波 2007年5月号より

[船戸与一『満州国演義』刊行記念]

だれも書いたことのない満州を

船戸与一『風の払暁―満州国演義1―』
    『事変の夜―満州国演義2―』

船戸与一


――船戸さんが日本の歴史を正面から描かれるのは、『蝦夷地別件』からじつに十二年ぶりですね。今回は久々の日本、それも満州を材に取って、船戸作品の中で最も大きなスケールを持つ小説が刊行されます。

船戸 日本のものはとにかく資料が多いからね。それを読み解くのにとてつもない時間がかかった。『蝦夷地別件』が、日本の中に、日本の民の中にという意味で、国家論が芽生える瞬間を描いた作品だとすると、『満州国演義』は、日露戦争、第一次大戦を経て、日本の中で明治維新の残光が消える瞬間を描こうと思ったんだ。
 従来の満州を語る姿勢を分類すると、ひとつは、ロマン説。新しい国家というのをまっさらに作り上げることの魅力だね。もうひとつは、侵略説。この二つの溝はとても埋められるようなものじゃない。どういうふうに満州国が出来上がっていったのかを語ること以外に解答はないんだ。ロマン説であろうが侵略説であろうが、意義を語るだけでは何の解決にもならないので、具体的な内実を語ることが必要だと思った。だから、断片的な事例や論を語るのではなく、これで満州の全てが丸ごと分かるような作品を書きたかった。

――主人公の敷島四兄弟は、長男の太郎が外交官、次郎が馬賊の長、三郎が陸軍将校、四郎が無政府主義に傾倒する早大生と、まったく別々の視点で満州をめぐる情勢に関わっていきます。兄弟たちが異国の地で出会い、別れ、人生が交差するたびに満州をめぐる情勢も動いていく、という絶妙な構成になっていますが、このような人物設定になさった理由はなんでしょう?

船戸 太郎は、官にしか分からない情報を握る人物。当時の一般市民が知るすべもないような情報を官であるがゆえに知っているという立場として。今日であれば明らかにされている情報でも、当時は閉ざされていたからね。次郎は馬賊。物を盗ったり、人を誘拐して金銭を奪ったりしていた「緑林の徒」と呼ばれる小さな馬賊の長で、シナ人だろうが日本人だろうが関係なく、もともと国家意識を持っていない連中の末端として。三郎は軍人、それも憲兵将校レベルでしか知り得ない情報を伝えるために設定した。四郎は、演劇をやっているような学生だから、基本的に左に対するシンパシーを持っていて、歴史の大きなうねりからは見えないところに生きていて、しかしうねりによって翻弄されるという役割。

――なるほど。だからこそ、二人でも三人でもなく四人になさった。

船戸 これまで、満州についてかかれたものは膨大だし、論はいくつもある。大きく分けると、『秘録 石原莞爾』のような軍人の満州。もうひとつは、満州で暮らした人々を描いた、ノスタルジーとしての満州。もうひとつは、引き揚げ時の悲惨さを描いた物語。そういったものを総括して、全てを描こうと思ったからね。

――ちなみに、船戸さんご自身も敷島家と同じく長州のご出身で、さらに同じく四兄弟の次男でいらっしゃるとか……。

船戸 「週刊新潮」で連載していたこの『満州国演義』を読んだ知人から、「次郎のモデルは自分だろう」とよく言われて困るよ。もちろん、そんなことはないのでムキになって否定すると、よけいそれっぽいから最近は聞き流している(笑)。

――俗に、関東軍の暴走によって満州国は成立したといわれていますが、この作品では、今日の我々ではなく、当時の一般の日本人が満州をどう捉えていたかがよく分かります。これは他の作品にはない醍醐味ですね。とても船戸さんらしい。

船戸 一九七二年、周恩来が田中角栄に「中国侵略は一部の軍人の所為であって、民衆は悪くない」といったのは、それを言わないと日中国交が成立しなかったからだよ。現実には“満州を取れ”というのは国民の総意だったんじゃないのかな。日露戦争であれだけ出費して、十万の兵を失ったのに満州を手放す、というのは国民感情としてあり得なかった。もっと取れ、もっと取れ、と。しかも朝日新聞をはじめとして、新聞はみんな「満蒙領有」と連呼していた。「嫌々書かされた」なんて、終戦後に付け足した大嘘だよ。新聞が煽って、それに日本全体が呼応して、その空気を痛いほど感じたから関東軍は満州に突っ込んでいけた。そういう国内状況がまずあった。

