波 2007年4月号より

淋しげな恐竜たち

河内 孝『新聞社―破綻したビジネスモデル―』

河内 孝


 一月末からニューヨークに滞在している。近く大学の講師を務めるので、三十六年間のサラリーマン生活ですっかり干からびた脳に少しでも水をやろうと短期ながら勉強中だ。が、評判のミュージカルも観たい。シティ・ホールにヒラリーが来るというと五〇ドルのチケットを買って出かけてしまう(タウン・ミーティングというのは市民が金を払ってゲストを招くものらしい)。勉強に専念するなら大学の中に街があるマサチューセッツ州ケンブリッジのほうがよかったかも知れない。いずれにしても六十二歳にして、「遊学」出来たのは家族の理解もさることながら、昨年、毎日新聞社を辞めて自由な身となったからだ。
 毎日新聞社では二つの人生を経験した。二十六年間は新聞記者として、残る十年間は経営者側として。後半で、業界最大の問題は、経営の素人である記者出身者が社長以下、大多数の役員を占めていることであると痛感した。本書でも詳述したが、今日の新聞産業構造は昭和十三年の戦時総動員体制の中で作られた。用紙割り当て、言論統制で生殺与奪の権を国家に握られた新聞業界は千四百社もの業界から約百社にまで集約、統合された。この寡占体制が戦後の民主化の中で、「反権力」を旗印に部数を伸ばした今日の大新聞社のもととなったのは歴史の皮肉である。
 しかも日本の新聞は世界の民主国家で例外的にテレビ兼営を認められた。新聞が斜陽化を深める中で新聞経営者は、「俺達にはまだテレビがあるさ」と思っているのである。
 新聞社を維持するには巨額な輪転機を据え付け、再販制度で守られた五千店以上の専売配達網を張り巡らせなくてはならない。テレビ局は希少な電波の利用だから国家からの許認可が必要だ。この二つのボトルネックがメディア産業を真の意味で競争的ではない政、官、業界が一体となった「護送船団」体制にしてきた。言い換えれば社長の資質は、組織を管理し生産性をあげるよりは、自民党に顔が利くか、役所を押さえられるのかで決まってきた。だから政治部、もしくは経済部出身の記者が各社社長ポストにおさまれたのだ。
 しかし、状況は変わった。新聞産業が直面する問題は多様で深刻だ。新しいビジネスモデルの創出と、それを具体化するための人材の導入が不可欠。この点でも記者出身経営者の存在と経験が改革を妨げる。なぜなら彼らは基本的にものをクリエイトし結果責任を取るのでなく、人が行った結果を評論し、批判するべく育てられてきたからだ。評論家に経営は出来ない。
 自己革新できないリーダーに率いられる新聞業の未来は、かくしてまことに暗い。自らの体重で滅びた恐竜になぞらえたタイトル案は、「小説みたい」で採用にはならなかったが……。


(かわち・たかし 元毎日新聞常務)