波 2001年12月号より

〔対 談〕
鈴木光司/小谷真理
ファンタジーの新しい展開

■ファンタジーって何? ■『クロニカ』における死の問題
■愛嬌ある小説『しゃばけ』 ■ファンタジーの潮流



 日本ファンタジーノベル大賞は、来年より矢川澄子さんに代わって文芸評論家の小谷真理さんが選考委員になられます。今回は選考委員の先輩である鈴木光司さんと今年の受賞二作品とファンタジー小説の未来について語り合っていただきました。

鈴木 これからよろしくお願いしますね。
小谷 こちらこそ、ふつつか者ですが。
 でもちょっと楽しみなんです。
鈴木 選考委員としてですか。
小谷 というか、最終候補作を全部読めますから。私はいつもこの賞の選評はなめるように読んでいたんですよ。大賞と優秀賞は出版されるけど、他の候補作は読めないじゃないですか。選評を読んでああ、こういう作品もあったんだなって、ちょっと気になるのもあって。
 ファンタジーノベル大賞って、ある種文学性というか、格調が高い傾向をどの方も持ってらっしゃいますよね。
鈴木 賞ができた十三年前、僕はすぐ飛びついたんですよ。自由に想像力を飛翔させれば、どんな小説を書いてもファンタジーの要素が入ってきてしまう。この賞はいいところに目をつけたんだ。だから未知の人材をそれだけ取り込むことができた。
 小谷さん、過去の受賞作って全部読んでるの。
小谷 ええ、全部読んでいます。
鈴木 すごいな。
小谷 私が書評を始めたときに、ちょうどこの賞が設立されたんです。一番最初の仕事が「SFマガジン」だったんですけど、その第一回目の書評がこの賞の第一回大賞受賞作、酒見賢一さんの『後宮小説』。それで私、何か運命的なものを感じてしまって。ファンタジー好きだ好きだと思っていたら、光栄なことに第一回目で扱うことになってしまって、何て間がいいんでしょうと周りに言ってたんですよ。
 五年間ずっとそこでファンタジーの書評をやり続けてたんですけれども、その当時は湾岸戦争とか、ベルリンの壁が崩壊したりとか、国際情勢が大きく変わった時期だったんですね。それは今に至るいろいろな問題のプロローグみたいな感じなんですけれども、ファンタジーの質がちょっと変わったかなと思った時期だったんです。例の『悪魔の詩』の著者のラシュディの死刑宣告で、日本でも翻訳者の方が殺されましたけど、ファンタジーとして書かれた『悪魔の詩』が現実のものとしてとらえられちゃうということに驚きましたね。ファンタジーって怖しい力があるんだと思った。現実世界に影響を及ぼしちゃうんだっていう……。
鈴木 個人が現実に歴史を変えたのと同じようなものですよ。
小谷 昔だったら、きっと物語化することで現実の憎悪とか天変地異とかを鎮めよう、鎮めようとしていたのに、逆に何かの封印を解いてしまったみたいな感じがあの頃あって、本当に怖いなと思ったんですよね。
鈴木 もう本当に選考委員になるためにいたようなものですね。
小谷 偶然ですけどね。
鈴木 この偶然は、でも大きいですよね。

■ファンタジーって何?

