波 2001年6月号より

〔著者インタビュー〕
東野圭吾
もう二度とこんな本は書けない

*たくらみに満ちた作品集 *最優先されるのは「毒」
*後にも先にもこれっきり



*たくらみに満ちた作品集

――今度刊行される『超・殺人事件 推理作家の苦悩』という短編集は、実に様々なたくらみに満ちています。中でも一番大きいのは、「必ず何らかの形で『作中作』が入っている」ことだと思いますが、最初から「作中作」シバリのイメージがあったんですか?

東野 そんなことはないです。最初にたまたま「超理系殺人事件」のアイデアを思い付いただけで、先のことはまったく考えていませんでした。

――シリーズ化を意識されたのは、どの作品からですか?

東野 雑誌掲載順だと、「超理系殺人事件」「超犯人当て小説殺人事件」の順になるんですが、この「超犯人当て」からですね。小説新潮で「犯人当て小説をやろう」という話になって色々考えたんですが、普通の犯人当てじゃあ面白くない。そこで、「犯人当て小説殺人事件」というのはどうだろうと、タイトルだけ先に決めたんです。

 そうなると、必然的に小説の中に「犯人当て小説」が出てくるわけで、そこからですね、こんな感じでいけるかな、と思い始めたのは。

――「作中作」以外でも、読者・作家・編集者を含めたミステリ業界の舞台裏を皮肉とユーモアを込めて描いているという内容的な共通テーマもありますね。巻頭の「超税金対策殺人事件」はその典型で、大笑いしながらも「あぁ、作家も大変なんだなぁ」と実感しました。作中にある経費をめぐる攻防については、多少実感も籠もっているんですか?

東野 もちろんありますよ。私は「作家は何か言いたいことがあるときは、実際に声に出して言うより小説で表現した方がいい」と思ってます。また、何かで困ったり弱ったりしているとき、自分をネタに笑い飛ばせるくらいのバイタリティーがなきゃいけない、とも思ってますので、そういう意味も含んでますね。「理系小説」とか「大長編小説」とか、その時々の話題をネタにしているのも、読者や出版社、そして自分も含めた業界全体を笑い飛ばしてしまおう、ということなんです。

――作品をして語らしめる、と。

東野 例えば、コンピュータやバイオテクノロジーを扱った作品がもてはやされたりしますよね。でも、読んでる方も書いてる方も「それ本当に好きなんですか?」と疑問を感じることがあるわけです。他にも、大長編ブームを見て、長編小説の魅力を勘違いしてるんじゃないか、と思ったり。

 けれど、そういった考えを生の声としてエッセイとかで語ってもしょうがないんですよ。そういうことは、自分の創作姿勢で、小説として表現すべきだと思う。この短編集は、そういう思いを割とストレートに題材にして書いたものが集まっています。

――今の二つの例は、「超理系殺人事件」と「超長編小説殺人事件」ですよね。ただ、どの短編も「笑い」で包んであるので、皮肉が前面に出てくることがなく、むしろ控えめな印象もあって、その分逆に考えさせられてしまう。

東野 デフォルメして書いてますからね。タイトルに「超」を付けているのもそのためで、「デフォルメされた世界」だと分かりやすく示しているわけです。「超理系」とか、「超高齢化社会」とあれば、誰でもパロディーだと思うでしょうし、色々と勘ぐってくれるかもしれない。

――まさにパロディーですよね。笑いの下に毒が潜んでいる。以前、「こういうものには毒がなきゃいけない」と仰っていましたが、やはりこだわりがあるんでしょうか。

東野 直接的に「毒」とか「皮肉」というより、それによって生じる「痛み」を意識しています。読んでいる側も、書いている側も、多少は痛みを感じる部分が必要なんじゃないか、と。これは、この作品集に限らず、小説を書くうえで常に気にしていることです。だから、何かを皮肉るときは、「自戒の念を込めて」という気持ちを忘れないようにしていますね。

*最優先されるのは「毒」

――また、本書はミステリとしてかなり強い枠組みもあり、「作中作」「ミステリ界舞台裏」「笑いと皮肉」と加えると、全体で三重四重のシバリがかかっています。これは、かなりきつかったのではないでしょうか。

東野 きついですね。正直、もう書けないと思います。

――どの辺が、一番苦労された点ですか? 例えば、「作中作」部分を書くのは楽しいんでしょうか、悩ましいんでしょうか。

東野 結構楽しいですね。「この部分は自分じゃない」という割り切りが出来るので、好きなように書けますから。大変なのは、ネタ探しです。どれもこれも、アイデアを思い付いてしまえば後は楽なんですよ。アイデアを思い付くまでに、物凄く苦労するんです。

――思い付くかどうかというのは、インスピレーションみたいなものでしょうか。

東野 そうなんでしょうね。ただ、突然アイデアが降って湧いてくるということはなくて、ずうっと考え続けてようやく出てくるという感じです。いつも考えているというよりは、意識の底で常に気にしているという感覚でしょうか。そうしてやっと、何気ない瞬間に「お、これは使える!」と閃くことが出来るんだと思います。

 そして、「何を笑い飛ばすか」さえ思いつけば、細かいところは極端な話、書きながら考えることもできるんです。肝心なのは、テーマである毒をどこに持っていくかで、そこが決まれば出来たも同然です。

――「毒」が最優先されるテーマである、と。

東野 何かを皮肉ったり笑ったりするわけですから、やっぱりどこかに悪意がなきゃいけない。それが「毒」なんです。何となく笑ったり皮肉ったりしても、面白くも何ともないでしょう。

――でも、悪意の裏に「思いやり」が滲み出ている面もあるように感じました。

東野 物書きである以上、小説を愛しているわけで、それは大前提としてあります。その上で、自分のことは棚上げにしてでも、何かを笑い飛ばしたりする姿勢は出さなきゃいけないと思っています。こういう作品は、特にそうですね。

*後にも先にもこれっきり

――この短編集は、一冊にまとまるまでに足かけ六年かかっているわけですが、お話をうかがって、それだけの時間が必要だった理由がわかりました。

東野 この手のものは、そうそう書けないんですよ。これからも、何か面白いトピックが見つかれば一つや二つはこの路線で書けるかもしれない。でも、その時は作中作という形は取らないと思います。作中作という形で一冊にするのは、後にも先にもこれっきりでしょう。もう二度とこんな本は書けないと思いますね。

――その希有な一冊について、最後に読者のみなさんへ一言お願いします。

東野 これを読めば、推理作家がどんなことを考えながら、どんな状態で仕事をしてるかということが多少わかるんじゃないか、と思います。色々喋りましたが、あまり難しいことは考えず気楽に楽しんで下さい。

(ひがしの・けいご 作家)

▼東野圭吾『超・殺人事件 推理作家の苦悩』は、六月刊