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あなたの「泣くチカラ」を引き出してくれる
周五郎は涙のツボ押し名人だ


 世の中はせちがらい。仕事や勉強に追われ、情報の洪水に溺れ、目先の欲を追い求める。いつのまにかあなたの心も、ドライ・アイならぬ「ドライ・ハート」になってはいないだろうか? そんなときは「泣く」のがいちばん。あったかい涙で、疲れ切った心や砂漠のように乾燥してカサカサになった心にしっとりした「うるおい」を取り戻すのだ。
 涙といっしょに、自分を苦しめた会社や学校での嫌な思い出が洗い流される。そして、つまらないことで一喜一憂して、友だちの成功をねたんだり意地悪な上司を憎んだりする「ちっぽけな自分」までも洗い流してくれる。でも、どうしたら泣けるの?
 そこで、山本周五郎の登場になる。彼の作品には、どれにも心を揺さぶる思いやりや献身的な愛情、心を解きほぐすやさしさがぎっしり詰まっている。しかもそれだけじゃない。「他人を泣かせる卑劣な人間性」や「人間を泣かせる非道な社会」についても、鋭く踏み込んでいる。そのうえで、今は心おきなく泣けばいいと、教えてくれる。だから、ピュアな涙があふれてくるのだ。
 涙は明日を生きる活力だ。ひと泣きすれば、ぐっすり眠れる。翌朝には、社会生活に立ち向かう気力が、あふれていることだろう。

『さぶ』で一途な男の友情に泣く

 山本周五郎のことを、これから愛情を込めて「山周」と呼ぶ。実は、本人はそう呼ばれることを嫌ったそうなのだが、ここではあえてお許しいただこう。山周作品には、時代ものが多い。その題材も、「武家もの」「下町もの(長屋もの)」「こっけいもの」「岡場所もの(遊女もの)」「不思議もの」など、バラエティに富んでいる。
 まずは、江戸下町を舞台にした『さぶ』で泣いてみよう。
「小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた」──この書き出しからして、ウルウルくる。
 題名は『さぶ』だが、本当の主人公はさぶの親友の栄二といっていい。二人は同い年の住み込み職人。さぶは、不器用で愚鈍だが、誠実そのもの。栄二は、腕もいいし、男っぷりもいい。
 だが、誰かから無実の罪を着せられ、石川島の人足寄場に収容されてしまう。人間不信から社会を憎むようになり、復讐のことしか考えられない栄二。だが彼は、さぶや仲間、恋人のおすえの力で立ち直り、見事に社会復帰を果たした。ところが、ショッキングな真実が明らかになる。なんと、栄二の罪を仕組んだのは、最愛の恋人であり、いまでは妻のおすえだったのだ。彼の愛を独占したいがために。
 山周は、「あなたなら、どうする?」「君なら、妻を許せるかい?」と語りかけてくる。あなたも、「自分が栄二だったら、立ち直れただろうか」「許せる罪と、絶対に許せない罪とがあるはずだ」などと考え、大いに悩むことだろう。栄二は、おすえを許した。このクライマックスは、泣ける。
 ちょっとグズだが、純粋で、栄二を信じているさぶ。おすえだけでなく、さぶがいるから、栄二は生きていける。「栄ちゃん。おれだよ。さぶだよ」という人なつっこい声が、読み終わった後でもあなたの耳にエコーしているだろう。