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小説新潮
立ち読み
2009年7月号
「かわいげ」重松 清
1
猫がいた。
通りの先の、雑草が生い茂る空き地から、とことこと出てきたところだった。
まだ子猫だった。背中のほうは茶色と金色が交じり合っていて、おなかは白。細いしっぽの先がフックのように曲がっていた。
フミは、うわあっ、と歓声をあげたいのをこらえて立ち止まった。口を両手でふさいで声が漏れないよう注意しながら、こっちおいで、こっちおいで、こっちおいで、とおまじないの呪文を唱えるようにつぶやいた。
子猫は通りの真ん中まで来ると、不意にこっちを見た。
フミと目が合った。
しばらくじっとそうしていた子猫は、ふと我に返って、あわてて体をひねり、空き地に飛び込むように戻ってしまった。
わかるわかる、とフミは口を手でふさいだままうなずいた。そうそうそう、猫は最初、一瞬、ぼーっとするんだよね、と宿題の答え合わせで○がつづいたときのようにうれしくなってくる。
逃げてしまったのは残念だったが、猫にばったり出会えただけでもよかった。プレゼントを贈られたような気がする。
フミは口から手を離した。急に息苦しくなった。声だけでなく息までこらえていたことに、いまになって気づいたのだ。
はあはあ、ふうふう、と大きく息をしていたら、後ろにいたマキが歩きだして、追い越しざま、「先に行くよ」と言った。
フミはポニーテールの揺れるマキの背中に「猫がいたよ」と声をかけ、少しだけ言葉をつっかえさせて、「おねえちゃんも見た?」とつづけた。
マキは何歩か進んだところで足を止め、「見たよ」と面倒くさそうに言った。
「かわいかったよね」
「ふつうじゃん」
「また出てくるかなあ」
「来ないよ」
あっさり切り捨てて、「ほんと、早く歩かないと学校に遅れちゃうよ」と歩きだす。
フミもしかたなくあとにつづいた。マキの背負ったランドセルは、学校の誰とも違うデザインだった。横長で、中学生の通学鞄のような形をしている。真ん中の、いちばん目立つところに星の形の小さなシールが貼ってある。アルミホイルのように光を反射してキラキラ光る、銀色のお星さまだ。フミは、それを見るたびに――いまも、きれいだなあ、と思う。
空き地の前を通りすぎるとき、フミは雑草の茂みを覗き込んでみたが、猫の姿は見あたらなかった。マキは空き地にはちらりとも目を向けず、まっすぐに前を向いて歩く。
距離が開いた。追いつこうとして足を速めかけた矢先にトンボを見つけて、フミはまた立ち止まる。トンボは空き地を管理する不動産会社の看板にとまっていた。青い色をしたトンボだった。
「おねえちゃん、トンボ」
今度はさっきよりすんなりと声が出た。
昨日よりも今日、今日よりも明日、さっきよりもいま、いまよりも今度……少しずつ慣れていけばいいんだから、とお父さんに言われた言葉を思いだした。
続きは本誌にてお楽しみ下さい。
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