波 2006年5月号より

博士の愛した「イケメン」

勝谷誠彦『イケ麺!』

水道橋博士


 私はTBSラジオの昼番組『ストリーム』のワンコーナー「コラムの花道」を毎回愛聴している。そして勝谷誠彦氏は、このコーナーのレギュラー・コメンテーターの一人である。
 昨年末、この放送のベスト・コラムを選ぶ仕事を受け、丸一年分、二百五十回の全てを聞き直した。
 時事ネタの裏事情に精通した勝谷氏の語り口が、その時々に於いて鋭利なばかりではなく、俯瞰で見ても一貫してブレが無く、予見性に満ちていることを再確認させられた。
 さらに、その舌鋒は「コラム」と言うより、「カラム」(絡む)が如く挑発的であり、私は、この機会にラジオにおける勝谷氏の仇名を「喋る時限爆弾」「赤坂の火薬庫」と名づけたほどに、今やメディアで最も物騒な語り手なのである。
 この時事ネタの料理人に特長的なのは、徹底的な現場主義であることだろう。
 素材の仕込みは現地調達。ベースの味付けは「事実」に即し、市井の人々の「まっとうさ」から丹念にダシをとる。さらに古き良きマチズモ(男らしさ)とも言えるスパイスが効いている(かつて戦火のイラクや竹島に潜入するコラムニストがいただろうか?)。そして一見、厚顔に見せかけるが、隠し味は「含羞」だ。
 この『イケ麺!』に於いても“コ麺テーター”として大真面目に麺を「道」として語り、山に分け入り、ローカル鉄道を乗り継ぐ“電車男”ぶりに、また男らしさを感じないではいられない。
 それは、私には「イケ麺=イケMEN」が単なる語呂合わせではなく、意図した隠喩に感じられるほどだ。
 そして、紀行文という日本全土に広げられた地図の上に、職人の人生の起伏を描き、濃淡を際立たせる。
「麺」を語るだけでも、まさに茹で上がったばかりのような熱が伝わってくるのは、多忙な日々のなか、一切の効率を拒み、労苦をいとわない取材で記したものが、現代の“お手軽な”グルメ文化を批評する“ドキュ麺タリー”になっているからであろう。
 さて、勝谷誠彦氏の現在の神出鬼没な多面体的活躍にもかかわらず、本人の肩書きは、あくまでコラムニストである。
 コラムニストの定義は様々だが、鹿島茂先生によれば、読者にとって「感性の連帯保証人」であることが、優れたコラムニストの条件だ。
 その意味では、勝谷氏の仕事に対し、私自身が、言いたくても言えないことの代弁、つまり数々の精神的借りを感じることからも、そのコラムは長くクセになる味わいを持っている。
 さて、冒頭に挙げた、ラジオを熱烈に信奉しているのは、私だけではなかった。
「週刊文春」3/16号には、小林信彦氏が、「この原稿を書くのは、毎週水曜日の午後なのだが、困ったことに、午後二時からTBSラジオの番組に評論家の勝谷誠彦氏が出るのだ。それも『ストリーム』の中の一コーナーだから、短いのである。しかし、ぼくは必ず聴く」と連載コラムに書かれていた。
 小林信彦氏こそ、私を含め、多くのコラム好きの人生を伴走してきた、感性の連帯保証人であるだろう。
 そして小林信彦ファンにとって、氏の生活習慣にある昼間のラジオは文化放送と知られていたので、この文章を意外に思うと同時に、個人的に感慨を抱いた。
 三十四年前、小林信彦氏が中原弓彦名義で書いた『日本の喜劇人』(晶文社・現新潮文庫)は、まだ無名の雑誌編集者であった小林氏が、劇場を訪ね歩き、その舞台を実地に見聞し、徹底した現場主義で書かれた日本のコメディ研究の魁であった。
 初版の出版は、昭和四十七年のことである。
「あの本を読んでから背中を押されるように俺は浅草に行ったんだよ」
 ある酒席で伝説の真偽を確かめたくて聞いた私の質問に、師匠のビートたけしはこう答えたのである。
 その一言によって、私の小林信彦氏への想いに、さらに恩義が加えられた。何故なら、もし北野武が浅草へ行かなければ、ビートたけしも、当然、その弟子の私もいなかったのだから……。
 その“キング・オブ・コラムニスト”の小林信彦氏が書いた「ぼくは必ず聴く」の一節は、芸や味の伝承と同じく連綿と受け継ぐべき次代のコラムニストへのエールでもあるのであろう。

 紙数も尽きたが、これは書評ではない。もはや面識がなくとも私が愛する心の「イケメン」への恋文ではなかろうか。
 今後、私は勝谷誠彦氏を、私の「アイドル」ならぬ「ヌードル」と呼ぶことにしよう。


(すいどうばし・はかせ 漫才師)