鈴木 小谷さんの『ファンタジーの冒険』(ちくま新書)を読んで感じたんだけども、最初の頃は、ファンタジーの定義って乱暴だったんですね。現実的な表現に重きを置かない文学すべてをファンタジーとしていたんだよね。
小谷 リアリズムとは違うものは全てファンタジー、そういう感じでしたね。昔はリアリティというのがわりとはっきりしていたので、ちゃんとファンタジーとリアリティが分かれていたみたいですよね。
鈴木 文学的な価値みたいなものも、低く見られていたんですか。
小谷 やっぱりリアルを描くということに近代小説って価値を見出していたようなところがあった。ただ最近は、幻想性の考え方とか、物を創ったり、物を書くことについての考え方が変わってきたところがあるので、ファンタジーも昔に比べて子供向きとか、ただの好事家のオモチャとか言われるようなものではなくなってきた。
鈴木 僕は谷崎潤一郎の作品が好きですけれども、初期の頃の短編には非常に幻想的なものがあるんですよ。そういうのって、あの時代としたら斬新だったんだろうなと思うんですよね。川端康成の『みずうみ』とかもそんなところがあって、あの人たちはやっぱりすごい作家だなと思うのは、ファンタジーや幻想的な要素を、作品の中にうまく取り入れることで、妖艶さやリアリティを出しているという気がするんですよ。もし仮に現実の風景をそのまま表現するんだったら写真が一番ベストですよね。でも人間が想像力を働かせてその情景を描いたときには、どうしても現実でないものが出てきてしまう。その現実と非現実の境目のあたりに、僕は文芸というものがあると思うから、小説の中のファンタジー的なものというのは、実は小説書いていれば絶対出てくるはずだと思うんだけどね。
小谷 本当ファンタジーって何かなと考えたときに、難しかったですよ。それで、いろんな方のいろんなファンタジー論とか読んでいたら、もう言っていることが皆さん……。
鈴木 バラバラ、でしょうね。
小谷 しかもジャンルが多岐にわたっちゃっているんですよ。
鈴木 そうでしょう。だって僕なんて小説イーコル、ファンタジーでいいじゃないかと思うもの。
小谷 だから、ああ、複数の中心があるなと思って。この賞が始まるときに、「波」でアンケートをやったんですよね。あのときのアンケートが面白くて、いろんな方が、これがファンタジーだと思うという作品を挙げていたんです。
鈴木 もう、全部挙がっちゃうでしょう。
小谷 そう。みんなバラバラなんですよ。
鈴木 大江健三郎さんの作品あたりも挙がってくるでしょう、もちろん。
小谷 ちょっとでもフワフワとした現実的でない部分が入っていると、何でもファンタジーって入れちゃうんですね。
鈴木 僕、最近太平洋戦争をテーマにした小説を書いていて、日本の歴史をもう一回おさらいしているんですが、例えば「古事記」なんていうのはこれは完全なファンタジーですよ。神話の世界で。
小谷 あれ、生々しい世界ですよね。
鈴木 「古事記」を編纂させた人間というのは、すごいなと思うんですよね。ああいった伝承、それこそ今年の大賞受賞作、粕谷知世さんの『クロニカ』みたいなもんですよ。まだあの頃って書き言葉がなかったから。
小谷 いろんな伝承があったのを……。
鈴木 たとえば、「古事記」でいえば、記憶力に優れた稗田阿礼が読み聞かせて、太安万侶が書き留めた。言葉というものが中国から入ってきて、日本語ができてきて、そしてしゃべり言葉という格好で伝わっているものをちゃんと書き残そうというふうになったわけでしょう。「古事記」の上巻はほとんど架空の話だよね。下巻あたりから現実になってくるんだけど、神話時代は架空の話で、ファンタジーもいいところ。
小谷 ですよね。いきなり神がたくさん登場して、お料理するみたいに島を造るんですよね。
鈴木 ファンタジーというものの中には神話も入ると思うのだけれども、「聖書」だってそうでしょう。あれが実は陰に陽に世界の歴史と絡んでくる。「古事記」が日本の歴史に影響を与え、皇国史観の拠り所となったように、書かれた言葉はパワーを持つ。
小谷 今度の同時多発テロみたいな、現代の戦争にまで影響を及ぼすって、すごいですよね。
鈴木 だから僕はその意味で、今回の『クロニカ』というのはとっても面白く読めたんですよね。文字を持つ民と、持たない民との対立……、いい着眼点なんです。

