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竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第14回 田舎暮らしをするということ。その1

 都会から田舎への移住を希望する人が増えているそうです。現在の職業からわざわざ転職してまで家族ぐるみで都会から田舎に移住する働き盛りは大抵家族を大切に思い、遠距離通勤で家族と過ごす時間が非常に短いことを憂いて職住近接の田舎に移ることがあるようです。また定年前後の方はご夫婦で一致した目的を持つ場合が多く、忙しい都会を離れて農業に勤しむとか、陶芸の世界で生きる道を選ぶとか、或いは海外で会得した技術を活用してレストランを開きたいとか、趣味と実益を兼ねた場合が多いと聞き及びました。いずれにしても行動を共にできる家族がいるわけで、人口の減少でたくさんの空き家を抱え、その対策に頭を悩ませている各自治体が歓迎したい移住者は、おおむねこの2タイプ。ですから好条件満載で、首都圏でも15年住む保証があれば空き家も無料で提供してくれたり、リフォーム代の援助、慣れない作業についての指導者の紹介など、至れり尽くせりです。そこで、かくいう私も移住いたしました加賀市内の空き家をリフォームして終の棲家にしようと考えました。

 市役所内には空き家対策と移住者歓迎を兼ねた特別対策室が設けられておりますので早速相談に行きました。私の場合独り暮らしなのであまり大きな家は困ります。ところが、提供される空き家はとにかく広いのです。建坪80坪は当りまえ。それに加えて物置というより納屋と呼んだほうがふさわしいような付属の建物があり、ガレージがあり、植木や大きな石が配置された庭があり、時には時代劇に出てくるような立派な土蔵がでんと控えている大邸宅もあります。都会でしたら私風情が望める家屋ではないですが、過疎に悩む地方なればこその安価。有難いことではありますが、シンプルな暮らしを心掛ける私といたしましては見事な欄間も立派な柱も無用の長物ですし、半分以上減築することにもなりますので、家屋の神様に大変なご無礼を働いているようで不安にもなります。それよりなにより、リフォーム代が元の家屋の何倍もかかることになるでしょうし。市からの助成金が出るということですが、こちらの望むように助けてくださるわけでもありますまい。などと、とつおいつ思案しておりましたが、幸いなことに程よい物件が程よい条件で手に入り、公的機関のご厄介にならずに身の落ち着き先が決まりました。

 公的機関のご厄介にならずに済んだというと聞こえはいいのですが私の場合、諸般の事情があちらの規定と合致しなかったというのが実情です。合致しなければ援助は受けられませんからすべて自費負担ということになります。ちょっとがっかり、ではありましたが、よくよく検討してみますと規定にはいろいろ不備な点があり、当事者の資格や物件の場所や煩雑な手続きや、それに伴う時間的な経過なども含めますと受け取る助成金以上の負担がかかる場合もあることが判明したのです。

 例えばサラリーマン生活を早めに切り上げて後半生を農作業と共に過ごしたいと決意した方の場合でも農機にかかる高額な費用や体力的な問題や、近隣との人間関係など、心身ともに大きな負担がかかることもありますし、さらにはそれらが原因でご夫婦の意見が合わなかったりすれば離婚の危機も当然訪れましょう。結局、また生活を立て直す必要に迫られる例も多々あると伺いました。

 もちろん移住に成功なさった方も大勢いらっしゃいます。そのお一人が早稲田大学教育学部中退の山崎一之さん。50年近く前、自給自足を志し、その意見に賛同なさった父上の協力を得ながら神奈川県から北陸に移住し、山を切り開くことから始めたという方です。ほどなく大学時代の友人洋子さんとご結婚。ご家族で牧場を経営して今日に至っています。

「ああ、ラーバンの森ね」とうなずいている方も大勢おいででしょう。お二人の生き方に共感した方たちが研修に訪れるようになり、その場としてアイデア満載の手造りログハウスを建設。水源は井戸水です。そして毎日とれる新鮮な卵と牛乳は、そのまま販売するだけでなくイタリアまで夫妻で作り方を学びに行ったジェラートに変身して、現在はご子息が運営する街中のお店で売られています。ログハウスに隣接して獣医師のお嬢さんが運営する動物病院もあります。そして洋子さんは牧場の運営に携わる傍ら文筆家でもあり、日本の伝統芸能の紹介やコンサートなどのイベントのプロデュースもなさっています。

 ラーバン(Rurban)というのはRural(田舎)とUrban(都会)を合体させた造語だとか。成功の理由はやはり入念な調査・研究をずっと継続していらっしゃること。そしてなにより尽きることのない好奇心ではないでしょうか。ちなみに牧場の名前は「おけら」といいます。名前の由来は直接お訊ねになってください。ラーバンの森は、敬意をもって自然と向き合える人にやさしい学び舎です。

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山崎洋子(やまざきようこ)さんの画集『ラーバンの森から』

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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