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この大黒屋矢来町店は大黒屋の無認可支店です。
〈古着屋総兵衛影始末〉シリーズや〈新・古着屋総兵衛〉シリーズの作中に出てくる人名や地名や歴史的な事柄などを、手もとの貧弱な資料をひっくり返しつつ、紹介させていただくコーナーです。なお無認可支店と申し上げましたとおり、私どもが何を書きましても、本家の佐伯泰英先生にはまったく責任はございません。誤記、悪文、更新遅滞、事実誤認等々、すべて責任は私どもにございます。先に謝っておきます、まことに申し訳ございません。さあ、頑張って更新していきたいと思います。
小野派一刀流
 佐吉です。随分、間が空きました。せっせと書いてはいたのですが、みんなボツにされたのです。番頭さんのせいです。うそです。ごめんなさい。

古着屋総兵衛影始末第一巻「死闘」』に諸葉一伝斎という小野派一刀流の剣客が出てきます。諸葉一伝斎は恐らく架空の人物だと思うのですが、小野派一刀流というのは実在の流派です。一刀流の系統というのは、現在のいわゆる「剣道」にまで繋がっているそうです。今回はこの一刀流について調べてみました。

 一刀流という剣術の流儀を興したのは、伊東一刀斎です。謎の多い人物で、生年は、1550(天文19)年、1560(永禄3)年といった説があり、没年も1628(寛永5)年、1653(承応2)年と複数の説があります。
 生国も伊豆国伊東説、伊豆大島説、近江堅田説、加賀金沢説、越前敦賀説、単に西国生まれという書もあります。

 この伊東一刀斎の師匠も中条流の鐘捲自斎という説や山崎盛玄(富田流の山崎景成とも)という説があります。
 一刀斎の「鶴岡八幡宮に参籠して無想剣という極意を得た」という話は有名ですね。生涯で33度、勝負して一度も負けなかったというのですから、大変な名人だったのでしょう(ちなみに塚原卜伝〈鹿島新当流開祖〉は39度の合戦、19度の真剣勝負、宮本武蔵〈二天一流開祖〉は60数度です)。

 この謎に満ちた一刀斎ですが、有名な弟子に小野善鬼と神子上典膳がいました。小野善鬼が一番弟子で、かつて一刀斎に挑んで打ち負かされてそのまま弟子になったのだそうです。それ以降の立ち会い希望者は小野善鬼が相手したそうです。全部一刀斎が相手していたら、武蔵の記録(60数度)は超えていたかもしれませんね。腕は立ったのでしょうがこの小野善鬼、粗暴で悪逆なところがあったようです。
 一刀斎はこの二人に勝負させました。勝った方に継がせるというわけです。命からがらなんとか神子上典膳が勝ったのですが、小野善鬼が勝ってたら、一刀斎自ら小野善鬼を倒していたかもしれません。恐ろしい話です。

 一刀斎はこの神子上典膳を徳川家康の剣術指南役に推挙します。神子上典膳は、結局、徳川秀忠の指南役となり小野次郎右衛門忠明と名前を改めます。各種資料によると小野は小野善鬼の小野ではなく、母方の姓とのことですが、何故そんなことが言い切れるのか不思議です。どっちも小野は小野なんですから。
 忠明の忠は秀忠の忠だそうです。偉い人の名前の一字をもらうときは、必ず上に使ったそうです。立川談志の門下でいえば、「立川志らく」はありですが、「立川毒まむ志」はありえない、ということですね。勿論、噺家さんの世界では、まったく問題ないのですが。

 ここで思い出さないといけないのが、柳生です。秀忠の指南役は、柳生宗矩とこの小野忠明の二人がいました。宗矩の師匠は上泉信綱から新陰流二代目を継いだ柳生宗厳ですが、新陰流の三代目は我が子(五男)である宗矩ではなく、嫡孫の利厳(尾張徳川家の兵法指南役)に継がれますから、宗矩は新陰流から枝分かれした柳生新陰流の初代といえるのでしょう。

 この二人の指南役のうち、秀忠は柳生宗矩の方を好んだようです。宗矩の授業は、書を開いて講義する座学だったのに対して、小野忠明はボコボコに木刀で打ち据えるタイプの授業だったそうです。その甲斐あってか、それだけじゃないでしょうけど、宗矩はとんとん拍子で加増され、三代将軍家光の時代には総目付(大目付)という幕閣の要職と一万石という大名の地位を得ます。一方、忠明は上田の七本槍と賞されるほどの活躍があっても600石がやっとで(800石と伝える史料もあるようです)、大坂の陣の後は、閉門させられています。これはボコボコにされた秀忠の個人的な怨みというより、忠明の傲岸不遜な性格によって陣中での諍いが絶えず(戦国の気風を残した武士の争いですから、当然、「立ち会い」にもなったようです。勿論、忠明が圧勝しますが)、それに業を煮やしての決断だったようです。こんな小野忠明が、小野善鬼よりましだったのですから、小野善鬼の傲慢振りはいかばかりだったのでしょう。上司にしたくない剣豪ナンバーワンです。

 ともかく一刀流はこうして小野派一刀流という別名を得ることになります(小野忠明自身は流儀名をずっと一刀流と称していたそうです)。一方で、忠明は、弟(実子という説も)に師匠の姓を継がせ伊藤忠也と名乗らせ、こちらからは忠也派一刀流〈伊藤派一刀流とも〉という分かれが発生します。師匠は伊東で、継がせた字は伊藤ですから、何か理由があったのかもしれませんし、音さえあってればいいじゃん的なラフな時代だったのかもしれません(そもそも伊藤一刀斎という説もありますが)。
 小野派一刀流からは中西派一刀流、その中西派一刀流からは、北辰一刀流が分かれました。北辰一刀流は、千葉周作が興し、坂本龍馬が学んだ剣として有名ですね。
 一方、忠也派一刀流からは、甲源一刀流、一刀新流、間宮一刀流、神武一刀流などと広がっていったようです。

 道統はたった一人にしか継がせことができませんから、継承者と同等もしくはそれ以上の技量を持つ高弟が反発して一流を樹てる気概は何となく分かります。しかもブランドである「一刀流」については残しておきたいという気持ちもよく分かります。師匠筋からイチャモンをつけられない何らかの自信があったんでしょうね。のれん分けと独立を許すから、継承者(多くは息子)に継がせるのについて文句言わないでね、それと私の没後、継承者を苛めないでね的な感じでしょうか。

 幕末期、山岡鉄舟が一刀流としては11代、小野派一刀流としては10代の継承者となります。ただ、山岡鉄舟は、無刀流という流派を興していましたので、それに「一刀正伝」を付けて、一刀正伝無刀流という流儀名になります。様々に枝分かれした一刀流の中でも正統であるという思いを「一刀正伝」の四字に籠めたのでしょう。

 とにもかくにも、とんでもない乱暴者といっていい小野忠明と、それよりももっと乱暴者の小野善鬼、そんな二人をひき連れて回国修行していた一刀斎ってどれだけ強かったんだろうという印象は強く残るのであります。
2012/11/30 更新

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