| 波 2004年6月号より |
眉村卓『妻に捧げた1778話』 眉村 卓
妻が腹痛で入院し、手術を受けた。虫垂炎と思っていたのが、悪性腫瘍で、五年後生存の可能性はゼロと言われた。手術そのものは成功で二十日ばかりで退院し、週二日の通院をしながらの、当面は普通の生活になったのである。 病人に負担をかけないように努め、仕事は極力減らしたものの、医師でない私には、他には何も出来ない。 のんびり暮らし、中でも笑うことが、体の免疫力を増す――と聞いた。読むと言ってくれたので、一日一本、短い話を書いて見てもらうことにした。若い頃から妻はずっと協力者で、私の書くものに慣れてもいたのだ。 私は自分で制約を設けた。病人の神経を逆撫でするもの、深刻な話、これ見よがしのアイデアストーリーは書かない。読んであははと笑うか、にやりとするものを心掛ける。エッセイではなくフィクションで、一回原稿用紙三枚以上。妻ひとりが読者ながら売り物になるレベルを維持する、等々である。 妻の退院後半月ばかり経ってから、書き始めた。途中、しんどかったらやめてもいいよと妻が言ってくれたこともあるが、いったんスタートした以上、やめると症状が悪化しそうな気がして、つづけたのだ。とはいえ、とにかく妻のために何かをしているとの気持ちがあるせいか、書くのが辛いと思ったことはない。 小康を保っている時期もあったものの、妻の病気はしだいに進行し、入院、手術もあったりして、発病から五年足らずで他界した。おしまいの頃は、妻がほとんど眠っていたこともあり、こちらも精神的に追い詰められて、当初の制約を外してしまったのである。 このたび、妻の三回忌を控えて、その間の事情や心象をまとめることになり、短い話も一部収録することになった。妻の存命中や死後に本に収められたり掲載されたりした作品からも選んだが、それに未発表のものを加えて、二十編ほど入れてもらったのだ。 こうしてまとめてみると、やはり、いろんなことを考えてしまう。 全部で一七七八編の話は、書きつづけていたときの心理の推移を反映している。私は制約があることをバネにして新しいタイプの話を生み出そうと頑張ったつもりだったが、見方を変えると、しだいに歪んでいっているとも言えるだろう。そして、その後の過ぎて行った月日は私に、当時の、荒波の中をやみくもに突き進みながら、その日その日に最善をと、おのれに言い聞かせていた毎日を、妙に懐かしく思い出させるのである。まあ、また何年間かが過ぎれば、別の心境に至ることになるのかもしれないが……。 (まゆむら・たく 作家)
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