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竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第8回 神事・体育・そして生活

 北陸地方、ほぼ40年ぶりの大雪だそうです。近年は雪が少なくて、兼六園の冬の風物詩・雪吊りも風情に乏しいというのが近頃の定評でしたが、今年はその定評を簡単に覆しました。

 1400年の歴史があるといわれる加賀二の宮・菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)に伝わる奇祭『御願神事』(こんがんしんじ)も雪が降ると一層、勇壮な気配が漲るといわれながらご多分に漏れず、近年は思い通りにいかないと伺っておりました。でも、今年は違います。連日、いやというほど雪が降りました。それでも加賀市は、近隣のほかの地域に比べると少ないほうでしたが、こんなに身近な所で膝まで埋まるほどの積雪を体験したのは私、初めてです。さぞ困っているであろう、途方に暮れているであろう、こんな厳しい自然に見舞われる土地に移り住んだことを後悔しているに違いないと、テレビニュースで被害状況を知った友人知人からたくさんの連絡がありました。大変うれしく有難く思っておりますが、本当のところ私、あまり不自由も寂寥感も感じず、後悔もしていないのです。

 確かに外出はできません。日課にしていた少なくとも30分の散歩は中止しました。踏み固められた雪道で滑って転ぶのが一番危険というくらいの常識は持ち合わせているつもりでおります。骨折はもちろん捻挫も怖い。1週間とか10日とか安静が必要などといわれたら老人は即、心身ともに退化してしまいます。ですから行動は制限されますけれども、有難いことに物を書く仕事は机に向かっておりますので屋内にいる時間が長ければ、それだけ捗るわけです。ついでに机の周りの汚れが気になり、突然、掃除を始めますとその手があちこちに伸びてキッチンに達し、今度は冷蔵庫の中味を点検して残り物でランチ作成へと続くことになります。そこで出来上がったものが納豆のオムライス。ネットで発見したレシピを忠実に再現したところ、かなり上出来な一皿が完成しました。

 早速、ご当地へ来てから仲良くして頂いている知人にメールで私自身の快挙を伝えますと、翌日、癖になりそうという返事が届きました。彼女は私と同い年。もちろん外出はできない。そこで日頃はご家族に任せきりになっている食事の支度をご自分でやってみる気になられたようです。古代中国の故事によれば、死せる孔明は生ける仲達を走らせたそうですが、今回の天災は「降り積もる雪、閑居する老人を厨房に立たせる」結果を生むことになりました。退化していた料理感覚を復活させる効果をもたらしたのですね。

 閑話休題(それはさておき/これ一度使ってみたかったのです)とにかく連日の降雪で神社の境内も雪で埋まっております。夜明けとともに、その腰くらいまでに積もった雪を掻き上げ透き上げ、通り道を作るところから『御願神事』の当日は始まりました。1か月近く前から集め始めた長さ2メートルの青竹が400本ほど、雪の下に埋まっています。これも掘り起こさなければなりません。中には直系20センチはあろうかという太い竹もありますから、かなりの重労働です。

 午前11時。社殿で神様にお出まし願う神事が厳かに執り行われたあと、境内に積み上げた藁の塔に、火打石で熾した神聖な火が点火され、大きな火柱が立ちます。そこへ、寒風吹きすさぶなか、白帷子1枚で震えながら合図を待っていた30人ばかりの若者たちが「ワッショイ ワッショイ」と声をあげながら大竹を振りかざして社殿に駆け込み、「悪疫退散」と記された大石を打ち叩いて竹を真っ二つに割ってゆきます。太い竹ほど割りやすいと伺いました。そして最後に大蛇に見立てた藁の大縄を、神社の前を流れる大聖寺川に投げ込んで竹割の行事は終了。一部始終を見届けた神様は、社殿の奥の御扉の内に還御なさいます。

 この神事の起源は7世紀、白凰時代にまで遡り、第40代天武天皇が「治にいて乱を忘れず」とのご賢慮からお始めになったと伝えられております。というと武術奨励のように聞こえますが、現代的に考えるならばスポーツの奨励、つまり体育ということでしょう。雪に閉じ込められた北陸の長い冬、若者たちのあり余るエネルギーを発散させる目的も兼ねていたかもしれません。寒さをものともせず帷子一枚で大竹を叩き割ったり、大縄を追って冷たい川に入って行く若者たちの姿は勇壮で、いかにも邪を払い、長い冬を怪我過ち無く貫き通そうというような勢いがありました。

 この神事に携わられた神官のお一人は「この祭りを一回でも休みましたらそこで伝統は途絶えます。復活は継続以上にエネルギーを必要としますから」とおっしゃいました。

 伝統とは、生活の延長線上にあるものだと改めて思い、自然現象の大雪も人間の営みの中にある体育も伝統を担っているのだと気づきました。そして日頃は全く意識の外にある神事にさえ親近感を覚えた次第でございます。

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1300年の歴史があるといわれる奇祭『御願神事』。
(写真/坂下和成)

竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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