版社が出している週刊誌ですし、似ている部分は多い。 早川 確かに、「週刊ポスト」「週刊現代」とははっきり違っていますし、一番似ているのは「週刊文春」かもしれません。 福田 『「週刊新潮」が報じたスキャンダル戦後史』では、前編集長の松田宏さんが、「取材のやり方から、連絡の仕方、狙いをつけた相手と確実に会う手法まで、その仕事のレベルの高さと厳しさは、それまでいた女性誌の世界とは明らかに違っていた」と書いていますね。 早川 なにしろ、「おさわりバー春」と「強姦新潮」などといわれましたから(笑)。入社した頃は、先輩記者は厳しくて怖くて、うかつに声もかけられない。取材の報告をすると、“おまえ、何やってたんだ。これもあれも、ぜんぜん取材してないじゃないか”と怒鳴られっぱなしでした。 取材記者のプロ意識 福田 取材のスタイルで、どこか特徴的な「週刊新潮」流があるんですか? 早川 私は会社に入るまで週刊誌というものをほとんど読んだことがありませんでした。新聞は正しくて週刊誌はいい加減という漠然としたイメージがあっただけです。ところが、入社して新聞記事を一つの事件で読み比べてみると、住所とか細部が違っていることがある。つまり、どこかの社の記事が間違っているわけですね。正直、ショックでした。 一方で、「週刊新潮」が真面目に取材をしていることに驚いた。妙な先入観を持っていた私にとっては、こちらも大ショックでした(笑)。入社してしばらくして、先輩記者二人と尾道へ行き、二十代の若者が警官に撃ち殺された事件を取材したことがあります。戸外で画を描いている青年に警官が職務質問したら、小さな果物ナイフを持って飛びかかったのでいきなり射殺した。さて、悪いのはどちらか。 警官側と若者側に分かれて取材してゆくんですが、面白いことに、だんだん自分の担当している側の肩を持つようになるんですね。データ原稿を送り終わって、夜呑み始めると、先輩記者二人が、どちらが正しいのか議論をはじめる。酒の勢いもあって延々ケンカみたいな調子でしゃべり続け、最後は翌日もう一回ぜんぶ取材し直そうという話になった。真実を確かめようとする記者のプロ意識を目のあたりにして、圧倒されました。 福田 新聞とは態度が違う取材法ですね。 早川 記事スペースの問題もありますし、新聞のスタイルの中では掘り下げた取材を反映するのは大変だと思います。 福田 抜いた、抜かれたというスクープ合戦は気になりますか。どれだけ神経をすり減らしているかは、週刊誌にいたことのある編集者からも仄聞していますけれど。 早川 それは、やはり気になりますね。取材内容で負けたり、ネタで負けたり、“ああ、やられた”と思うとやりきれません。今年、「週刊文春」の編集長から頂いた年賀状にも、「木曜朝の新聞広告をみるのがツライです」と書いてありました。 福田 紙面上で広告は並ぶ場合が多いですから、比べればすぐ分かりますよ。やっぱり、「週刊文春」が一番気になりますか? 早川 「ポスト」「現代」は発売日が違うので、同じレースを走っているという気がしません。「文春」とは、お互いに同じコースで一○○メートル競走をしている感じです。どちらが勝ったかがはっきり分かるメディアですからね。 福田 「ポスト」「現代」の場合、社員記者の人があまりいません。基本的に社員がテキストを書かないというカルチャーが小学館、講談社にはあって、違いを感じます。 早川 そうですね。「週刊新潮」も昔はフリーの記者が中心でしたが、ある時期から社員記者が中心になりました。新入社員でも配属されれば取材をして、現場で学びながら育って行きます。 福田 書き手にとって、新潮社、文藝春秋で仕事をすると、編集者の方が練達の書き手である場合があるので、油断できません。締め切りギリギリで、空白を自力でなんとかしてしまおうとか考えそうな方を前にすると、また別種の緊張感を持ちます。 齋藤十一のDNA 早川 創刊五十周年を迎えて、『「創刊号」完全復刻版』など五冊を記念出版します。「週刊新潮」の大きな特徴は、やはり創刊時に中心となった齋藤十一という重役の考え方が、DNAとして五十年後の今も色濃く残っていることではないでしょうか。「週刊新潮」の編集長は五人だけという話が出ましたが、結局誰がやっても同じなので、会社も変えるのが面倒だったんじゃないかと冗談で言うくらいです。 福田 齋藤さんは、文藝雑誌の「新潮」の編集長をされた後に、「週刊新潮」の創刊に携わるわけですね。インタビューで佐野眞一さんに「人間は誰でもひと皮むけば、金と女と名誉が大好きな俗物です」と話したそうですが、これは身も蓋もないけれど、まことに文学的です。ほとんどバルザックの世界観ですし、綺麗ごとの思想でないところが核ですね。早川さんは、齋藤さんとは何度ぐらい話されたことがありますか? 早川 トイレでご挨拶するような数秒の接触を除きますと、たった一回だけです。