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「科学ではわからないことがある」という人がわからないこと
霊と金―スピリチュアル・ビジネスの構造―
まだ教祖が逮捕されるよりも前、オウム真理教関連の取材をしたことがありました。
上九一色村や、彼らが経営するパソコンショップにも行きました。サティアンの写真を撮ろうとすると、白い服を着た、なぜか教祖に似た顔の女性が「やめてください」とピョンピョン飛びながら邪魔をしてきました。パソコンショップの店員は取材後に嫌がらせの電話を延々とかけてきました。
彼らが経営するトンコツラーメン店で食事もしました。確か「うまかろう安かろう」を売りにしていたのですが、実際にはスープにはコクがなく、あまり美味しくなかった記憶があります。
当時、彼らはすでに極めて反社会的集団であるというのが一般的な認識でしたが、一方で彼らを擁護する人たちもいました。
この種の団体やそのシンパから出てくる言葉の典型が「科学ではわからないことがある」です。だから、一見、非科学的な主張や教義も否定されないのだ、と。
でも、この人たちがわかっていないのは、普通の科学者は誰も「科学で全てが解明できる」なんて言っていないということです。科学ではわからないことがあるなんて、別に気の利いた台詞ではなくて、当たり前のことです。
ただし、そのことは科学で説明できない事象を何でも認めるものではありません。髭面の教祖が空中を浮遊するだの、水中に一時間潜っていられるだのというのは、科学うんぬんの前に、人間の常識に反することでした。
悲しいことに、今でも「科学ではわからないことがある」と唱えながら、非常識な商売をする人は絶えません。その餌食になるのは、何らかの事情で不安定な精神状態、社会的状況に置かれている人です。
『霊と金―スピリチュアル・ビジネスの構造―』は、不安に付け込む商売が横行する危険な状況について、深く切り込んだ本です。オウム真理教は弱体化しましたが、今でもこの種の商売は後を絶ちません。そのヴァリエーションに富む手口には、感心させられます。
あのときピョンピョン飛んでいた女性や、不味いラーメンを作っていた青年は今どうなっているのだろう。時々、そんなことを思います。



