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書籍名
著者名
文学少女たちの100年間
桜庭一樹(聞き手・編集部)
若い世代を中心に絶大な支持を得てきた著者の新作は、山の手のお嬢様 学校を舞台に、時代を疾走する文学少女たちのクロニクル。今最も注目の新鋭に、作品に対する想いを聞いてみた。
――デビュー七年目となる昨年、〈初期の代表作〉と銘打たれた鳥取の女三代記『赤朽葉家の伝説』を刊行されました。今回の新作は、山の手の伝統あるお嬢様学校・聖マリアナ学園の中で異端児(アウトロー)だけが集まる「読書クラブ」を舞台に、世紀にわたる少女たちの歴史を描くという、非常にそそられる設定ですね。
桜庭
『赤朽葉家の伝説』では故郷の鳥取の架空の村を舞台に、或る血族の五十年を書いたのですが、今回はひとつの学園という、より狭い場所が舞台になっているので、むしろ前回より長い歴史が描けるんじゃないかと思って一〇〇年の話にしたんです。膨大な数の色々な人間が、ひとつの限られた場所に出たり入ったりして、そしていなくなる、という話を書いてみたかったんだと思います。
――桜庭さんはこれまで、『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』『少女には向かない職業』『少女七竈と七人の可愛そうな大人』など、一貫して「少女」あるいは「少女性」を作品のモチーフとされてきましたが、これまでの舞台は地方都市が中心でした。東京が舞台で、しかも女子校という設定は意外にも初めてですね。
桜庭
今まで地方を舞台にしていたのは、大人になった人がノスタルジーを感じるのは“田舎の風景”なのではないかと思って書いていた部分があります。もちろん地方出身の人間が都市出身の人間よりも多いからということもありますけど、出自にかかわりなく「懐かしさ」を感じるものってありますよね。知らないけど、共感できるもの。そういう意味では“学校”もその最たるもののひとつだと思います。私は共学の、元旧制中学というものすごーくバンカラな高校に通っていたんですけれど、担当の編集さんがミッション系の女子校出身で、ふたりの会話の噛み合わなさが面白くて(笑)。「当時学校でセレブだったのは、角刈りで竹刀振り回してる応援団の男の子だったんですよ」「えーっ、私は慶應の男の子と遊んでました」「ふーん。それでその応援団の名物は泥鰌掬い三三七拍子っていう踊りだったんですけど」「え、何ですかそれ?」みたいな(笑)。それで、女子校という自分にとっては異次元の空間に興味を持って、どんどん妄想が膨らんでいったんです。でも、そこには不思議と懐かしさもあって……昔自分が入っていたテニス部の、女子更衣室に流れていた独特な雰囲気を思い出したり。今回は知らない世界だからこそ、思い切って場所や時代を超えた普遍的なものを描けた作品になったのではないかと思います。だから最初編集さんから、「都会の少女を書いてみませんか?」と言われたんですが、実はあまり都会である、ということを強く意識したわけではないんです。花園神社とか六本木とか中野ブロードウェイとか、ラベルとして東京の地名は色々出てきますけれど、むしろトポスに縛られないで生きているところが都会的であると言えるかもしれません。
――作中では女子高生が自分のことを「ぼく」と言ったり、独特のフォーマットで会話をしていますね。全体的にひとつの戯曲を観ているような感覚がありました。登場する女の子たちも、なんだか女優のように強烈な個性を発揮していますし。
桜庭
そうですね。一〇〇年の間に、アポロが月に到着したり、バブルが崩壊したり、IT革命が起こったりと、さまざまな時代の波が押し寄せるのですが、学園の中は閉鎖的な、箱庭のような空間にしたかったんです。そのために文体や台詞の言い回しも、世代によって変えず、敢えて戯曲のような、あるいは古い翻訳文学のようなフォーマットに統一しました。性別や時代を超えて、本を読む若者としての普遍性を出したかったので。書いているときは、ひとつの荒唐無稽な舞台を作るような気持ちでした。その中で一〇〇年間女子高生たちが演技をし続けているような……同じ年頃の女の子だけが集まっている、ある意味個性のない場所だからこそ、それぞれが演じているキャラクターを強烈にできたんだと思います。
