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生きて、語り伝える
G・ガルシア=マルケス、旦敬介/訳

祖父母とその一族が生きぬいた、文字通り魔術的な現実。無二の仲間たちに誘われた、文学という沃野。ジャーナリストとして身をもって対峙した、母国コロンビアの怖るべき内政紛乱……。作家の魂に、あの驚嘆の作品群を胚胎させる動因となった、人々と出来事の記憶の数々を、老境を迎えてさらに瑞々しく、縦横無尽に語る自伝。

ISBN:978-4-10-509018-0 発売日:2009/10/30

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波 2009年11月号より

のびのびと、生き生きと

寺尾隆吉


 キューバの亡命作家レイナルド・アレナスによる自叙伝『夜になるまえに』が発表された一九九二年頃からだろうか、ラテンアメリカ文学では一種の「回想ブーム」が始まった。一九九〇年のペルー大統領選挙と少年時代の思い出を交錯させたバルガス=ジョサの『水を得た魚』(一九九三)、ボルヘスとの思い出を中心に作家としての修行時代を振り返ったアドルフォ・ビオイ=カサーレスの『回想録』(一九九四)など、九〇年代半ばに相次いで興味深い作品が現れた後、今回邦訳が出版されるガルシア=マルケスの『生きて、語り伝える』(二〇〇二)は、ブームにやや遅れる形で発表された。ただし、ガルシア=マルケスが本書を執筆したのは、リンパ癌の診断を受けた一九九九年から数年に及ぶ長期療養中のことであり、ブームを意識したというよりは、死に直面して自らの生涯を振り返る気になったためかもしれない。
 一九六〇年代には「ラテンアメリカ文学のブーム」を支え、キューバ革命や軍政など様々な社会動乱を乗り越えた後、老境に差し掛かった作家たちの回想を読むと、そこには様々な感情が入り混じっている。一仕事終えた満足感、過ぎ去りし日々へのノスタルジー、そして、思い通りにならなかった過去への歯痒さ。カストロに迫害され続けたアレナスや、大統領選挙でフジモリに敗れたバルガス=ジョサの回想が苦渋を漂わせているのに対して、ガルシア=マルケスの文章は実に朗らかだ。「人の生涯とは、何を生きたかよりも、何を(……)どのように記憶して語るかである」、この言葉のとおり彼は、史実に囚われることなく、個人的記憶を頼りに、駆け出しの作家兼ジャーナリストだった時代を通じて見たこと、聞いたことをのびのびと振り返っている。優雅な筆の運びはビオイと共通するが、読み物としての魅力では、激動のコロンビア現代史を反映した『生きて、語り伝える』が圧倒しており、なかでもホルヘ・エリエセル・ガイタン大統領候補暗殺をめぐる挿話は、本書の圧巻と言えるだろう。
 もちろん、ガルシア=マルケス文学の愛読者にとって興味があるのは、コロンビアの政治的事件より彼の作品、とりわけ『百年の孤独』にまつわる秘話のほうだろうが、本書はそうした興味も十分満足させてくれる。マコンド誕生の契機となった母とのアラカタカ旅行を端緒に、祖父母と過ごした幼年期へと記憶を馳せるガルシア=マルケスは、金の魚細工作りに没頭する老大佐、額に灰の十字をつけて集まった私生児たちなど、『百年の孤独』の鍵となる挿話の原体験を紡ぎ出す。また、主人公一族の最後の一人と熱く語り合う道楽者集団のモデルとなった面々――バランキーヤのボヘミアンたち――をめぐる思い出話も豊富で、自らの文学体験と併せて彼らの姿が生き生きと描き出されている。他にも、『悪い時』の原点となった中傷のビラや、『コレラの時代の愛』に描かれた熱愛の土台となった両親の恋物語など、貴重な証言が含まれており、ガルシア=マルケスの小説を読み返すための新たな視点を提供してくれることだろう。
 本書における回想は、ボゴタの新聞『エル・エスペクタドール』の特派員としてガルシア=マルケスがヨーロッパに旅立った一九五〇年代半ばで終わっているから、『百年の孤独』や『族長の秋』執筆のいきさつは、直接的には記されていない。この回想録には続編があるという噂もあるが、これ以上の回想はもはや不要かもしれない。苦労の後に成功を収めた人間、とりわけ死を身近に感じた人間にとって、修行時代ほど美しい記憶として残るものはないのだろう。『水を得た魚』におけるバルガス=ジョサは、作家になる前の自分を振り返る時は屈託なく筆を進めているが、大統領選挙の体験を語り出すと言い訳がましく、嫌味な印象を残す。その点ガルシア=マルケスの回想は読んでいて終始心地がいい。穢れない日々を回想の中心にすえているからこそ、我々読者は何も身構える必要なく、純粋に文学作品として『生きて、語り伝える』に綴られたみずみずしい思い出を楽しむことができるのだ。


(てらお・りゅうきち フェリス女学院大学准教授)

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