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      <title>新書・今月の編集長便り</title>
      <link>http://www.shinchosha.co.jp/shinsho/henshucho/</link>
      <description>今月の編集長便り</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>複雑な本ばかりです</title>
         <description>　週刊誌の記者をやっていた頃に「週刊誌なんてゴミだ」「記者なんてカスだ」といった言葉を見聞きして悲しい思いをしたせいか、特定の職業などについて決めつける物言いはどうも好きになれません。最近では「官僚なんてダニだ」というような言葉を見聞きしますが、こういう単純な決めつけは嫌な感じがします。正確に言えば、こういう単純なことを言って、さも鋭いことを言った顔（最近の言葉でいうところの「どや顔」）をしている人が大嫌いなのです。
　ポジティブな物言いであっても、単純なものは怪しいと反射的に思ってしまいます。この数年、出版関連業界の一部では「電子書籍」について手放しで礼賛する言論をよく目にしました。何か「神」が降臨したかのような物言いでした。これもどこがどうとは言えないけれど何か怪しいと感じたものです。
　自分でどこがどうとは言えないあたりが情けないのですが、「そんな単純なもんじゃないよ」と教えてくれる本を昨年2冊（正確には3冊）読みました。
　一つは、『虚空の冠（上・下）』（楡周平・著）。大新聞とテレビ局を牛耳る日本のメディア王を主役に据えたこの小説の中に、電子書籍が重要なアイテムとして登場します。それは必ずしも全ての人を幸福にするものとしては描かれていません。その可能性とともに危険性がよくわかります。電子書籍を含めた現在のマスコミ全体の問題が、物語を楽しみながら頭に入る非常に面白い小説です。上下巻まったく飽きることなく読めます。
　もう一つが『「本屋」は死なない』（石橋毅史・著）。こちらは本屋さんを主人公にしたノンフィクション。人口百人の村で本屋を営む女性等、異色の書店や書店員を取材したもので、「紙の本」を「店頭で売る」ということの意味を改めて教えられます。</description>
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         <pubDate>Wed, 25 Jan 2012 17:54:42 +0900</pubDate>
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         <title>女優さんからの電話</title>
         <description>　もう十年以上前の話。当時私は週刊誌の記者でした。ある夜、トイレだったか食事だったかに出かけていて、席に戻ったところで同僚にこう言われました。
「女優のＰさんから電話がありましたよ。またかけ直すって言っていました」
　その有名女優Ｐさん（イニシャルではない）とは、親交はまったくありません。接点はさらに数年前、デート現場で直撃取材をしたことがあり、その時に名刺を渡した、という程度。その後連絡をいただいたことは一度もありません。
　女優から電話を貰うなんてことは一度もなかったので、ちょっとわくわくしました。フィクションの世界では、芸能人が自分で編集部にクレームつけたり殴りこんだりといった描写がありますが、そんなことは基本的にはありません。
　残念ながら結局、その後電話はかかってきませんでした。いまだに何の用だったのか不明です。
　実のところ、Ｐさんならばこういうことがあっても不思議はない、という気もしました。若い頃はアイドル的な人気があったＰさんでしたが、ある時期からは奇矯な行動でも知られるようになっていたのです。そういえば直撃取材の時のコメントも今ひとつ、よくわからないものでした。きっと私への電話も凡人にはわからない動機によるものだったのだろう、と思うのです。
　Ｐさんのことを思い出したのは、12月新刊の『問題発言』（今村守之・著）を読んだからでした。「一億総懺悔」から「天罰」まで、戦後日本を騒がせた様々な問題発言が80以上収録された前代未聞の内容です。これにＰさんも登場するので、古い話を急に思い出したのでした。本の登場人物は基本的に全部実名なので、お読みになれば大体誰のことを指しているかはわかるのでしょうが、ここでは勿体ぶって名前を出さないようにしておきます。
　近頃はＰさんの姿はテレビで見なくなりました。様々な規制コードが厳しくなっている影響もあるのかもしれません。しかしそういう人が暗躍、いや活躍しているテレビのほうが魅力的だったような気もします。胡散臭くて、得体の知れぬ危険性があった頃のテレビは面白かった。そういう声はよく聞きます。</description>
