竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

2018年2月

第7回 滑り込み選挙

 選挙権の取得が20歳から18歳に引き下げられたのは2016年でした。それから参院選と衆院選と国政選挙が2度ありましたが、北陸中日新聞2018年1月14日朝刊によれば「19歳の投票率が18歳より低い実態が、総務省の調査で分かった」とありました。その要因として、親と一緒に住んでいない大学生、大学院生のうち半数以上が「住民票を移していない」ことを挙げ、さらに高校生の頃に受けた主権者教育の影響が薄れていくのではないか、ということです。

 なるほどね、と思い当たる節がないでもありません。ほぼ60年前、選挙権を得て初めての選挙のときは、日本の政治の一翼を担っているという誇らしい自覚をもって意気揚々と投票所に出向いたように思います。でも、その後はどうでしょう。時々、思い出したように現行政治を否定したり、新しい指導者を期待したり、画期的と思える政策について侃々諤々議論したりしたことはありましたが、意気揚々と投票所に出向くことはなくなったような気がいたします。まあ、出来る限り棄権はしないように心がけてまいりましたが。

 そんな私ですが、昨年の秋の衆院選では、なにがなんでも、絶対に選挙に行こうという気になったのです。別にどうしても当選させたい候補者がいたわけではありません。ただ、選挙権が無効になるかもしれない事態に立ち至ったからです。

 安倍首相が臨時国会開会後、審議一切なしのわずか103秒(BuzzFeed News)で衆議院解散を宣言したのは、私が80年住み慣れた故郷を離れ、北陸加賀に移転する、まさにその日でした。転居に伴う諸手続きは、かなりの余裕をもって事前に大体済ませていまして、あとは転居先の役所に出向いて転入届とやらを出せばいいだけと、安心して転居先に運び込まれたままになっている荷物の整理をしておりました。段ボールから紙に包まれた食器を取り出しつつ衣類のしわに気付き、慌ててアイロンを探したけれど出てきたのはアイロン台だけでアイロンが見つからない! こんなてんてこ舞の真っ最中に寸暇を割いて加賀市役所の転入届の窓口に行ったところ書類不備で即却下! えっ? なぜ? 

 理由は、以前の住所の区役所に転出届を出していないことでした。あら......!? 市役所の方曰く「転出届を出しませんと本人が、同時に2か所に住むことになってしまいます」

 あら大変! 初めて気が付きました。そこで加賀市役所に用紙を提供してもらい、新宿区役所へ転出の申請を速達で郵送しました。

 着いたかな?返信出してくれたかな?と中空を飛び交っている封書を思い描いているうちに無事、転出届終了の証書が手元に到着。それッとばかりに加賀市役所へ走り、転出届と共に転入を申請しました。それから10日ばかり経った頃、届きました、所定の手続き終了の通知が。

 実はこの選挙、投票できないだろうと諦めていたのです。新住所では移転してからの日数不足で投票の権利なし。旧住所はすでに居住していないので無理。でも、今回はできることなら権利を有効に使いたかったのです。なぜって、国民不在の解散宣言に不安と不信を抱いていましたし、何より選挙には600億円もの国税がつぎ込まれると聞いたからです。

 棄権してなるものか。早速、届いたばかりの書類を持って加賀市役所へ行き、今度は不在者投票に必要な書類を受け取って大急ぎで記入し、それをまた郵便局から速達で旧住所の区役所に郵送しました。選挙のとき忙しいのは候補者だけじゃない。有権者の日程だってけっこうタイトなのです。

 で、旧住所の区役所に書類を郵送した翌々日の夕方、レターパックで本局に投票券が送られてきました。小選挙区、比例区そして最高裁判所裁判官国民審査の用紙のほかに、それぞれに該当する人名の書かれた印刷物が同封されていました。これさえあれば、もう安心。でも、期日前の投票所は実際の投票日の前日まで開いていますが、他地区からの移住者の投票は、当該地へ送り返さねばならず、それは開票が開始される前、つまり投票終了までに届いていなければ無効になってしまうのだそうです。それで市役所の職員さんから、期日前投票締め切りの前日までに来て欲しいとのアドヴァイスを受けておりました。

 ギリギリでした。実際の投票日の前々日の夕方、秋の日は暮れやすく、周囲はすでに暗くなりかけています。私はまず本局に行ってレターパックを受け取り、それを抱えて市役所内の投票所へ駆け込みました。以前の職員の方がすぐに近寄ってきてくださり、手順に間違いのないよう注意しながら誘導してくださいます。お陰で無事に3種類の用紙に必要事項を書き込み、滑り込みで所定の投票箱に投入することができました。

 選挙権取得後60年。もっともスリリングで面白い既得権行使の瞬間でした。同時に、日本の郵便事情は実に優秀だと、改めて感心した瞬間でもあります。新宿区と加賀市との間を何回も飛び交った私の郵便物は、そのうちの1回でも滞ったら、私の権利行使は実現しなかったはずですから。

 郵便屋さんありがとう。

007-1.jpg
近くの雑貨屋さんのポスト。すべて大きい口一つだけ。東京でのように二口に分かれていません。

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

ブログ記事検索