――日本の海外進出としては、幕末近くに蝦夷地に進出して、それから南千島、台湾、樺太、朝鮮半島、満州と来るわけですが、この流れの中で満州の持つ特徴をどうお考えですか。

船戸 朝鮮は日露戦争、台湾は日清戦争の結果だった。だけど、満州は最初から取りに行っている。結果として手に入れたものと目的として手に入れるものとは大きな差がある。松岡洋右の演説に、「満州というのは、シナの一部である、という説があるが、しかし、シナだけのものでもない」という面白い一節がある。中国は満州を実効支配はしていなかったからね。また、ドイツでは第一次大戦の前に、「ユダヤ人はもともと羊飼いなんだから、満州に移そう」という計画があった。だから、当時はあの土地が“世界の空き地”だ、という認識があったんだろう。

――第二巻にある後記で船戸さんは、「小説は歴史の奴隷ではなく、歴史は小説の玩具ではない」、さらには「本稿執筆にあたりこれまで隠されて来た事実や埋もれていた資料を発掘しようという努力は一切して来なかった」と宣言されていますが、これの意味するところは?

船戸 新しい資料を発見する努力をしなかった、というのは、発見したところで、「木を見て森を見ず」になるのではないかと思ったから。そうではなくて、まるごと満州を書きたかった。すると、すでにこれだけの資料がある以上、それ以上のものを求めても意味がないと思った。瑣末なことになってしまう。それは、今回の意図とはまったく違う。

――今回、兄弟たちはそれぞれ違う立場から時代を見つめていますが、お互いを理解して認め合っていますね。今後、兄弟たちはどのような道を歩んでいくんでしょうか。

船戸 あの時代の人間というのは、どんな考え方をもっていても、国家の中に巻き込まれて、国家の罪を己が罪とせざるをえない状況にあった。そのときに仕方なく手を染めたことでも、きれいごとは言えなくなる。四人とも、それぞれがある時点での日本の状況を背負っているはずだ。あの時代の半年というのは、現在の十年に当たるぐらいの激動があったんじゃないか。社会のタームが長ければ、個人のタームは短い。つまり、社会的なタームが短いと、個人は失敗しても何回も起き上がることができる。ところが、社会的なタームが長いと、個人は一度失敗したらそこで終わってしまう。二回戦はない。あの頃の激動の時代をよく見ていくと、とんでもない失敗をしたやつが、ちょっとするとまた中核に舞い戻ったりしている。再起するチャンスがあったんだね。明治維新のときもそうだった。そういうのを見ているのが面白いから、敷島四兄弟も第一巻の状況とはそれぞれ違う立場に立たされていくんだろうな。

――船戸さんが乱世を好んでお書きになるのは、世が乱れてこそ人間の本質が現れるからでしょうか。

船戸 おれたちの世代は、今流行りの、まず人間があって状況がある、という価値観と違って、状況が人間を作る、という意識が刷り込まれている。状況が動かないと人間も変わっていかない。亡くなった中薗英助さんがおっしゃっていたことだけど、小説の一番の醍醐味というのは、人間が質的に変化する様を書くことなんだと。これは真理だね。

――船戸さんは、常に世の中を変えるようなメッセージを小説を介して読者に送り続けていらっしゃいますね。教科書では到底知り得ないようなことを。日本人はこんな状況ではこう行動するものだとか、歴史がこう動けば得てして結果はこうだとか。そのひとつひとつが意外でもあり納得もできる。船戸作品の醍醐味はそこにあります。

船戸 逆に言うと、小説でしかその部分は表現できないと思うよ。ノンフィクションは細部の細部まで事実を積み上げないといけないけれど、小説は仮説が可能だからね。資料を読めば読むほど、満州に関わった人物たちは多彩極まりない。魅力的な人間が多いね。でも、そういった実際に活躍した人物の視点で小説を書くことはやめた。実在の人物を自由に動かしたほうが書き手としてはラクかもしれない。でも、自分はその人物を知っているわけでも、その現場を見たわけでもないからね。例えれば、右手を縛って、左フックだけを頼りにリングに上るようなものだとは思う。でも、それで勝負できなければ、ただノック・アウトされるだけだろう?  そうはならない自信がある(笑)。

――第一巻の冒頭に会津戦争を描いておられることの意図が第三巻以降にどう示されるのか。船戸史観のダイナミックな展開をこれからも期待しております。


(聞き手・編集部)