波 2007年4月号より

宿命と形質の相克の物語

最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』

後藤正治


 ショートショートを主舞台にSFの大家であった星新一を描く評伝である。大部で精緻な、おそらく星新一にかかわるものとしては決定版と思える評伝である。さらに、戦前から戦後にかけての日本製薬史、星の生きた時代のSF文壇史という色彩も併せもっている。
 ノンフィクション作品は常に〈動機〉と〈方法〉が作品の背骨を決めていく。それが揺るぎないとき、あるいは必然であるとき、作品は比例して豊かなものとなる。
 前者について、著者の最相葉月は中学生時代、星の愛読者であったこと、サイエンスに取り組むなかで星を再読していったことを挙げている。後者については、星が残した創作ノートなど「百箱以上の段ボール箱」に遭遇したことを挙げている。動機と方法に不足はなく、さらに時間をかけた周辺部への取材は執拗であり、秀作の誕生は当然ともいえよう。
 読了し、さまざまな感想がよぎるが、もっとも残るのは、人のもつ本源的な形質というものである。星製薬の創業者・星一の後継者として育ち、当人もそれを受容しつつ、会社経営は人・星新一にとっては所詮、埒外のことであった。
 戦後、苦境に陥った星製薬の処理に追われつつ、星はそば屋の二階で細々と行なわれていた小さな集まり、「日本空飛ぶ円盤研究会」なる会に顔を出す。
「星、といいます。仲間に入れてください」
 差し出された名刺、「星製薬株式会社取締役副社長 星親一」(本名)を見て、会員たちは驚く。
 滑稽でもあり、哀感の念さえ憶える。いかなる血を引き、いかに教育されようとも、人間というものは体内奥深くに宿すDNAが指し向ける方向以外、本来的な興味を抱くことはないのだということ。星は温厚であり、抑制的であり、多分に常識人でありつつ、このことだけはどうすることもできなかった。本書の主題を、宿命と形質の相克の物語として読むこともできる。
 さらに残るのは、創作の苦しみである。
 字のごとく、ショートショートは短い物語であるが、そのなかに、起承転結、奇抜な発想、ブラックユーモア、余韻などを盛り込んで一編の完結品としなければならない。短い物語は、読者にすれば、才能ある作家がさらさらと書いているのだろうと思いがちであるが、さにあらず。星は七転八倒してショートショートを書き込んでいた。
 家族が寝静まった深夜、壁に「内閣告示当用漢字表」を貼りつけた部屋で、童顔の中年男が、Bの鉛筆を握り、歩き回り、煙草を吹かし、構想が落ちてくるのをひたすら待っている。小さな字で下書きをびっしり埋めつつ、繰り返し書き直しては懊悩している……。そんな労苦の果てに、読者を楽しませる“軽妙な”作品群は生まれていったのである。
 その晩年、SF大家として名声を得つつ、星は創作の泉の枯渇に苦しんだ。それでもなお枯れつつある泉を掘り起こして前に進もうとする姿は胸を打つ。人の人生とは普遍的にこのようなものであるのだと思う。
 そうして眺め直してみれば、著者が星新一と格闘したわけにあらたな思いが湧く。
 星はストーリーをつくる屈指の才を宿していたが、個々の人間の情念的なものに目を向けることは不得意とした。その意味でいえば生来のサイエンティストであり、叙景的なる人であった。ある部分、著者の最相の持ち味と重なっている。『絶対音感』『青いバラ』を経て『星新一』に至るのは必然であったのだろう。さらに、いま書き盛りの著者にとって、創作に呻吟する星の姿は我が身と重ね合わせる影絵のように映ったのではあるまいか。
 星新一という深山に立ち入り、その背後に潜む父・一の生きた時代にさかのぼり、さらにSF界という連山をさまよい歩きつつ、あたう限りの取材を通して描かれた評伝ノンフィクション。おそらく最相葉月の代表作となるであろう本作品は、動機と方法に加え、自身との必然的な重なりを得て誕生したのだろう。


(ごとう・まさはる ノンフィクション作家)