| 波 2003年4月号より |
佐藤智恵『ゼロからのMBA』 安倍宏行
MBA、第三次ブームなんだそうだ。なぜ? このデフレ不況と関係でもあるのか? 私と同じ放送業界にいた著者は、七ヶ月ほどの準備で難関コロンビア大学経営大学院に合格。経営学修士を取得し、戦略系コンサルティング会社に就職する。二十七歳の著者がふと、人生を変えてみたい! と思いついてチャレンジし、そして大きなチャンスをつかんだ。本書は単なるMBA攻略本ではない。ごく普通の、MBAとは何の関係も無かった一人の女性が、いかにして人生に自由をみつけたか、その過程を率直に描いたいまだかつてない一冊である。 MBA……かつて確かに流行った。今から二十五年くらい前、かくいう私も海外留学を狙っていた。当時私が勤めていた会社(日産自動車)は毎年アメリカやヨーロッパに留学生を送っていたので、MBA取得者は社内にごろごろいた。しかしその頃、日本企業の中に、MBA取得者や大学院帰りの活躍の場は皆無といってもいい状況だった。仕事は留学前と何も変わらず、給料も据え置き。むしろ「遊んできた分、泥臭い仕事をやってもらおうじゃないか」というのが大方の日本企業の雰囲気であったから、ほとんどがそれに嫌気がさして、外資などに転職してしまった。やがてバブルが崩壊し、日本企業はMBA留学生派遣を大幅に削減するか中止してしまった。 そして、現在。MBAはもはや商社や官公庁からエリートが派遣されて取るというモノではないことがわかってきた。この十年で日本には圧倒的に外資系企業が増え、金融やコンサルティング業界などでMBA取得者の活躍の場は間違いなく広がった。MBAを正当に評価してくれる企業が増えたことが、MBAブームに再び火をつけたようだ。そう、MBAを取れば、誰でも自由に転職できるマーケットが整ってきた、ということだ。 「私、一体、何をやりたいんだろう」著者は自らの二十代を「迷走」と表現、「『自分探し』をしていた」と分析している。誰しも通過する儀式のようにも見えるが、著者が違ったのはMBAに出会ったこと、そして、それに賭けてみようと思ったことだ。 MBA受験には予備校なるものがあるという。履歴書、課題エッセイの書き方から、志望校の選定まで、実にシステマティックに指導してくれるのにはただただ驚かされる。厳しい指導の甲斐があって、著者はめでたく合格したものの、さて次は休職か離職かの判断を迫られる。NHKは結局、彼女の休職を認めなかった。多くの日本企業は、従業員が会社派遣ではなく私的留学を希望する場合、休職を認めないので、結局その人は会社を辞めざるをえない。これは大変な人材の損失だ。その人は自費ででも留学して会社に戻ってきたいと言っているのに、それを拒否する事ほどばかげた話は無い。むざむざと人材を流出させているに等しい。 留学先のニューヨークでは、様々なシーンでのトラブルの連続だ。そして、英語による交渉、説得の嵐。世界で最も競争が激しいニューヨークでの学生生活は面白くて一気呵成に読ませる。授業では、案の定、日本人の特性である優柔不断、自己主張のなさで悪戦苦闘するものの、友人らに助けられ、見事にハードルを一つ一つ越えていくさまは感動的ですらある。 よくMBAは「経営者としての一般教養講座」と揶揄されるが、コロンビアのキャンパスで著者が得たかけがえのないものとは、実は学問ではなかった。著者は言う。「世の中で本当に価値のあるものは、モノではない。モノは廃れ、いずれ無くなる。目に見えないものこそ、私の人生の永遠の財産となる」と。世界中に散らばった学友たち。いずれ勝るとも劣らぬ秀才たちとのネットワークが将来大きな力となりそうで、羨ましい。それこそが一番の財産であることは疑いの余地が無い。 ニューヨーク・ヤンキースの往年の名捕手であるヨギ・ベラの「When you come to a fork in the road, take it.」という名言にもあるとおり、人生の転機を自ら選び、そして進んでみた者にこそ未来は微笑む。MBAを取る事だけが人生を変えるわけでもない。しかし、「何かやりたいけど、あと一歩が踏み出せない」。そんな人に本書は間違いなく勇気を与えてくれるだろう。 (あべ・ひろゆき フジテレビ報道局「ニュースジャパン」キャスター)
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