| 波 2007年10月号より |
佐々木 譲『警官の血』(上・下) 井家上隆幸
三十年前に移り住んだ世田谷の一角は、八百屋も魚屋も毎日御用聞き、勘定は大福帳という古い仕来りがそのまま残っていて、その旧さにみあうように交番ではなく駐在所もあった。いまは息子や孫の代になって、仕来りはくずれたけれど、駐在所はまだある。数年前、わけあって昵懇になった駐在所のおまわりさんに、「いずれは本署勤務だね」といったら、「いや、なろうことならずっとこのままいたい」と笑っていた。 時代は戦前だが、ぼくの父親も岡山県から兵庫県と十数年駐在所勤務で、姉と弟二人妹一人それにぼくもみんな駐在所生まれで、出生地はみんなちがう。早世した妹の子二人もひきとっていた父は、病弱だった母の負担があまりに多すぎることもあってか、このままではどうにもならぬと、巡査部長試験を通って本署の刑事になったそうな。 そもそも父が警官になったのは、長男でもないのに両親の面倒をみなければならなくなったからで、そのあたりは敗戦直後、職がなくて“でも・しか”警官になった安城清二と似ている。『警官の血』の「第一部 清二」を読みながら、ぼくはそんなことを思い、ぼくとおなじように警官の息子だった寺山修司が、「警官の子は、親の後を追って警官になる子と、逆らってアカになる子にわかれる」といったのを思い出していた。 寺山修司のいうように逆らい、五〇年代前半は父がかつての同僚から「いまのままじゃ就職はできんぞ」と警告される「アカ」になったぼくは、清二の同期で公安の刑事になった早瀬勇三(清二―民雄―和也、安城三代がかかえるミステリー部分を背負う)にリアリティを感じ、安城清二が、「民主主義の英雄」という願いをこめて名づけた「民雄」が、北海道大学の「正規」の学生として新左翼、それも赤軍派に潜入しプロヴォカトールとなることに、自分はアカになってよかったと思いもした。 佐々木譲は、駐在所のおまわりさんを“天職”とした安城清二と、同期の香取茂一、窪田勝利に戦後警察の「光」を体現させ、凄惨な戦争体験をひっかかえてついに“復員”できぬ早瀬に、その「影」の部分を歩ませ、民雄―和也とつないでいくことで、その「光と影」が逆転し、戦前の「天皇の警察官」意識がもちこされ、その「光と影」が逆転していく「警察の戦後史」をえがいた。 昭和二九年か、「死んだはずだよ、お富さん」という唄が流行ったとき、ぼくらは「これは戦犯の復活を唄った」といったものだが、「戦前」が衆庶の気分をとらえているいま、『警官の血』は、「警察の戦後史」を超えて、八・一五のハードルを超えて「継続」したものはなんであったか、「断絶」できなかったのはなぜかを考えさせる重さをもっている、とぼくは読んだ。もしぼくが「蛙の子は蛙」であったなら、ぼくは「清二」であるよりも「早瀬」になったのではないか、逆らってよかったと「自己弁護」しながら、である。 (いけがみ・たかゆき 評論家)
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