■『クロニカ』における死の問題

 大賞受賞作『クロニカ 太陽と死者の記録』は、「文字なき」巨大文明・インカ帝国が、「文字の神」カトリックによって滅ぼされてゆくという文明の衝突の歴史を、死を超越した木乃伊が信仰に悩む少年に語りかける、感動の大作です。
鈴木 日本だって、書き言葉のあった時代となかった時代とがありました。その過渡期には、支配階級が書き言葉を運用できた層であって、被支配階級が文字を知らなかったという気がするんですよね。とにかく着眼点がよくて、僕自身も非常に考えさせられた。
小谷 村の老人のような木乃伊たちがいっぱい出てきて、自らの生きざまを語る。結局言葉に残さなければいけないというのは、死んでしまうからだと思うんですよね。
鈴木 書き言葉にね。それがなかったら彼らの存在が本当に消滅してしまうわけだ。
小谷 この作品は、死の問題を冷静に洞察していると思った。ファンタジーって結構、不死とか死のテーマが根底にあるような気がするんですよね。
鈴木 「死」とは一種の抽象概念です。死の意味は書き言葉による記述と、考察の繰り返しを経ないとわからないわけでしょう。
小谷 だから、書き言葉のないインカで死なない人たちがミマーダの形でずっとそれを口伝で伝えていくっていう、ああいう世界が成り立つんでしょうね。
鈴木 カトリックを「文字の神」と捉えた着想も見事だね。「神」というのは世界共通の概念なわけでしょう。つまり神という概念と言葉という概念は不可分なんだ。
 それから、あとがきでこの作品を書いた動機に触れているけど、これを読めば粕谷さんが作家としてしっかり大地に根を伸ばしているのがよく分かる。
小谷 一連の受賞作って、わりとドーンと構えて大きな世界をつくっているものが多いですよね。気宇壮大なスタンス。
鈴木 そうですね。小説を書くなんて、やはり自分で自分の世界をつくってしまうようなもんですから、『リング』だったら、『リング』の中でしか通じない決まりごとってあるわけですよ。これはもう現実の世界とは重ならないですよ。だって見た人間を一週間後に殺してしまうビデオテープなんて、現実にあるわけないですからね。
小谷 ありそうなところが怖しいんですけどね。
鈴木 でも僕のこのつくり上げた世界の中では、それが存在するんだ。作家というのは、自分の独自の世界をファンタジーでつくり上げちゃうわけですよ。そして、その世界を読者が共有できれば、読者はある程
度面白がってくれる。でも書き手が創り上げた世界に読者が入ってこれなかったら、その小説はやはり読者には伝わらない。その点から言うと、細部までしっかりと構築して世界をつくり上げてもらいたい。今回の最終候補作を読んでいて、それを持ち得なかった作品もあったから。世界をつくり上げようとしているのはわかるけれども、そこの世界に僕は入れないんですよ。
小谷 入り口がないというか、接続しにくいみたいなことかしら。インターフェイスを何とかしてくれみたいな。
鈴木 小説世界の入り口へ連れてこられ、無理やり押し込まれたら、やっぱり強いですよ。読者の方は、何だこんな世界もあったのかって驚きに満ちて、読書でなければ得られない至高の体験を積むことができる。自分が知らなかった世界なんだから、こんな面白いことはない。最初に入り口に連れてくるだけの力があるかどうかが肝心なんだけど、今回の受賞作の二つにはそれがあった。
小谷 『クロニカ』は、もう一行目からバーンと来ましたね。そのまま飲まれて、アッという間に読んじゃったって、そういう感じ。珍しいですよね。文章に人をひきこむ力がある。
鈴木 しっかりしていますよ。
小谷 読み手をつかんじゃうんですよね。
鈴木 『クロニカ』って、感覚的にはガルシア=マルケスの『百年の孤独』に近いと思うな。
小谷 そうですよね。だからあの時代のつかみ方、民族の時間の流れ方とか、それから口承の持っていたもの、文字に対する信仰の問題とか、一歩間違うとナショナリズムの問題とされてしまうような事々を、微妙なところまで、非常にうまく扱っているじゃないですか。
鈴木 『クロニカ』の作者は好きなんじゃないかな、ガルシア=マルケス。