亡くなられる五カ月ほど前、常務の石井昂と二人で鎌倉の御自宅に伺いました。当時私は「新潮45」の編集長で、齋藤からは毎月、雑誌についての厳しい感想の電話を頂いていました。 御自宅で二時間ほど、鎌倉の小料理屋さんで二時間ほどの会合でしたが、いきなり「君たちは何を考えているんだ。おれが稼いだ金をジャブジャブ使って」と叱られました。当時新潮社はさまざまな新雑誌を出し、文藝とは違うジャンルも模索していた時期だったんですが、「もう新潮社は下品になった」と仰る。「新潮45」も、「ドブに片足を突っ込んでいる。どうせ売れないなら、高級なものをつくったらどうだ」と。すごい威圧感のある人で、帰ってからドッと疲れが出ましたね。 福田 昔の契約記者の方が、定年後にすぐ亡くなるというエピソードが『「週刊新潮」が報じたスキャンダル戦後史』に紹介されていて、週刊誌の激務ぶりを少し実感しました。 早川 やはり、週刊誌というメディアの中で燃え尽きるんだと思います。 福田 齋藤イズムは、明確に方法論化されたスタイルが伝承されているんですか? 早川 はっきりとした形はないです。しかし、記事の方向性、特に「人間」をきっちり書き込んでゆくという部分を記者に求めることで、齋藤イズムの伝承が行われる。きれい事を書いたら許しません(笑)。「時評」拡大版で福田さんに書いて頂いたホリエモンにしても、朝日、日経が持ち上げて時代の寵児になっても、決して評価しない。“金で人間の心が買える”などと言う男がマトモなはずがないと。 福田 ホリエモンを持ち上げたマスコミの責任は重いですが、「文春」はブレても、「週刊新潮」はずっと一貫していました。 早川 最初から虚業家という位置づけで、最後はやっぱり墓穴をホリエモンと(笑)。 福田 今のマスコミはバブル再来歓迎という雰囲気です。しかし、株の上がり下がりで毎日一喜一憂するような下品な記事を「週刊新潮」では見たくないですよ。 果たして敵に勝ったのか? 福田 雑誌の人間味が齋藤さんだとすると、文章の方は野平さんが厳しく吟味されたそうですね。他誌とは違う、明確な文体のある、テキストとして通用する文体は野平さんが作ったと考えていいんでしょうか? 早川 私が入社した頃は、もう野平が文章を徹底的に直すことはありませんでしたが、ずっと現場を見ていたのは野平ですから、太宰治の担当だった編集者が「週刊新潮」の文章のスタイル全体を作り上げたことは確かだと思います。 福田 幸田文の傑作「流れる」の連載を担当している時に、突然週刊誌に異動を言い渡されて困ったというエピソードが「『創刊号』完全復刻版」で披露されていますが、文藝批評家としてにわかに信じ難い。 早川 私は逆に、野平があまり違和感も感じさせず十七年も編集長を務めてしまうところが面白いと思いますね。今回、創刊当時のスタッフを取材しましたが、記者も情報源もないという本当のゼロから出発した苦労と、生涯を振り返って「週刊新潮」創刊という仕事に携われて幸せだったという思いが異口同音に語られていて、改めて姿勢を正しました。 福田 「『創刊号』完全復刻版」を読んで、新潮社らしい編集だなと感じたんですが、一番面白かったのは営業・宣伝・広告、そして大日本印刷や運送の方の話まで取材していることです。創刊当初の売れ行きは連載小説次第だったそうで、柴田錬三郎が載るか載らないかで三万、四万部数が違った経緯など、隔世の感がありますね。 早川 創刊当初は連載小説が最大の売り物だったようです。特集は方法論の模索が続き、三年目くらいに、「私は死神から逃れた」という記事が載ります。全日空機が羽田から名古屋へ飛ぶ途中下田沖に落ちた。記者は乗客名簿ではなくキャンセル名簿を入手し、助かった人の人間ドラマに焦点を当てて取材したんですね。ケガの功名的な部分もあるのですが、亡くなった人の家族ばかりを取材した報道とは切り口が違う、人の生き死にが劇的に変わる有様を初めて記事にして話題を呼び、特集の方向性が決まりました。 福田 『「週刊新潮」が報じたスキャンダル戦後史』にある西山事件にかかわる手記「私の告白 蓮見喜久子」は、すごく面白い。どんな小説家のフィクションでも太刀打ちできないような迫力です。一九七四年の記事ですね。 早川 あの時代は、新潮ジャーナリズムの黄金時代で、外部との闘いも激烈でした。日教組、国労、動労、創価学会、朝鮮総連、みんな強い時代で、こちらもどんな組織とも正面からぶつかって激烈な闘いをできるだけの活力がありました。 しかし、いつの間にか敵対していた多くの組織が時代の流れと共に弱体化していった。敵に勝利したのか、敵を失ったせいで「週刊新潮」が一時期活気を失ってしまったのか、とても微妙ですね(笑)。 「黒い報告書」と「墓碑銘」 福田 今、私も連載させて頂いていますが、今回も『黒い報告書』『昭和の墓碑銘』と二つの連載が刊行されました。