波 2005年7月号より

イケイケ将軍源義経

鈴木輝一郎『もしも義経にケータイがあったなら』

鈴木輝一郎


 相撲界で「無理ヘンにゲンコツ」と書いて「兄弟子」と読ませるのであれば「無理ヘンに不公平」と書いて「会社」と読むことに異論はあるまい。
 部長とか局長クラスが異動になると、組織改編と人事異動を真っ先にやりたがる。自分より若い上司ができるのは、まあ、しかたあるまい。しかし自分より無能で、客や部下より上司へのヨイショだけがうまい奴が上司になったりすると、結構悲惨な思いをさせられる。
 さりとて、いざ自分が経営者の側に立ってみると、現場で優秀な奴を管理職にしたとたん、周囲をひっかきまわしたりするので油断はできない。
 さて、源義経。
 意外なことに義経がやった歴史的大勝負は「木曾義仲掃討」「一ノ谷合戦」「屋島合戦」「壇ノ浦合戦」の四つだけだ。ただしこれらの合戦は、ひとつこなすごとに、源氏を個人商店から零細企業、同族企業、全国規模の巨大企業へと変身させるものであった。
 もっとも、義経本人は組織の変化にはほとんど関心がなかった。イケイケドンドンの営業マンよろしく、義経は勝利のためにあらゆることをやった……まあ、そこいらは本書にまかせるとして、義経のいちばんの問題は、鎌倉源氏商店が源氏財閥に変身をとげたのに、まったくやりかたを変えなかったことにあった。
 零細企業は「あれこれ言うより結果がすべて」。正攻法が難しければ、奇策・怪策あたりまえで、結果を出したもの勝ちである。しかし会社の規模がしかるべき大きさ以上になると、結果でなくプロセスを求められる。根回しや社内営業が重要になってくる。
 義経はそこいらのチームプレイを理解しなかった。人事権の重要さを理解しなかったし、「営業第一、安全第二」という経営方針は、個人商店のイケイケ営業では重要でも、大企業の理念にしてはならないのは、近年のマンモス企業の不祥事の頻発をみればわかる。
 源平時代というと、八百年近く前の話になる。武士道どころか、切腹という風習さえ一般的ではない、遠い時代である。
 けれども、ことほどさように義経の行動は、現代の我々に通じることが多い。もしも義経に携帯電話があり、こまめに頼朝に報告をしていれば失脚しなかったろう。もしも義経が始末書の書き方を知っていれば、頼朝の勘気もとけていただろう。
 さあ、本書を読んだら、あるいは読む前に、あなたの身のまわりを……でなければ鏡をみてほしい。そこにも、ここにも、あそこにも、何よりもあなた自身のなかに、義経は生きているのだ。

(すずき・きいちろう 作家)