蓮池薫『半島へ、ふたたび』 立ち読み

               第一部 僕がいた大地へ

    黒と赤の山野

「ああ、見て、見て、あれ、朝鮮半島じゃない!」
 家内の声に、急いで飛行機の窓から覗き見る。二〇〇八年二月二十三日午前十時十分のことだ。
 眼下に広がる山野。
 瞬間、背筋にヒヤリとしたものが走る。黒みがかった森と赤みがかった茶色の田野。
 そうだ。かの地の色だ。僕たちが二十四年間、すべての自由を束縛されていた、かの地の山野の色だった。やはり体は覚えていた。
 訪ねたくてたまらなかった韓国。その地を見たら、おそらくうれしい思い、楽しい思いに包まれるはずだった。
 でも、僕の体に刻みこまれていたおぞましい二十四年間の歳月が、その地を目のあたりにした瞬間に、甦ったのだ。
 トラウマとは、こんなことを言うのだろうか? 気持ちは沈み、外の風景から目が離せなくなる。
 三十年前、拉致されて、初めてこれと同じ色の山野を見たときのことが脳裏に浮かぶ。
 恐怖と絶望の色だった。悪夢のようだった。いや、悪夢でもそれが夢で終わるなら、どんなによかっただろう。夢なら、いつかは醒めてくれるのだから……。
 さらに、五年半前、一時帰国という名目でピョンヤンを発ち、日本に向かうときも、特別機からこの色を見下ろした。そのときも、期待より不安を与える色だった。自分の運命がどうなるのか、子どもたちの将来はどうなるのか、まるで予想がつかなかった。よくも悪くも、やはり夢を見ているようだった。窓外を見る僕の目は、うつろだったに違いない。
 そして今。取材で韓国に向かいながら見る朝鮮半島。初めての海外旅行だというのに、はしゃぐ気分にさせてくれない色が、ここにある。この地の陸続きに、まだ帰国を果たせない、多くの拉致被害者たちがいる。いまの気持ちで新たに任されたソウル取材の仕事をうまくこなせるかどうかという心配もある。
 午前十時三十分、着陸態勢に入るというアナウンスとともに、機体が傾き始める。シートベルトを締め、再び窓の外に目を走らせる。立ち並ぶ壮大な高層アパート群と、溢れるほどの車が走る、広々とした多車線道路が視界に飛び込んでくる。本でしか見たことのない、話でしか聞いたことのないソウルの街が、すぐそこにあるのだ。

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