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         <pubDate>Thu, 22 Dec 2011 15:10:10 +0900</pubDate>
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         <title>言葉の受け止め方について</title>
         <description>　嫌いだから絶対に使わない言葉や言い回しは人それぞれあるようです。もちろんそんなもん一切ないという寛容な人もいるのですが、本を書く人にはある程度のこだわりがある方が多いようにも思えます。
　私が絶対に使わないのは、文末の（笑）というやつです。理由は長くなるので書きませんが、これが嫌だという同志はある程度はいる気がします。別に他人が使うぶんにはいいのですが。
　何となく避けてしまうのは「アスリート」という単語で、その理由は多分、当初この言葉を得意げに使っていた運動選手があまり好きじゃなかったとかそういうどうでもいいものです。それ以外には単純に私がちょっと年を取っていて、時おり片仮名を気恥ずかしく思うからだと思います。だから「エディター」なんてのも使いません。
　使わないようにしているのに油断すると使うのは「必死」という言葉です。他人様についてはいいけれども、自分のことに関しては使わないようにしたいと思っています。そんな大層な仕事はやっていないので。調子に乗っているときとか、疲れて感情的になっているときとかについ使いそうなので用心しています。
　11月の新刊の一冊『社畜のススメ』（藤本篤志・著）のタイトルを話し合った際、「社畜」という言葉を巡って意見が分かれました。
「とにかく言葉の響きそのものが嫌。使わないで欲しい」と強い嫌悪感を示したのは年配の社員。「いや、フツーに『俺たち社畜だから』って使いますよ」と軽い感じで言ったのは若い社員。
　世代によって「社畜」という言葉の印象はかなり異なるようでした。結局、これだけ受け止め方が分かれるのならば、かえって面白いということで、このタイトルに落ち着きました。
　内容は「石の上にも10年という気持ちで修行しろ」「未熟な癖に自分なりの個性を発揮しようなんて思うな」等々、巷の自己啓発本への強烈なアンチテーゼとなっています。若い人はもちろん、自信を失っている中間管理職、管理職の方にも一読をお勧めいたします。</description>
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         <pubDate>Fri, 25 Nov 2011 18:35:59 +0900</pubDate>
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         <title>「街の声」は要らない</title>
         <description>　メディア、主にテレビや新聞では大きな事件や出来事のあとに「街の声」をよく紹介するのですが、あれは必要なのでしょうか。その分の時間やスペースを専門家の意見に割いたほうがマシだと思うのですが、各社に「街の声担当者」みたいな閑職の人がいて、喰わせるために仕事を作らなければいけないというような込み入った事情があるのでしょうか。
　都内の新橋駅前には、この種の声を採取すべくテレビのクルーがよくうろついています。酔っ払ったおじさんがたくさんいて、そういう人はフランクに取材に応じてくれやすいからです。しかしそもそも酔っ払いに話を聞いてどうなるというのでしょうか。それがいいのなら、酩酊して会見した大臣をあんなに責めなくてもよかった気がします。
　野田新総理が決まる前には、「この人、知らない」といった「街の声」が紹介されていました。知らないのは自由ですが、代表選に立候補したのはたかだか5人程度なんだから、それを堂々と言う神経も、またそれを紹介する意味もわかりません。
　野田さんに限らず、新総理が決まった後に流れる「声」ももうわかっています。「しっかりやってもらいたい」か「誰がやっても同じ」か。多分、数年前に街で取材したビデオを使い回しても、バレないでしょう。</description>
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         <pubDate>Tue, 25 Oct 2011 17:15:36 +0900</pubDate>
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         <title>島田紳助さんのこと、野田佳彦新総理のこと</title>