週刊誌の中で連載物はどんな位置づけになりますか? 早川 山口瞳さんの「男性自身」や山本夏彦さんの「夏彦の写真コラム」など、名物コラムもありましたし、私は「黒い報告書」シリーズが好きでした。別冊で出そうと考えたのも、文学と事件の接点に当たる読み物という意味で、「週刊新潮」を象徴しているという強い思いがあったからです。「黒い報告書」は、記者時代に地方へ行ったら、警察で大人気だったんですよ。 福田 へえ、そうですか。 早川 事件は警官にとっておなじみの世界でしょう。でも、みんな“あの黒い事件簿ですか”という調子で、「黒い報告書」と正確に言う人は一人もいない(笑)。 福田 印象が読者の中に別の形で結晶しているということは、強いじゃないですか。 早川 四年半前に編集長に就任した時、中断していた「黒い報告書」の復活だけはやりたいと考えていました。ネックは、プライバシー問題なんです。昔の記事を読むと、実名でセックスシーンが出てきますし、それを仮名にしたくらいでは裁判の山になってしまう(笑)。そこで、事件の骨格だけを残し、事件現場を移すことにしました。大阪で起きた事件を福島に変えるなどして。そして、小学生の頃から「黒い報告書」にハマっていたという岩井志麻子さんをはじめ、有名作家にも登場して頂くようになりました。 福田 岩井さんが登場すると、突然、岡山が犯罪多発地帯になるのですね。「黒い報告書」という枠は作家にとって魅力的ですよ。自分の名前に気づいてもらえない場所で勝負したいわけです。元気のいい作家ほど腕をふるいたいと思う欄でしょう。 早川 『昭和の墓碑銘』になった「墓碑銘」は、私も五年間担当して、苦労しました。お通夜の日に黒いネクタイで入りこみ、ご主人を亡くした未亡人に問わず語りに一時間くらい話を聞いたりします。親族の人に見とがめられて、“あいつ誰だ!”ということも日常茶飯事でした。 福田 名刺は切らないんですか? 取材対象が読者である場合だと、ある緊張関係になるだろうなと想像してしまいます。 早川 名乗りはしますが、遺族は耳に入るような状況ではないんでしょう。それにしても、お葬式の取材は嫌なものです。特に事件、事故関係の時はなかなか家に入れません。周りをグルグル回ったり、たばこを吸ったりして時間をつぶし、これ以上遅いとデスクに叱られるという刻限になって初めて呼び鈴を鳴らし、怒鳴られて帰ってくる――ということは記者の誰もが体験しています。 福田 『昭和の墓碑銘』を読んで、元陸軍参謀の参議院議員・辻政信氏のご家族が何度も失踪したインドシナに探しに行き「家屋敷を売り払った」とか、黒幕・矢吹一夫氏の晩年はみなお付き合いを切れなかったとか、かつて興味を持ち調べた人について知らなかった事実がありました。 早川 亡くなった方にごく近いご遺族など、「墓碑銘」に限り取材に応じて下さる方がいるんですね。 週刊誌というタイムカプセル 早川 最後になりましたが、週刊誌の功罪について伺いたいと思います。 福田 「黒い報告書」、「墓碑銘」と並び、「クラブ」欄もこれまで二度本になってはいますが、ぜひ全部復刊して頂きたいですね。物書きのネタの宝庫です。 出版社系の週刊誌というメディアは、時代の推移を見るための第一級資料だと思います。「週刊新潮」の記事を読むと時代の息吹が伝わってきます。五十年分の歴史が積み重なっているというのは、すごいことですよ。昭和史を書く場合でも、「週刊新潮」創刊以前と以降では全然違います。「週刊新潮」が出た後は、事件があるごとにさまざまな層からコメントを取っていて材料が多くなります。 歴史を記述する場合でも、新聞を見て拾ってゆくような手段しかありません。昔の人は、日記や回想録を書く人が多かったので、それらをつなげていって歴史を組み立てるわけですが、文藝系の出版社の週刊誌は一種のタイムカプセルで、時代史の層が厚くなりますね。週刊誌というメディアは別の歴史を作るわけです。映画でたとえれば、八ミリからシネスコープへの変化ほどの精度の差で迫ってきます。今回まとめて刊行された四冊の本を読むと、歴史の生の声が聞こえてくるような気がします。 早川 ありがとうございます。功罪の罪の部分もお願いいたします。 福田 「プライバシー」侵害(笑)。 私の場合は「噂の眞相」に書かれて迷惑しましたが、「週刊新潮」に醜聞を書かれた人は誰でもたまったものではないでしょう。連載筆者だから安全などとは滅相もない話で、単にニュースバリューの問題だと考えています。人権の問題、あるいは公私の別の問題となると、文学の側から考えれば小説のモデル問題などが複雑にからんでくるので、一言でお答えするわけにもゆかず、やはりノーコメントにさせて下さい(笑)。 (ふくだ・かずや 批評家)
(はやかわ・きよし 「週刊新潮」編集長) |