「私は立ち止まらないよ/私は水たまりの絶えない路地を歩いていく」。新しい詩集はこの二行からはじまります。新鮮な詩を生み続ける著者に、本書の読みどころ、創作の秘密について、旧知の編集者から踏み込んだお話を伺っていただきました。
山田 この前の詩集『私』(二〇〇七年、思潮社)には、ぼくは好きな詩が多かったんですね。ところが、今度この『トロムソコラージュ』を拝見して、びっくりしました。詩の形がすっかり変わりました。長編詩ばかり六篇ですね。
谷川 そうですね。
山田 どの詩もとても長いんです。で、それぞれの詩には特有な物語性が隠されています。長編詩というのと、物語性というのが特徴で、それが一つになってこの詩集の魅力になっていると思いました。こういう詩は初めてですね?
谷川 まあ、長い詩はいくつかありますけど、ストーリー性があるのは初めてかな。
山田 まず思ったのは、谷川さんって不思議な詩のつくり方をしますね。「あとがき」に、長い詩を書こうと決めてからいくつか書いたとあります。『minimal』(思潮社、二〇〇二年)では、最小のことばで詩を書こうと決めてから、いろんなタイプの短い詩を書いています。ことばの数とか、詩の形を決めてから詩が書けるんですね?
谷川 フィクションで書いても、詩にはやはりどうしても自分の生きていることの根っこみたいなものが入ってくると思うんですね。内容と並んで僕の場合、大切なのは詩の形ですね。僕の二番目の詩集の『六十二のソネット』(創元社、一九五三年)というのが一番典型的なんだけれども、あの頃は、のべつまくなしにことばがあふれ出て来たんですね。それを、とにかく無理やり四、四、三、三、のソネット形式一四行で、一〇〇篇近く書いたんです。何かそうやって容れ物が決まると安心して書けるみたいなところがあるんですよ。作品として自立させるということの第一歩として形があるんだと思う。
山田 今回は、なぜ長編詩という形になったんですか?
谷川 僕はまあ抒情詩と言われるものを書いてきて、叙事詩という存在がずっと気になっていたんですね。長い叙事詩が書けないかなと思って来て、英米のバラッドという形にもあこがれていたわけですよ。で、その叙事詩的ないしはバラッド的な詩を書きたいという願望が潜在的にあったと思います。今度の場合は、なんとか二〇〇行ぐらいはとか、一種の強迫観念で書いているところはあるんですけどね。自分としては、叙事詩にはなっていないという感じですけど。
山田 でも、そうやって突然長い詩を書こうと思って書けるわけですか?
谷川 とにかく相当無理やり書いていっちゃうわけですね。すらすらすらっと書けるわけじゃないですよ。
山田 なんとか二〇〇行ぐらいはとか、無理やり書いてとか、やっぱり不思議な書き方だと思います。(笑)
谷川 そうかなあ。(笑)
山田 長編詩には、それぞれに性格のちがう物語性が仕組まれています。ぼくがすごく気に入った「この織物」についてうかがいます。これは、映画の作りを生かした物語ですね。
谷川 そうですね。
山田 谷川さんの詩って、これまではある空間をさっと切って、そこに込められている真実性をとらえるという性格だったと思います。これは空間的なシーンを幾つも重ねて、愛の物語になっています。
谷川 一貫した筋があるのは自分としては珍しいと思います。
山田 物語となれば、登場人物がいりますね。まず、谷川さんみたいにことばを信じていない映画監督。それから若い女性のシナリオ作家があらわれて、妻が絡んできて、それからもう若くなくなったシナリオ作家の若い恋人も最後に登場する。それだけの登場人物がいて、物語が進んでいくわけです。人物の設定、心理の変化、事件の進行、そういうものに緻密な計画と計算がはたらいたんでしょう?
谷川 それが全然ないんですよ(笑)。訊かれると本当に困るんだけれど。
山田 それはないでしょう。ちょっとシナリオ作りの苦労を言ってくださいよ。(笑)
谷川 (笑)どんなに無計画で書いているかということが、我ながらよくわかりましたよ、今の話を聞いていて。でも、物語って書き出すとそれ自身のダイナミックスで動いていくところがあるじゃないですか。最初は、とにかくテントの中で盲目の年寄りが織物を広げているというイメージしかないんですよ。書いているうちに、何かそれがシナリオのオープニングシーンであるというふうになっちゃったりして、そうすると若い女性のシナリオライターが出てきて、あ、そしたら監督も出てきたみたいにして、本当に意識していないで出てくるんですよ。
そのうち何故か奥さんなんかも出てきちゃうわけ。そうやって書いているうちに、僕にも、映画監督がガンであることがわかるわけですよ(笑)。だから、自分が書いているんじゃないような気がするんですね。つまり言葉が書いているというか。
山田 えー、もうそんなんで、お金もらえるのかなー?(笑)
谷川 (笑)だってジャズのアドリブで、みんなすごいお金取っているじゃないですか。
山田 まず老人が織物を盲目の目で見るシーン。次が、シナリオライターと監督が撮影所で打ち合わせをするシーン。第三は、妻が監督の若い時を回想しているシーン。第四は、死が迫った監督の病室シーン。第五が、監督の死後シナリオライターが見る舞台の夢。最後は、シナリオライターが、街路に突き出たテラスで監督をしのんで泣く名シーン。シーンの転換が凝っていて非常にうまいですね、この作品。
谷川 本当? ぼくは、そういうのは時々組詩の中でもやっているし、それから子どもの芝居とかラジオドラマを幾つか書いているじゃないですか。お芝居の中でもちょこっとやっているんですが、そういう次元の転換というのが好きなんですね。何かそのことで奥行きを出そうみたいな意識がちょっと働くんだと思います。
山田 シーンが転換する度に、世界ががらっがらっと変わって、ドラマは深まって行きますね。シナリオの構造はそうなっています。最後の名シーンはどう演出したんですか?