         <description>　このところのニュースの主役だったのは島田紳助さんと野田佳彦さんの二人でしょうか。この二人、いずれも至近距離で見たことがあります。
　といっても紳助さんのほうは、本当にチラリと見たという程度。週刊誌記者をやっている頃、別のベテラン芸人の取材で楽屋を訪ねると、そこに彼の旧友である紳助さんもいたのです。そのベテラン芸人はテレビのイメージそのままに早口で喋り、サービス精神旺盛。着替えの最中、パンツ姿を撮影しても文句も言わず喋り続けるという風でした（結局、その着替えているところの写真を使った）。
　一方で紳助さんはずっと黙っていて、こちらに目もくれない。挨拶しても無反応。ちょっと暗い感じの人だなと思ったのを憶えています。週刊誌の記者にいきなり愛想よくする必要はないので無理もないのですが。
　新しく総理大臣になった野田佳彦さんとはもう少しまともな接点がありました。2年前、新潮新書から『民主の敵』という本を刊行する際に何度もお目にかかったからです。野田さんは今テレビに出ているままの方でした。じっくりと伝わるように話をする。ときおり絶妙のたとえを繰り出す。『民主の敵』の中でもっとも秀逸なたとえは小沢一郎氏が民主党に入ってきたときのことを「モーニング娘。に天童よしみが加入したような感じ」と表現した箇所ではないかと思います。
　まだ政権交代前で野田さんもヒラの議員。本が完成しての打ち上げは議員会館の部屋で缶ビールやサキイカで地味に行われました。それが何となくご本人の持ち味ともマッチしていて、これはこれでいいものだなあと思ったものです。
　総理就任後、『民主の敵』は注文が殺到した結果、増刷することになりました。
　また、紳助さんの一件後、注文が急増したのが9月新刊の『暴力団』（溝口敦・著）です。同書は、この分野の第一人者の溝口さんが、暴力団のイロハについてひたすらわかりやすく解説してくれるという内容。まったくの偶然なのですが、世間の関心が高まっているときに刊行することになりました。収入源は？　出世の条件は？　芸能界との関係は？　警察とは癒着している？　等々、あらゆる疑問に答えてくれています。</description>
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         <pubDate>Thu, 22 Sep 2011 13:08:54 +0900</pubDate>
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         <title>中村とうようさんのこと</title>
         <description>　昨今、Ｋ－ＰＯＰはカッコいいとかオシャレとかカワイイとかそういう扱いになっているようです。しかし私が若い頃、韓国の音楽といえばチョー・ヨンピルの「釜山港へ帰れ」あたりが代表格という感じで、決して若者が喜んで聞くものではありませんでした。
　そんな頃から、韓国やインド、南米、アフリカ等、あまり日本ではポピュラーではない音楽を積極的に紹介していたのが、『ニューミュージック・マガジン』（現『ミュージック・マガジン』）でした。欧米のロックしか興味がなかった私に、「いやいや他にもいいものがあるよ」と教えてくれた雑誌です。それでも小遣いには限度があるので、やはりロックのレコードばかり買っていたのですが、たまに勧められている民族音楽のレコードを買って「なるほどこれはすごい」と感心したこともありました。
　先月、その創刊者であり編集長だった中村とうようさんが亡くなりました。おそらくこの方がいなければ、今のように日本で「ワールドミュージック」が幅広く聞かれることはなかっただろうと思います。先日会った欧米の音楽関係者は「日本くらいあらゆるジャンルの音楽が入手できる国はない」と言っていました。中村さんはそういう土壌を作った功労者なのです。何の面識もない私に言われても困るでしょうが、ずいぶんお世話になったと勝手に思っています。
　普段仕事をしていると、編集という仕事にどの程度の意味があるのだろうかと思うこともあるのですが、中村さんの功績を考えると、いろいろな影響を世の中に与えることができるのだなあと思います。もちろん影響というのは良いものばかりではないのでしょうが。</description>
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         <pubDate>Thu, 25 Aug 2011 13:06:56 +0900</pubDate>
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         <title>反対の意見を知る</title>
