ご来店ありがとうございます。小僧の佐吉でございます。
この大黒屋矢来町店は大黒屋の無認可支店です。
〈古着屋総兵衛影始末〉シリーズや〈新・古着屋総兵衛〉シリーズの作中に出てくる人名や地名や歴史的な事柄などを、手もとの貧弱な資料をひっくり返しつつ、紹介させていただくコーナーです。なお無認可支店と申し上げましたとおり、私どもが何を書きましても、本家の佐伯泰英先生にはまったく責任はございません。誤記、悪文、更新遅滞、事実誤認等々、すべて責任は私どもにございます。先に謝っておきます、まことに申し訳ございません。さあ、頑張って更新していきたいと思います。
本多正純
 佐吉です。
 最近、また伸びました。成長期というんでしょうか。いえ背丈ではございません。胴回りの寸法でございます。

 初代の〈影〉は誰あろう、本多正純です。歴史小説や時代小説でちょくちょくお目にかかる人物だと思います。この人を少し調べてみました。

 本多正純(ほんだ・まさずみ)
 1565-1637 三河の国生まれ。幼名は千穂、通称は弥八郎、上野介。父親は本多正信。

 父親の本多正信は、家康の懐刀の知恵者として有名ですね。側近中の側近です。関ヶ原の戦い(1600)の折は、正信が徳川秀忠に従軍し、途中、信濃上田城に籠もった真田昌幸・幸村親子を攻めるも激しい抵抗にあって、本番の関ヶ原に遅参してしまいます。一方、正純は当時30代半ばで働き盛り。合戦終了後、西軍の実質上の総大将だった石田三成の身柄を預かるという重要な役目を振られています。家康の信任がいかに篤かったを示すエピソードだと思います。
 大坂冬の陣では、陣後の堀の埋め立ての責任者として采配を振るっています。家康が将軍職を三男の秀忠に譲り(1605)、駿府で大御所政治を展開した時にも、側近の筆頭としてぶいぶい言わせていたようです。、
 家康なき後(1616)、二代将軍秀忠に老中(年寄)として仕え、元和5年(1619)には、15万5000石と、石高に恵まれなかった譜代大名の中では堂々たる領地を得、宇都宮城主となります。しかし、驕れる者は久しからずと琵琶法師も呻ってましたように、正純も絶頂から一気に転落します。
 元和8年、出羽の国の大名最上義俊が改易となったのですが、その城の受け取り役として正純は山形まで派遣されました。なんと、その山形で、秀忠からの使者から改易の命を伝えられるのです。配流先はまさにそのたどり着いた山形だというのです。社長から山形支店長のクビ切って来いと言われた部長がのこのこ山形まで行ったところで、携帯電話が鳴って、「あ、お前、左遷だから、山形に。帰ってこなくていいよーん」といわれたようなものじゃありませんか。なんと可哀想な正純部長。といっても永年の功臣ですから、賄料として5万5000石は貰えるという話です。3億年収があった人が1億に落とされた感じですか、まったくぴんときませんが。
 福島正則の改易の時(1619)など、正純は脅迫すれすれのやり方で諫めたそうですから、秀忠は何かにつけ説教してくる正純に沸々と怒りを蓄積していったのかもしれません。
 神君家康公の信任篤かった正純が凡庸な秀忠の命に簡単に従うわけはありません。断固拒否してしまいます。まずいです。ワンマン同族二代目社長の配置換えに異を唱えちゃ大変です。結局、正純は寛永元年(1624)出羽の国横手の地に流され、賄料1000石で暮らしたそうです。没年は寛永14年ですから、最後の14年間はさびしかったのかもしれません。
 なお、講談や小説などで有名な宇都宮釣天井事件は俗説だそうです。
2011/01/28 更新

対立が激化する綱吉と光圀。裏にはある僧の影が……。新潮文庫百年特別書き下ろし作品。
光圀―古着屋総兵衛 初傳―

ISBN:978-4-10-138034-6/整理番号:さ-73-0/発売日/2015/04/01
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総兵衛は稀代の絵師喜多川歌麿が極秘裏に描く禁制に触れる一枚絵を追うのだが……。
たそがれ歌麿―新・古着屋総兵衛 第九巻―

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帰還―古着屋総兵衛影始末 第十一巻―
ISBN:978-4-10-138045-2/整理番号:さ-73-11/発売日:2011/09/01
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佐伯泰英 児玉清[特別対談]
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