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著者の「脱サラ」を決意させた魯迅の“言葉”
翼のある言葉
著者の紀田順一郎さんは、近代史、書誌、情報論、あるいはコンピュータ文化など、幅広い分野にわたって評論活動をされている作家です。中でも書誌研究においては、きっと右に出る者がいないことでしょう。とにかくお話を伺っているだけで、古今東西どんな書物でも知らないものはないのでは……と思えてしまうほどです。
先日、横浜にあるお宅に伺い、驚きました。予想はしていたのですが、その蔵書量のものすごいこと。大きなご自宅の三部屋分が、まるまる書庫となっていました。まるで図書館にいるような錯覚さえ覚えてしまいます。さらに驚くことに、紀田さんは岡山にも仕事場を兼ねる家を持っておられ、そこに横浜のお宅に収まりきれない大量の本が所管されているのだとか。
改めて、紀田さんの読書量に恐れ入った次第でした。
さて、このように博覧強記の文芸評論家として知られる紀田さんですが、昭和三十三年に大学を卒業された直後には、実はサラリーマンをしていたこともあったのです。勤務先は、とある石油会社系の商社。優秀な商社マンでした。しかし会社員になっても、片時も好きな本を手放すことはなかったそうです。また学生時代から続けていた習慣で、ポケットに必ず小さなノートを用意し、読書の途中で「これは名言だ!」と感じた文句に出会うとノートに書き付けていました。
そしてサラリーマン生活六年目、紀田さんは意を決して独立し、執筆生活を開始します。その間ずっと、会社を辞めて自らの望む道を歩むべきかどうか、悩み続けた末の結論でした。高度成長期以前のこと、まだ「脱サラ」「フリーター」などの言葉もない、転職の機会さえ少ない頃です。
悩む紀田さんの背中を後押ししたのは、ある“言葉”がきっかけでした。
――思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
魯迅『故郷』
このひと言で、すっと肩の力が抜けて、楽になったのだとか。これも、ノートに書き綴られた中のひとつでした。
現在でも、感銘を受けた名言・箴言に出会うと、ノートに書き留める習慣は続いているそうです。そしてすでに何冊にもなっているノートを、折をみては読み返し、落ち込んだ時などに、いかに心の支えとなったか、感慨を持たれています。
『翼のある言葉』は、紀田さんのノートの中のコレクションから、今読み直しても新鮮かつ感動的なもの、時代を超えた適切な表現と思われるものを選んでいただきました。格言というような押しつけがましいものではなく、価値観が混乱した時代に、確かな拠り所となるような言葉の数々です。
どうぞ、「勇気をくれる言葉」からじっくりと読書の愉しみを味わってください。
2003年12月刊より