         <description>　仕事柄、「普段からすごくたくさん本を読んでいるのでしょう」と言われることがあるのですが、実際には部内で進行中の原稿を読むだけでも結構大変なので、完成された本の読書数でいうといわゆる読書家の方の足元にも及びません。最近読んだ本の中で、面白かったのは『裁かれた命　死刑囚から届いた手紙』（堀川惠子・講談社）でした。面白かった、というと些か軽すぎるかもしれません。1966年に起きた強盗殺人事件で死刑判決を受けた男の人生を著者が辿っていくというノンフィクションです。
　この事件を発生当時、検事として担当したのは、テレビなどでもお馴染みの土本武司氏。本人が罪を認めており、しかも極悪非道の犯罪ですから、検事ならば死刑で当然と考えそうなものなのに、土本氏はずっとこの事件について複雑な想いを抱えてきました。その理由は犯人が獄中から土本氏にあてた数多くの手紙の文面にあったのです。著者はこの手紙をもとに、犯人の人生を丹念に追っていきました。すると次々と意外な事実が浮かび上がってきます。一見地味そうな話に思われるでしょうが、見事な取材力と文章力で、一気に読まされます。
　本文や略歴を読む限り、著者の司法制度や死刑制度に関するスタンスは、私とは必ずしも意見が同じではありません。しかし、反対の立場の人の考えをきちんと知ることができて、とても良かったと思いました。いろいろ考えさせられました。自分と似たような意見の本ばかり読んでも、刺激は受けないとつくづく思いました。
　7月刊の『新・堕落論―我欲と天罰―』（石原慎太郎・著）は、タイトルや著者名を見ただけで、「意見が違うから読みたくない」と思う人もいるかもしれません。それはそれで止めませんが、できればちょっとでも開いてみていただきたいのです。東日本大震災、尖閣諸島問題、日本人のモラルの低下、国力の衰退等々、日本が抱えるあらゆる問題について強いメッセージが語られています。その確信は比類なきものです。大体どんなことが書いてあるかわかっているさ、というような方こそ衝撃を受け、刺激を受けるはずです。</description>
         <link>http://www.shinchosha.co.jp/shinsho/henshucho/2011/201107.html</link>
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         <pubDate>Mon, 25 Jul 2011 16:38:15 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>1冊すでに店頭に並んでいます</title>
         <description>　いつもはこのメルマガでご案内をしてから数日後に新刊が出るのですが、今月はイレギュラーで1冊、先に店頭に並んでいます。
　その本は『復興の精神』。9人の方の共著で、著者は養老孟司さん、茂木健一郎さん、山内昌之さん、南直哉さん、大井玄さん、橋本治さん、瀬戸内寂聴さん、曽野綾子さん、阿川弘之さんという豪華なラインナップです。
　東日本大震災以降、これからの日本人はどのように考え、どのように生きるべきか。この大きな問いに正面から答えた一冊です。震災から3か月目には刊行したい、と考えて早めの配本としました。
　当然のことながら、この本の企画のスタートは震災後。6月刊行とすると、刊行まで実質2か月半くらいしかありません。そのシワ寄せは筆者の方々に行きました。ただでさえ忙しい方々に、大変な状況で、急ぎの原稿をお願いするのには、とても気が引けましたが、皆さん快諾してくださいました。普段にも増して忙しいときに、普段にも増して熱の入った原稿をくださいました。
　最初に思いついて連絡した養老さんからのメールの中に、「年寄りはここぞとばかりに頑張る」という一文がありました。
　この文章を見て、そうか、年寄りが頑張るのならば、こちらも負けてられないと思い、随分勇気付けられたものです。
　通常、1冊の新書については担当者も1人ですが、今回は編集部全体で作りました。いわば雑誌的なやり方です。次々、届けられる原稿はいずれも素晴らしく、それを読むことそれ自体が、自分達自身の精神の復興につながっているような感じでした。
　あの日以降、何となく落ち着かないという人。無力感に苛まれている人。テレビの「がんばろう」「ひとつになろう」といったメッセージに文句は言わぬがちょっと違和感を持っている人。そんな人にぜひ読んで頂きたいと思います。</description>
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         <pubDate>Fri, 24 Jun 2011 15:08:31 +0900</pubDate>
