竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第2回 加賀の国の住人

 歌舞伎十八番「勧進帳」の幕開き。颯爽と登場する富樫左衛門は朗々たる声で「加賀の国の住人、富樫左衛門にて候」と名乗ります。頼朝の御家人ですが、終焉の地が県内の野々市であると伝えられておりまして、石川県内には今も富樫という地名が残っております。

 それはさておき、私、念願かなって加賀の国の住人になりました。べつに富樫左衛門に憧れたわけではありません。東京の、それもごく限られた一部分に80年も住んでいた私が、人生初めての移転先をどこにするか考え始めたとき、一番の条件は「都会ではない所」でした。人生の大半を東京の、俗にいう山手線の内側で暮らしてきたのです。一度きりの人生がくれたせっかくのチャンス、今まで経験したことのない環境に挑戦してみたいではありませんか。

 で、選んだ先が石川県加賀市。残念ながら加賀の国ではなくて、その中のいくつかある市の一つです。しかし加賀市は昔、金沢市を除くほかの市と違って代官地ではなく、十万石の大聖寺藩として独立していました。初代藩主は前田利家の孫で、徳川秀忠の娘球姫を母親に持つ前田利治です。前田家の支藩とはいえ、十万石ともなれば、大名として中の上くらいの地位になりましょう。例えば大垣藩の戸田家が十万石。忠臣蔵で有名な赤穂の浅野家は5万3千石です。

 そんな殿様を地方自治のトップに頂いていた面影が、廃藩置県後150年たった今も、この加賀市には、そこはかとなく残っていて、土地柄がのんびりしております。意地の悪い言い方をすれば、時代に取り残されている。或いは田舎っぽい。でも、それがここ、加賀市の魅力だと私は思っております。

 近隣の市のように大資本の工場誘致も果たしておりませんし、これといった産業もありません。あるのは緑の山々と、その向こうに真っ赤な夕日を静かに受け止めてゆく日本海と、それらのすべてを育むように聳える霊峰白山、そして地元の恵みを大切に思う人々の穏やかな暮らしぶりです。

 先日お訪ねした近くのお家では、ご当主のお母様が丁度、ご自宅の敷地内の畑を手入れしていらっしゃるところでした。お年は90歳くらいでしょうか。一人で管理しているということで、それほど広い畑ではありませんでしたが、大根、白菜、キャベツ、葱など、びっくりするほどのびのびと、力強く育っていました。

 一番驚いたのは、そのとき収穫していらっしゃった春菊の立派さです。まず葉の色が深くて瑞々しい緑色。そして茎がまっすぐに伸びていて、しっかり広がった葉の先端が鋭利な刃物の先のようにピンと尖っています。管理の行き届いたスーパーの清潔な棚で、全体にしんなりしているところに霧を吹きかけられ、無理やり元気そうに見せかけつつ、きちんと整列している春菊しか知らない私には、実に刺激的な春菊の勇姿でした。
「家だけでは食べきれないので朝市にだします。原価は80円ですが、朝市では100円になるようです」

 ざっくばらんに実情をお話しくださいます。

 流通経済の一端を担っていられるわけですね。誰かの、何かの役に立つということほど高齢者の意気を高めるものはありません。ご母堂のさりげない逞しさに清々しい思いを抱きながらお暇いたしましたが、心身ともに健康に生きるとはこういうことかと、改めて思い至りました。

 広々とした空を思う存分見渡せるのも私には魅力です。

 高校生の頃読んだ『智恵子抄』の「東京には空がない」の件はその後もずっと私の頭の中にこびりついておりました。買い物などで外出した際に見上げる東京の空は道幅しかありません。その短冊形の空をさらに邪魔しているのが無数の電線。とても窮屈そうです。それでいつしか弧を描いて広がる大空を見渡すことが、地方に出かけたときの私の最初の行動になりました。それが、この地では毎日できるのです。

 こんなことを申しますと、私が自分の生まれ故郷に嫌気がさしていたように誤解されそうですが、決してそんなことはありません。近年は神楽坂という地名が独り歩きして繁華街のように言われておりますが、私の故郷は江戸城三十六見附の一つ牛込見附御門外、直参の旗本、御家人の屋敷があった所です。維新後は明治政府直轄の国有地になり、さらにその一部を一般に分譲しましたが、本来は至って質素な気風の所です。町名変更も比較的少なく、現在、23区内ではもっとも旧町名の残っている土地と言われておりますし、道筋も江戸時代の地図が今も通用いたします。

 住宅街は静かで、しかも買い物、移動に便利。なにより優れているのはガス水道電気下水道など、ライフラインの充実です。従いまして私自身、今も都内では最高の住宅地と思っております。

 私が転居を決めたとき、何人かの知人に言われました。「本当にここを離れていいの?」

 もしかすると牛込見附御門界隈と加賀の地は、似ているところがあるのかもしれません。

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力強い野菜たち!

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里芋の葉に、かわいいアマガエルが。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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