新潮新書

今月の編集長便り 毎月10日のメルマガで配信さている「編集長から」を「今月の編集長便り」として再録しました。こんなことを考えながら日々仕事しています。

最初の新書

「ミエザル、こん本は面白かど。読んでみやん」
 もう三十年近く前になりますが、私がまだ中学に入りたての頃、休み時間に友達が声をかけてきました(ミエザルとは私のあだ名)。手にしていた本のタイトルは『宇宙と星 99の謎』。今はもうないサンポウ・ブックスという実用系新書の一冊でした。お互い天文少年だったので勧めてくれたわけです。図鑑ではない科学読み物というのが新鮮だったのか、そのうちほかの友達も寄ってきて、友人たちの間でこの本が一時的なブームになりました。私もこの「99シリーズ」にハマって、隣町の書店に行くたびに、創元文庫やハヤカワ文庫と一緒に小遣いをはたいて買い揃えた記憶があります。思えばあれが新書サイズの本との出会いでした。

その後はブルーバックスへ。70年代中頃のことですから、ポピュラーサイエンスものが流行していたのかもしれませんが、鹿児島の片田舎の中学生にすら、「新書」という版型は身近な時代だったのです。
 高校に入って通学途中に書店に寄れるようになったある日、ブルーバックスの棚の隣に、もっと面白そうな本が並んでいるのに気が付きました。それがいわゆる教養新書の棚でした。ずらりと並んだタイトルは、学校の教科書にはない不思議な“磁力”を放っている。小説が並ぶ文庫の棚ともまた違った、もう一つの「大人の世界への入り口」――私にはそんなふうに思えました。
 そのとき買った新書が『学問の世界―碩学に聞く』(上下巻、講談社現代新書、現在は同学術文庫所収)。加藤秀俊氏と小松左京氏がホストになって、桑原武夫氏、貝塚茂樹氏、江上波夫氏といった東西の学者9人と連続鼎談したものです。軽妙な座談のスタイルで各研究分野の魅力が語られていくのですが、当時の私にとっては加藤氏の筆によるこんな一節が強く印象に残っています。
「われわれの知的探求の対象は、ほんとうは無限のひろがりをもっており、そのひろがりのなかで、無関係にみえる事象がたがいにかかわりあっていることがわかったり、そのかかわりをじっと眺めているうちに、それまでかんがえたこともなかったような普遍原理がみえてきたりするものだ。好奇心のおもむくままに、自由に知的世界を探求するよろこび──」
 以来、世界史の授業がややこしくなると世界史の入門ものを、古典で源氏物語を習うと源氏物語の解説本を、という感じで新書売場を覗くようになりました。それは大学時代も社会人になってからも基本的には変わっていません。何か知りたいことがあると、それに応えてくれるものがたいていある。目的もなくぶらりと立ち寄っても、歴史物、探検記、ルポルタージュ、伝記……何かしら面白そうな本が並んでいる。文庫の棚が小説の宝庫だとすれば、新書の棚はノンフィクション系読み物の宝庫でした。特に学生時代は、安くて薄いという新書はとてもありがたかった。
 そんな個人的な愛着のある新書に、今度は自らも作り手の一人として関わることになりました。しかし、新書を取り巻く状況はかつてとは様変わりしています。「戦国時代」と呼ばれるほど出版点数が増えながら、一方では若い人々が新書をあまり読まなくなってしまっている。新書に求められる内容も時代とともに変わってきている。そんな状況の中で、では「新潮新書」はどんな新書を出していくのか――。
 その答えはラインナップの一作一作でお示しするしかないのですが、一つだけ申し上げておきたいのは、「新書の魅力」「新書の面白さ」をもう一度取り戻したいということ。かつての自分がそうであったように、文庫とは違う、もう一つのペーパーバックとして、新書に愛着を持っておられる方も多いと思うのです。そういう方に読んでいただけるような作品を、丁寧に送り出していきたい。同時に、新書を食わず嫌いだった方にもぜひ手にとってもらいたい。そのために知恵を絞っていきたいと思っています。
「新潮新書」の創刊によって、新書の売場全体がもっともっと活気付いて欲しい。新書は「豊穣な本の世界」への入り口です。読む人の好奇心を揺さぶるような、イマジネーションをぐっと広げるような新書が、すでにたくさん棚に入っています。
 今回はつまらない思い出話と前口上で長くなってしまいましたが、次回からは、そうした他社の「面白い新書」もどしどし紹介していきたいと思います。かつて読んだ面白本だけでなく、くやしいけれども「これはやられた!」と私が脱帽した新書についても、率直に書いていくつもりです。
 面白そうだと思ったら、ぜひ新書売場へ!
 そしてそのときには、「新潮新書」を手にとってくださるのもお忘れなく!
「新潮新書」は来る4月10日、10点同時刊行で創刊します。ご期待ください。

2003/03