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         <title>ちょっと古い本の話</title>
         <description><![CDATA[<blockquote>「社会が本当に進歩するというのは、どんどん変化するのではなく日々平穏になっていくことなのではないでしょうか。つまり、我々が今防げない危険をだんだん封じ込めていけるようになることが進歩しているということになる」</blockquote>
　少し前に必要があって、久しぶりに開いてみた『超バカの壁』（養老孟司・著）で見つけた文章です。この本の刊行は5年前。『バカの壁』が売れて以来、人生相談の類が増えたとこぼす養老先生に、「じゃあ、一挙にそういうのに答える本を作りましょう」と提案して形になったのが、この本でした。今読んでも、いや今のほうが腑に落ちる指摘が多く、冒頭の文章はその代表と言えるように思います。<br>
　震災以降、注目を集めている新潮新書の既刊には、『原発・正力・ＣＩＡ』（有馬哲夫・著）があります。唯一の被爆国で、国民規模の反原水爆運動が起こっていた日本で、なぜ原発が導入、推進されたのか。世論はいつから「原子力の平和利用推進」を認めるようになったのか。その経緯について、ＣＩＡ文書をもとに丹念に追った力作です。<br>
　ちなみにこちらの刊行は2008年。速報性ではネットやテレビはもちろん、新聞、雑誌にもまったく敵いませんが、情報の厚みでは書籍が一番ではないか、と改めて感じています。<br>
　もっとも、新潮新書の5月新刊は、あまり震災と関係のないものばかりです。去年から企画していたものがこの時期に形になったからであって、私たちが震災のことを考えていないというわけでは決してありません。そのことはそのことでまた本を出すつもりですが、ともあれ今月の新刊は、以下の4点です。<br>
<br>]]></description>
         <link>http://www.shinchosha.co.jp/shinsho/henshucho/2011/201105.html</link>
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         <pubDate>Wed, 25 May 2011 16:21:17 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>心痛すべからず</title>
         <description><![CDATA[　東日本大震災の被災者の方に心からお見舞いを申し上げます。<br>
　幸い編集部員はみな無事で、いまは通常通りの仕事をしております。とはいえ、本当に「通常通り」かどうかは自信がありません。やはりどこか落ち着かない。地に足が着いていない。そんな感じもします。<br>
　今回よくわかったのは、年配者であっても戦災や震災などを経験したことがなければ、結局こういう事態に際して、中年の私や、もっと若い人と同じような反応を示す人が珍しくないということでした。要するに、落ち着いている人は落ち着いているし、あわてる人はあわてる。<br>
　ニュースで見る、ある種の人たちを見ていると、つくづくそう思います。<br>
　その点、やはり戦争を経験した方々は違います。震災後に部員が話を聞きに行った、大先輩の方々の腹の据わり方は、私たちとはまったく別の次元にあるのです。これについては、またいずれ形にしたいと考えています。<br>
　4月の新刊、『日本人の叡智』（磯田道史・著）は、さらに年配、というか近世以降の歴史上の人物たちのすばらしい言葉を集めたものです。といってもただの名言集ではありません。執筆作業について、磯田さんは次のように書いています。<br>
<br>
<blockquote>「もし可能であるならば、その人物が一生涯に書いた書簡から作品まで、全部読む覚悟で臨んだ。事実、全集が編まれているような人物や、著書が一〇〇冊をこえるような人物を書くのは、とりわけ困難をきわめた。わずか一週間で、重さにして数十キロの資料を山と積み、そのなかに埋もれながら必死に読破して書いたものもある。この本を書くために、わたしが自転車で運んだ資料の重さはトンの単位になるのは間違いない」</blockquote>
　とりあげられている言葉の一つが「心配すべし。心痛すべからず」。明治時代の実業家、馬越恭平の言葉で、「困ったことが起きたとき、心を配るのはいいが、心を痛めつけ、体までいためてしまっては、馬鹿らしい」という意味だそうです。<br>
　ついついあわててしまう私が頭に入れておきたい言葉です。<br>
<br>]]></description>
         <link>http://www.shinchosha.co.jp/shinsho/henshucho/2011/201104.html</link>
