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竹田真砂子「加賀便り 新しき身辺整理」|新潮講座

第98回 信じてます

 およそ生きとし生けるもので宗教をもっているのは人間だけだと思っております。かなり知能が優れているといわれるチンパンジーでも「神仏」の存在をその生涯において信じることは無理でしょう。なぜなら彼らは自分たちの力だけで「火」を作り出すことができないからです。「火」を作り出せるのは人間だけです。

 原始時代、人間は、生きるためには「火」が必要であることを知りました。それまでは自然現象として発した火を応用するすべしか知らなかったものを、何かのきっかけから木と木をこすり合わせれば熱くなり、その熱がやがて煙に形を変え、煙はさらに炎に成長することを知ったのです。文明の誕生です。

 その後、何千年か何万年か経たのち、人間は石と石、または石と鉄を打ち合わせると飛び散る火花から簡単に炎を取り出せることに気が付きました。文明の利器、火打石の誕生です。

 この文明の利器が日本の文献に初めて登場したのは「古事記」十二代景行天皇の御世で、四世紀ころと推定されています。天皇の御子であるヤマトタケルノミコトが東征に出た折、伊勢神宮に仕えるヤマトヒメノミコトから天叢雲剣あめのむらくものつるぎと「火急のときに使いなさい」とありがたそうな袋を餞別として受け取ります。この袋の中身が火打石で、後日、ヤマトタケルはこの火打石のお蔭で一命をとりとめることができました。手早く「火」が作り出せるということが、どんなに画期的なことであったか、という証だと思います。

 人類が火を使うようになってから200万年くらい経つらしいのですが、当初は山火事や落雷による発火を活用していたのでしょうが、やがて火打石を応用したライターを考案したり、マッチを発明したりしながら、人間にとって暮らしやすい環境を整え続けてきたのです。でも、同時にそれは、自然を侵食し、穢すことでもありました。私たちは常に諸刃の剣を振り回しながら生きてきたわけで、私たち自身、当然そのことに気が付いております。決してほかの多くの生物のように、自然のサイクルに従って生きているとは思っておりません。ですから、いつも、どこかで、何かに「ごめんなさい」と言っておかないと、安心して生きていられないと、本能的に思っているのです。

 実際に体感はできないけれどいつも、どこでも、「ごめんなさい」が伝えられる無限の存在。それが、人類が求め人類が編み出した宗教です。キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンズー教など世界中のほとんどの国に自然発生的に誕生した宗教は、決して宇宙のビッグバンによって生まれたものではありません。

 さらに、それらの宗教は人類に自然へ畏怖の念をもつことと同時に数多の恩恵に応えるすべも教えてくれました。「ごめんなさい」と謝るだけではなく、「ありがとう」の意識が必要だと。

 日々の糧はもちろんのこと、空気や水や陽の光やその他諸々、あらゆる恵みに感謝すること。それこそが自然の助けなしには生きられない人間に課された掟であり任務であるという現実を、地球上に存在する人間各自が、それぞれの気候風土に見合った形で理解して、精神生活を穏便に保ちつつ社会生活を営んできたのだと思います。

 しかし人間の知識が積み重ねられていきますと、それに比例して社会の仕組みが複雑になってまいります。さらには人間の意識も複雑になり、自然への畏怖や敬意を、個人の生活態度や所業への賞罰の対象にして、善悪を区別したり、罪業を可視化したりしてその対象者に反省を強いるようになります。代表的な掟が「悪いことをすると罰が当たる」です。

「罰」は地獄とかインフェルノとかジャハンナムとかいう現世以外に存在するといわれる、耐え難い苦しみにあう所に送り込まれるような形で実施されます。

 でも、紀元前の身分制度による極端な差別や、中世の異教徒を罰する刑など、想像を絶する残酷な手段をとっていたようですから、一概に現世にはないとはいえませんが。

 けれども、それが死後の世界の話でしたら賞罰の対象にならないことは、現代人でしたら即座にわかるはずです。なぜなら「死ぬ」ということは一人の人間の存在そのものが具体的に完全に消滅してしまうということですから。

 死後の世界にあるといわれる極楽にも地獄にも行くことはないはずです。もし、どこかにその人の存在がイメージされるとしたら、それは紛れもなく生きている人間の記憶のなかです。それ以外に死者の生き残る道は残念ながらありません。

 そこで不思議に思うのは、死者があの世で苦しんでいるのは、あなたの修行が足りないからだと言われたことを信じて、多額の金品を寄付なさる方のこと。

 具体的にその死者の苦しみを思い描いていらっしゃるのでしょうか。その苦しみは金品の寄贈で償えると信じておいでなのでしょうか。自己満足以外の何物でもないと私には思えるのです。自然界に「疲弊させてごめんなさい」というために宗教はあると、私は思っているものですから。

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近くの大聖寺川の岸辺に現れた大型の鳥。
足には水かきがあるのに泳ぎもせず、飛びもせず、ただ岸辺を行ったり来たりしています。
たまに一面の草の中から好みらしき細くて長い草をくちばしで引っぱってはもぐもぐ。
専門家に問い合わせましたら雁の一種で「菱食い」とのこと。
たぶん病気で、遠くへの渡りができないため取り残されて、あの長い酷暑を過ごしたのだろうと。
まもなく「鴻雁来る」の季節になりますが、お仲間の群れに戻ることができますでしょうか。
水面に映る空をどんな思いで見つめているのか。切なくなります。

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竹田真砂子
(たけだ・まさこ)
作家

 1938年、東京・牛込神楽坂生まれ。法政大学卒業。1982年『十六夜に』でオール讀物新人賞を、2003年『白春』で中山義秀文学賞を受賞。現在、時代小説を中心に活躍。京都「鴨川をどり」など、邦楽舞台作品の台本なども多く手がける。2007年、谷崎潤一郎『春琴抄』を脚色したフランス語による邦楽劇『SHUNKIN』は、パリ・ユシェット座で上演され、話題となった。
 中山義秀文学賞選考委員、独立行政法人・日本芸術文化振興会(国立劇場)評議員、および歌舞伎脚本公募作品選考委員なども務めた。
 近著に、新田次郎賞文学受賞作『あとより恋の責めくれば――御家人南畝先生』(集英社)、『牛込御門余時』(集英社文庫)、『桂昌院 藤原宗子』(集英社)、『美しき身辺整理――“先片付け”のススメ』(新潮文庫)などがある。
 2017年10月、生まれ育った神楽坂を離れ、石川県加賀市を終の棲家と定め、移住した。

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