――この物語は、アウトローの巣窟である「読書クラブ」に長きにわたって受け継がれてきた、秘密の〈クラブ誌〉を読み進めていく形で展開していきますね。そこには物語の中心にいる強烈なキャラクターたちが巻き起こし、学園の正史に残されること無く抹消された数々の珍事件が、いわば傍流の名も無い女学生たちによって脈々と記されているわけですが、桜庭さんの小説には常に傍観者たる存在が重要な役割を担って出てきますね。
桜庭
私はなぜか子どもの頃から、読書をするときに自分の中で感情移入するための装置として、傍観者をつくる癖があったんです。例えば『シャーロック・ホームズ』を読むとき、まずホームズは天才すぎて感情移入できない。となると普通はワトソンの視点で読むわけですが、子どもにとって彼はかなりオジサンなのでちょっと難しい(笑)。それで下宿のおばさんのハドソンさんを、勝手に自分の年齢に近づけて、「ハドソンちゃん」という架空のメイドの女の子を作って読んでいたんです。今回の作品も、物語の中心で歴史を動かしているのは、強烈な個性、言い換えれば欠損を持った少女たちなんだけれども、その影に無数の無個性で匿名的な「ハドソンちゃん」が各時代にいて、ストーリーを紡いでいるイメージかもしれません。
――なるほど。名もない無個性な読書クラブ員たちは時代の証人であり、感情移入の装置でもあるんですね。一方で、学園の変革者たりうる人物たちのキャラクターもそうですけど、桜庭さんはよく「欠損」とか「欠落」のあるキャラクターが好きと仰っていますよね。
桜庭
傍観者としての自分も意識しつつ、実は今回一番感情移入しながら書いていたのは妹尾アザミという人物なんです。彼女は聖マリアナ学園一の才媛であり、父親は一部上場企業の経営者で、母親は学園の卒業生のお嬢様という非常に恵まれた環境に生まれつきながら、自分の容姿に大変なコンプレックスを持っている。でも、このアザミの「私は劣ってる」という感情は、思春期には誰もが抱くものですよね。アザミも、読書クラブというごくごく少数のコミュニティの中では一目置かれているけれども、美しいものを至上とする乙女の楽園の中では、彼女が隠し持った美点は認められない。その劣等感とか欠落感みたいなものを、極端に描いたのがアザミというキャラクターかもしれません。でも自分もそうなのですが、結局、こういう欠落感が人を作っていくし、個性になっていくんじゃないかとも思うんです。この小説では、基本的に無数の少女たちが学園の中を流れるように通り過ぎていって二度と戻らないのですが、唯一、最後にもう一度登場させたのはこのアザミでした。誰の中にもいるような、すべての少女の象徴のようなアザミが、将来どんな人間になっているのか描いてみたかったんだと思います。だから、アザミだけは学園に戻ってきて、彼女が人生で得たことを若い少女たちに伝えて欲しいと思ったんでしょうね。
――読書クラブ員のようにつき放して客観している冷静な部分と、アザミのように渦中にいる人物にのめり込んで暴走している部分、この両極性が桜庭さんの小説の魅力ですね。しかしこの物語には確かに無数の少女たちが登場しますけれど、突きつめていくと、どれも一対一の人間関係の話になりますよね。
桜庭
ヘッセの『
知と愛
』とかデヴィッド・ボウイとミック・ロンソン(笑)とか、タイプ違いで一対一の関係性が強いものに惹かれるんです。今回だと、乙女の代表のような経歴で頭脳明晰なのにひどく醜い妹尾アザミと、ものすごくノーブルな美少女なのに下町育ちではすっぱな烏丸紅子の二人とか。特に同性同士だと、そういう一対一の関係性がどんどん濃密になって結晶化して、運命的なことが起こるという話が好きですね。でも最後の章に登場する五月雨永遠という女の子には、そういう運命的な「サムワン」を作りませんでした。何故か物語のラストに登場する人を一人にすることが多いんです。やっぱり一人で歩いていくのが未来かな、というのがずっとどこかにあるんだと思いますね。そうやってこれから先の一〇〇年間も続いていくのかな、と。
――最後に、これからの抱負をお聞かせください。
桜庭
私の作品はもともと十代や二十代を主人公にしたものが多くて、若い読者の方が多かったんですが、最近サイン会などに五十代の男性も来てくださったりするんです。私自身も大人になっていくにつれて、これからはもっと色んな時代の、色んな大人が出てくる小説を書いてみたいと思います。今後はより幅広い層の方に楽しんでいただければ嬉しいですね。
(「波」2007年7月号より)
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