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         <pubDate>Mon, 25 Apr 2011 10:55:35 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>革命余話</title>
         <description>　チュニジア、エジプト、そしてリビアへと革命が広がっています。この動きについてはツイッターやフェイスブックの影響がもっぱら語られていますが、エジプト通で知られる小池百合子代議士がテレビ番組（BSフジ「プライムニュース」）で興味深い指摘をしていました。大意を紹介すると、「ネットの影響ばかりが取りざたされるが、それ以上に現地で影響力のあるメディアは今も昔も『口コミ』です」というもの。
　私自身がツイッターもフェイスブックもやっていないからか、何だか感覚的にとてもわかる話のような気がしました。
　そのチュニジアで革命が起こったときに、個人的に心配したのは、現地の日本大使館のことでした。というのも、現在の日本大使である多賀敏行さんが、新潮新書『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった』（2004年刊）の著者で以前からの知り合いだったのです。一時期は大使館にも銃声が聞えるような緊迫した状況があったようですが、幸いご無事でした。
　この『「エコノミック・アニマル」～』は、今読んでも発見に満ちた面白い本です。表題の「エコノミック・アニマル」に関していうと、日本ではもっぱら「金のために猛烈に働く生き物」というようなネガティブなイメージが強いけれども、実は日本人についてこう評したパキスタンのブット外相（当時）にはそんなつもりはなく、「経済に長けた人たち」という意味で発言しており、むしろ褒め言葉だった、というのです。日本の住居の狭さを揶揄した言葉と思われがちな「ウサギ小屋」も、実は本当の意味は違うということを、私はこの本で初めて知りました。
　言葉に関心のある方にはぜひ読んでいただきたい本なのですが、その意味では3月の新刊『日本語教室』（井上ひさし・著）も、まさにそういう一冊です。昨年4月に亡くなった井上さんが生前、母校・上智大学で行った連続講義を再現したもので、日本語について「おもしろくてふかい」話が、実にやわらかく語られています。そうだったの？　おおそうなのか！　ああそういうことか!!　と感嘆しながら読み進むうちに、日本語への愛情がどんどん深まる内容です。日本語を使うすべての人に読んでいただきたいと思います。</description>
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         <pubDate>Fri, 25 Mar 2011 10:34:34 +0900</pubDate>
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         <title>プロ中のプロが見せてくれるもの</title>
         <description>　劇場公開中の映画「ＲＥＤ／レッド」を観てきました。「ダイ・ハード」シリーズのブルース・ウィリスら4人の超有名俳優・女優の競演と、きっとそれだけ激しくなるであろうアクション・シーンに心惹かれたからです。ただ観終わっての感想は、予想とはちょっと違うものでした。
　ブルース・ウィリス、モーガン・フリーマン、ジョン・マルコヴィッチ、そしてヘレン・ミレンは、今や穏やかな引退生活を送っている元スパイたち。ある日突然、ＣＩＡから狙われる立場に陥って再集結し、かつての特技と大型武器を持ち出して大暴れします。ただ、俳優たちが年齢相応の役を演じている設定なので、4人の振る舞いがいつもより控えめです。ブルース・ウィリスは一瞬でカアッと広がるような笑顔の代わりに、伏し目がちにじんわりと浮かべる優しい笑み。「クィーン」で孤高のエリザベス女王を演じアカデミー賞主演女優賞に輝いた英国女優ヘレン・ミレンは、おちゃめさを披露してくれました。もちろん演技と分かっていても、ここにきてまだ我々の知らない「素顔」を見せる幅の広さに驚かされたのが正直な気持ちでした。</description>
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         <pubDate>Fri, 25 Feb 2011 18:22:46 +0900</pubDate>
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         <title>面白い仕事</title>