■愛嬌ある小説『しゃばけ』

 優秀賞受賞作、畠中恵さんの『しゃばけ』は、大店の身体の弱い若だんなが、身の回りにいる妖の助けをかりて連続殺人事件に立ち向かう、江戸を舞台にした軽妙洒脱な作品です。
小谷 受賞した二つの作品はどちらも時代を遡った歴史世界を扱っているんですけど、スーッと入っていける。『しゃばけ』も不思議な作品ですよね。妖と一緒に住んでいる虚弱な少年には秘密があって……えっ、こんなのマジみたいな。
鈴木 その秘密にしてもね。
小谷 ステレオタイプ外れてますね。
鈴木 秘密というのは、主人公の少年が夜、家の人に内緒で外出する理由のことだよね。それにしても、どう見てもこれは好きな女の子ができて逢引きに行きそうなところなんだけれども……。あれはこのキャラクターにしかない絶妙の外し方だね。
小谷 いいですよ、あれは。
鈴木 若だんなを取り巻く環境とか、登場人物のキャラクターとか、これまでの小説にない味わいがある。ちょっとした仕掛けを積み重ねることでちゃんと入っていける世界になっているんだよね。
小谷 手代に身をかえ若だんなについている二人の妖との関係が、またすごくおかしいんですよね。
鈴木 愛嬌って、やっぱり大事ですね。この小説には愛嬌がある。
小谷 『しゃばけ』は本当にかわいらしい作品ですね。

■ファンタジーの潮流

小谷 これは『ファンタジーの冒険』でも書きましたけれども、マジックリアリズムっていうスタイルがあるじゃないですか。もともとはドイツの二十世紀初頭の現代画家たちのちょっと特殊なスタイルのことを指していたんですが。これがのちにラテンアメリカ文学に使用されるようになる。現実世界を描いているはずなのに、何か夢想的な形をとってしまう。西洋上代の作りあげた「リアル」の形をなにか問い直すようなスタイルなんです。今はラテンアメリカ作家だけではなくて、北米マジックリアリズムと言って、それが拡大しています。高密度の情報化社会、高メディア世界、ハイテクノロジー、多民族多文化主義の要素が、リアリティをゆるがしていて、それを描いていくことによって逆にリアリズムこそ巧妙につくられた物語だったんじゃないかと問いかけてくる。リアリズムという西洋偏重の世界観に対して、自分たちの個性を主張していく、そういうスタイルをあらわす言葉になっているんですね。北米マジックリアリズムって、これはすごいムーブメントなんです。九○年代に強く出てきて、今ではそういうところからオルタナティブな歴史性を見ていくという一種の文化運動が世界文学の潮流に入っていると思うんです。だから、『後宮小説』を読んだときに、えっ、日本にもマジックリアリズムがあったんだというインパクトを受けましたね。
鈴木 そうか、そうするとやはりファンタジーが世界文学的なものになるというのはもう当然の流れなわけね。
小谷 本賞のファンタジー作家の人たちの世代も若いでしょう。北米マジックリアリズムの潮流もわりと若い世代なんですよね。自分がマイノリティだったりとか、テクノロジーとかシミュレーション文化、コピー文化で旧来の現実観がガタガタに揺らぐような強烈な体験をしている作家たちが、ある種の現実世界のつくっている強い虚構性に対して疑問を持った末に、マジックリアリズム的な、歴史そのものにファンタジーを絡めていくようなスタイルを選んでいる。そういう流れの中に、日本のファンタジーノベル大賞というものが入っているような気がするんです。私たちの感覚だと、ガルシア=マルケスもファンタジーの感覚でやっぱり読んじゃうんじゃないですか。ウンベルト・エーコもね。ああいうのをもっともっと読みたいなと思っているんですよ。

(すずき・こうじ 作家)
(こたに・まり 文芸評論家)

▼粕谷知世『クロニカ 太陽と死者の記録』、畠中恵『しゃばけ』は、いずれも十二月刊

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