谷川 最後に、若かりし頃シナリオライターだった女性が、何か自分が昔書いたファーストシーンを思い出して泣くなんていうのは、全然予想してなかったんです。
山田 ぼくは、演出がすごくうまいと思いましたね。シナリオライターが、テラスでワインを飲みながら監督のことをあれやこれや思い出している。すると、監督がかつて抱えていた心のうちにどんどん近づいて行ってしまうわけです。「声を立てずに泣き始めた女を/年下の恋人はなすすべもなく見守っている」。この最後の二行が生きましたよ。
谷川 生きましたか?
山田 バーンと生きましたよ。だって読者は、谷川さんのシーン転換に乗って、どんどん気持ちは女性に集中してきているわけです。で、カメラは女性に向けられているから、女性の顔に大きい感情がうねるのを目をこらして見ていますよ。
谷川 ありがたい読者だなあ。
山田 (笑)だから、ぼくはこういう作品がなんとなくとかで、するするとできちゃう谷川さんの詩の書かれ方っていうのがちょっと気味が悪いですね。
谷川 左脳じゃなく右脳で勝負してますからね。(笑)
山田 物語性の魅力ということでもう一つ、「臨死船」。死というのは最近の谷川さんの言わば最大のテーマで、死を見つめて書いたいい詩がいくつもあります。ところが今度は、ついに死出の旅の船に乗り込んじゃったわけです。そしてルポルタージュをしてくれました。報道の物語ですね。
谷川 そうそう、それをやりたかったんですよ。つまり、自分が死ぬとどうなるのかしら、死んだ後どうなのかしらとかね、死ぬまでのプロセスはどうなのかしらみたいな好奇心が出てきて、チベットの「死者の書」のDVDを見たり、いろんな臨死体験の本を読んだりとか、数年間そういうことを時々やってきたわけです。やはり興味があるんですよね。一種楽しみになってきているというか。それで、何か臨死を実況中継したらどうなるのかしらみたいに思ったわけです。
山田 これも書き出すと、結構すいすいと書けちゃったわけですか?(笑)
谷川 これは、行ったり来たり結構苦労しました。(笑)
山田 でしょう? だって、だれも行ったことないわけですよ(笑)。でも、三途の川を見たり、迷彩服の男たちが船にどやどや乗り込んできたり、上空で元人間の鳥が飛んでたりとか、臨場感のあるルポになりました。(笑)
谷川 何か一種臨死のリアリティみたいなものを失わずに、楽しいお話をつくりたいというところが、どこか意識としてはあったんだと思いますね。
山田 ここのところ、谷川さんの人のとらえ方っていうのが結構変わってきたと思うんですね。以前は、今ここに生きるという実感から、生活者として身につまされるという詩が多かったんですね。生活世界に住む者として谷川さんの詩に共感するという読者は多かったと思います。
谷川 と思いますね。
山田 ところが最近の谷川さんは、そういう生活空間を超えて、前世もあり死後もあり、過去・現在・未来を自由に往来するぞ、みたいな時空で人を描く作品が増えてきました。魂が生きる時空と言っていいでしょうね。この「臨死船」という作品もそうですね。そういう新しい詩についてはどうお考えですか?
谷川 自分ではそんなにきちんと対象化して、自分の詩の変化っていうのを考えることはないんですけれども、でも振り返ってみると、自分の詩というのはやはりその時々の生活のことを結構反映しているなというふうには思いますね。それがもしかすると、ぼくの詩を読んでくれる人たちに、何か一種のリアリティを感じさせて読まれているんじゃないかなと思っています。
山田 そうですね。谷川さんの詩は、よく美辞麗句と言われるけれど、読者が共感するのは、そういうことばを生み出す生活感のリアリティの方ですからね。
谷川 だからうんと若いころは、青春そのものみたいなリアリティで書いていて、そこに恋人が登場して、それから結婚して、子どもができてみたいな生き方とか生活とかを、自分の詩を年代順にずっと並べてみて比べると、詩との間に確かに照応するものが出てくるんですね。だから老いと死というテーマなんかでも、やはりここ一〇年ぐらいの間に、いやもっと前からかな、うちの母親が認知症になった頃からだんだん老いというものを意識しなきゃいけなくなってきて、もうずっと続いているわけじゃないですか。それがどんどんどんどんリアルになって、日常的になってきてるわけですよね。初めは一種抽象的、観念的だったものが、もっと何か身についてきたと言えばいいのかな。それでこういう詩が書けてきているんだというふうに思います。
山田 やはりそこは、今谷川さんが切りひらきつつある詩の世界ですね。
谷川 常に限界はあるわけだけれども、自分なりに何か楽しく死にたいわけだから、自分なりのイメージをつくりたいっていうのがあったと思うんですね、きっと。それが作品になれば、読者とそれを分かち合えるみたいな感じがあるんです。
山田 そういう魂みたいなものを感じているのは、詩人だけではありません。
谷川 そうそう、みんな同じですね。
山田 この詩集の、今日はとりあげなかった「トロムソコラージュ」「問う男」「絵七日」「詩人の墓」の四作も魂のことをうたっています。いずれも死生の問題にふれているんだけれど、この頃の谷川さんのユーモアは味が深いから、明るくてきれいな詩になりました。谷川さんらしい新しい詩が誕生したと思います。
谷川 そう言ってもらえるとうれしいです。
(たにかわ・しゅんたろう 詩人)
(やまだ・かおる 編集者)