         <description>　年末年始は例年通り、家でテレビをだらだら見て過ごしました。ほとんどお笑い関連の番組です。そのなかで、一番感心したのは、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんの休日について取材したものでした。
　番組によれば、淳さんは休日に番組のスタッフらと、ツイッターなどを活用して一般のファンたちを巻き込んだイベントを行なっているそうです。仕事ではないのでお金にはまったくなりません。それでもやっているのは、純粋に面白いことが好きだからなのでしょう。
　成功した芸人というのは、やたらとゴルフとか女遊びとか夜遊びとか、意外なほど世俗的なおっさんの娯楽へ走りがちというイメージがあっただけに（書いてみて思ったけどかなり偏見ですね。すみません）、淳さんの姿がとても清清しく見えました。俗悪と批判されても、彼の番組が強い支持を得ているのは、この「面白いことが好き」という姿勢の賜物なのだろう、と感じました。私自身は、彼の仕事のいくつかは今のテレビの中でも傑出した存在だと思っています。
　他の業種のことを偉そうに言えたもんではなくて、出版業界でも、最初は「面白い本を作りたい」というシンプルな動機を持っていたはずなのに、仕事を続けているうちに、その初期衝動がどこかに消えていくというパターンを見ることがあります。何とも残念というかもったいないというか。面白い本を作る機会はいつでもあるのに、それよりも他のことに気が行ってしまうのです。それがゴルフか異性かお金か出世かはよくわかりませんが。</description>
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         <pubDate>Tue, 25 Jan 2011 19:16:04 +0900</pubDate>
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         <title>まさかの受賞</title>
         <description>　ありがたいもので、これまでにもいろんな賞を新潮新書はいただいてきました。『バカの壁』『国家の品格』は流行語大賞、『日本辺境論』は新書大賞。変わったところでは『路面電車ルネッサンス』の交通図書賞というのもありました。
　しかしまさかレコード大賞をいただけるとは思ってもいませんでした。冗談ではなく、本当です。今年1月に刊行した『あの素晴しい曲をもう一度』（富澤一誠・著）がレコード大賞企画賞を受賞したのです。正確には、同書掲載の名曲リストをベースにした同名のコンピレーションＣＤが受賞したのですが、そのＣＤの企画者の中に「新潮新書」も入っていたというわけです。
　タナボタ、おこぼれ、便乗、様々な言葉が投げつけられそうな気もします。実際その通りで、基本的に著者でＣＤの監修者でもある富澤さんとＣＤ会社の努力の賜物なのですが、新書史上初（たぶん）の快挙であると思うので素直に喜んでおります。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">2010</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 25 Dec 2010 17:23:13 +0900</pubDate>
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         <title>新刊140字紹介</title>
         <description><![CDATA[　少し前から編集部でツイッターを始めています（<a href="http://twitter.com/shincho_shinsho" target="_blank">http://twitter.com/shincho_shinsho</a>）。残念ながらそれがきっかけで大ベストセラーが誕生したこともまだないですし、幸運なことに大炎上もしていません。しかし、出たばかりの本について、いろんな人がそれぞれのツイッターに「良かった！」といった感想を書き込んでくださるのを見るのは単純に嬉しいものです。先月刊行した『ロックと共に年をとる』については、様々なタイプのロック好きがお褒めの言葉を書いてくださっていました。
　今月は、ツイッター方式で、新刊5点の中から印象的な言葉を140文字以内で引用して紹介してみます。]]></description>
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         <pubDate>Thu, 25 Nov 2010 14:23:10 +0900</pubDate>
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