青年のための読書クラブ
ストーリー
聖マリアナ学園入学パンフレット〈抄録〉
冒頭立ち読み 『第三章 奇妙な旅人』
書評
桜庭一樹大解剖〈書店員さんからのQ&A〉
桜庭一樹インタビュー
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2007年6月29日発売 1470円

読書という秘境
加藤幸子


 申し訳ないことだが、私は作者の名に覚えがなかった。編集者から以前はライトノベルで活躍されていた作家です、と教えられたが、そもそもそういう分野があることも初耳だった。本書の中でストーリーの暗喩として使われていた「シラノ・ド・ベルジュラック」や「緋文字」や「紅はこべ」などとも別世界らしい。それらは私が中学生のころ、あの時代にしては稀なる読書家だった祖母の書棚から借りだしては貪った世界大衆名作全集。文庫より一まわり大きい臙脂色のハードカバーだった。いずれも読みはじめたら下に置けなくなる面白さ。でも私が『青年のための読書クラブ』というノベルから連想したのは、むしろ私にとってなつかしいこれらの作品だった。
  しかも添付された略歴を見るまでは、桜庭一樹というお名前から、著者は男であると思いこんでいた。事実を知ってもそれほど驚かなかったのは、私がかねてより愛着する作家のアイザック・ディネーセンもまた男名を筆名として活躍したからである。
『青年のための読書クラブ』の舞台は聖マリアナ学園という幼稚舎から高等部までを擁する“お嬢様学校”である。一九一九年フランスの修道会から派遣された聖マリアナによって創立され、二〇一九年までの百年間はいかなる時代の変動にも変質することなく「閉ざされた乙女の楽園」として存在し続けた。本作品はいわばその傍流の歴史を綴った記録なのだ。
  従って本作品の登場者はほぼ全員が“少女”である。しかし“少女”のイメージほど一定しないものはない。世に様々の少女論がはびこる理由でもある。たしかに聖マリアナ学園には楚々とした乙女もリンとした美女もいるのだが、精神はきわめて“青年的”。仲間同士では「ぼく」を自称し、余計な女言葉は省いてしまう。そして彼女たちは恋愛には憧れつつ、「現実の男性には強い嫌悪感を抱いていた。彼らからはやはり、異臭がしたからである」。同じように男言葉を喋りつつも、別に男性フェロモンを嫌悪しない今どきの女子中高生とは著しく隔たっている。つまり現世では絶滅状態の「乙女の楽園」であるがゆえに純粋に保たれた“真性少女”たち。「王子」は少女たちの憧れを満たすために出現する。私が昔、在学していた女子学園にも、“擬似王子”は何人か存在した。「王子」、または擬似王子をつくるのは少女たちである。ゆえに彼らが自分たちのイメージに合わなくなると、残忍な所作で追いだすことになる。少女は自己愛の塊だからだ。
  かような面白すぎる物語から、少女コミックスを連想する読者もいるかもしれない。けれど私が読了したばかりのこの作品は、個性的な文体をもつ歴然とした“ノベル”だ。そして“ノベル”たらしめているのが、特に「読書クラブ」という倒壊寸前のごみごみした部屋に集う“はぐれ少女”たちの一団である。この異形のグループは卒業生たちのだれよりも、学園の秘史に通じている。薄暗がりのネズミが本のページをかじるような読書という、人目を引かぬ行為によって。あまたの真性少女とはいささか趣を異にする彼女たちは、がさがさの老女になっても「読書クラブ員」であり続けることができるのだ。
  聖マリアナ学園の最大の秘密をここで明かしていいものか、評者としてはいささか迷ってしまう。読者自らが知る娯しみを奪うことになるかもしれない。けれど“ノベル”の本質は、筋書を知りつつも読んでしまう、魅力にこそあるのだ。古今東西のノベルが繰り返し読み続けられるゆえんである。実は学園の創立者は清らかな修道女ではなくて、かなりいかがわしいその兄ミシェールであった。彼は己が性を四十年間隠し通して、妹が理想とした学園を築きあげたのである。作者の巧みな業による痛快な落ち、ともいえるけれど、私の想像はまたここで先に触れたディネーセンと思わず交差したのだった。ディネーセンの作品では、しばしば性の仮装が行われ、それが重要な意味をもっている。『青年のための読書クラブ』でも、少女たちとミシェールはジェンダーを越える。有性という重い衣を脱ぎすてて。



(「波」2007年7月号より)



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