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つばくろ越え
志水辰夫
売りは秘密厳守とスピード――あえて難路を選び単独で列島を横断する脚力、火急の金品を守り抜く状況判断力。修羅場をくぐった男たちを束ねる蓬莱屋には、そこを見込んでの注文が絶えない。時は風雲急を告げる幕末、行く手を阻む影に目を凝らしながら、峠を越える男たちの物語四話。シミタツ節は何故こうも新鮮なのか!
ISBN:
978-4-10-398605-8
発売日:
2009/08/21
1,785
円(定価)
波 2009年9月号より
憎たらしいほど見事な書きっぷり
吉野 仁
志水辰夫が時代小説に挑戦して三作目。『つばくろ越え』は、その新たな魅力が十全に発揮された一冊となった。
今回、主人公をつとめるのは、飛脚である。江戸時代、各地にある継立地まで一区域ごと運んでいくのが主な飛脚問屋に働く者の仕事だった。だが、ひとりの人間が他の助けを借りず目的地まで運んでいく“通し飛脚”専門の者もあったという。ときに大金を懐に抱えて、その送り届けをしなくてはならない。悪い連中に襲われないよう本街道を避け、あまり人の通らない間道を選び、険しい峠を越えるという、きわめて過酷な仕事となったようだ。
本作は、江戸は神田の元岩井町に店をかまえる蓬莱屋で働く飛脚たちが主人公をつとめる連作集である。彼らの大半は、“通し飛脚”の者たちだった。道中、何事もなく無事に手紙や荷物を運ぶことができれば、それに越したことはない。しかし、時と場所を選ばず、やっかいごとはふりかかってくる。
表題作の「つばくろ越え」の主人公である仙造は、もっぱら江戸と新潟湊との往復に明け暮れていた。そんな道中、破れ茣蓙を身にまとい、岩のしたにうずくまっている子どもを見つけた。名は巳之吉。十兵衛という男とともに巡礼していたらしい。隣に寝ていた十兵衛は、すでに亡くなっていた。仙造は、近くの舞川村に巳之吉をあずけた。そして春になって仙造は、あにき分にあたる弥平に教えられたつばくろ越えを果たし、ふたたび舞川村にやってきた。仙造は、巳之吉を使って、失われた大金を見つけようとしたのだ……。
剣客ならぬ健脚稼業の飛脚たちが人知れず厳しい道中を走り抜けていく。おそらくこれまで誰も取り上げたことのない題材なのだろう。しかも、江戸の市中ではなく、地方の名もない村が舞台となっている話が少なくない。それぞれの土地の景観、季節、時刻、月の満ち欠けなどがていねいに書き込まれているせいか、臨場感あふれる描写となっている。さらに一癖も二癖もある“訳あり”の人物が次々に登場するだけに、まったく予断を許さない話運びだ。
また、著者による時代小説の前二作『
青に候
』(新潮社)と『みのたけの春』(集英社)同様、明るく爽やかな印象がある。時代小説に手を染めるまでの著者は、どちらかというと“時代に取り残されてしまった”男たちを書いてきたのではないか。忌まわしい過去にとらわれ、悔恨の思いを胸に抱く男たちが、いまふたたび冒険の旅に出て、もういちど自己を取り戻そうとする物語である。本作でも、そうした無念の思いをふたたびはらそうとする者が登場する話はあるものの、むしろ“飛脚”という仕事を天職と思い、与えられた任務をできるかぎりまっとうしようという男がもっぱら主役をつとめている。どの話にも前向きな潔さが感じられるのだ。
さらに著者は、時代小説を執筆するにあたって、明治以降に生まれた表現をできる限り排して物語を描くようにしているらしい。また文章の改行の間合いが、全体にゆったりした感じだ。そのせいか、まるで音読しているかのように、一文一文がすっと頭に入ってくる。そんな柔らかい文章がもたらす読み心地の良さも本書の大きな特徴だろう。もちろん主人公に危機が迫ったり、激しい立ち回りをしたりする場面は、緊迫感のあるきびきびした文体で語られていく。かと思えば、ときに著者ならではの、とぼけた調子が顔をのぞかせる。剛柔、硬軟、緩急とりまぜて楽しませてくれるのだ。
とくに「つばくろ越え」の最後十行ほどで見せる、絶妙な言葉の使い方にほれぼれした。その場の情景や人物の表情が一行ごとに変わっていくではないか。それまでの緊迫した場面が、ぱっと反転し、おかしみのある結末へと収まっていく。憎たらしいほど見事な書きっぷりなのである。
本書には、劇的な話があわせて四つ並んでおり、いずれも読む者の情をゆさぶり胸をつく物語ばかり。しかも、読み終えて、どことなくほがらかな気持ちにさせてくれる。だれもが満足できる連作集だろう。志水辰夫の愛読者はもちろん、これまであまり時代小説を手に取ったことがなかった方にも強くお薦めしたい。
(よしの・じん 文芸評論家)
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