新潮新書

「話せばわかる」か?
バカの壁
「話せばわかる」とよく言いますが、実際にはそうではないことが多いようです。話が通じなくなって戦争になる例を私たちはたくさん見てきました。
映画やドラマでも、刀を向けられて「ま、待て。話せばわかる」と言った人に限って、バッサリやられているような気もします。
そこまでドラマチックではなくても、たとえばこんな経験をお持ちの方は多いのではないでしょうか。
○子供に「宿題をしなさい」と言うと、そのときだけは「うん、分かった」と返事が返ってくるが、全く動く気配がない。
○どんなに彼女のことが好きか、熱く語っても相手にしてもらえない。
○いくら興味がないと言っても、「とってもいい教えなのよ」と“善意”丸出しで勧めてくる知人がいる。
大雑把にいえば、いずれも何らかの情報に対して、脳が拒絶反応をしている状況です。こういう状況で、大抵の人は、苛々したり、腹を立てたりします。それは「話せばわかる」はずだと思っているからではないでしょうか。
話が通じない時、情報を遮断しているもの。それを養老孟司さんは、「バカの壁」と名づけました。
今月の新刊『バカの壁』(養老孟司・著)のまえがきには、こんな文章があります。
「結局われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない。つまり学問が最終的に突き当たる壁は、自分の脳だ。(中略)
あるていど歳をとれば、人にはわからないことがあると思うのは、当然のことです。しかし若いうちは可能性がありますから、自分にわからないかどうか、それがわからない。だからいろいろ悩むわけです。そのときに『バカの壁』はだれにでもあるのだということを思い出してもらえば、ひょっとすると気が楽になって、逆にわかるようになるかもしれません」
この本のなかで、養老氏は、これまで考えてきたテーマについて易しい言葉で語っています。「脳」「身体」「共同体」「無意識」「教育」等々。いずれも人生でぶつかる様々な問題について考えるヒントになります。
そして、読後には、「気が楽になって、逆にわかるように」なっているはずです。読めばわかる、のは間違いありません。
2003年4月刊より



