青年のための読書クラブ
ストーリー
聖マリアナ学園入学パンフレット〈抄録〉
冒頭立ち読み 『第三章 奇妙な旅人』
書評
桜庭一樹大解剖〈書店員さんからのQ&A〉
桜庭一樹インタビュー
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2007年6月29日発売 1470円

  きれいは穢ない、穢ないはきれい。
  さあ、飛んで行こう、霧のなか、汚れた空をかいくぐり。
 
シェイクスピア著
『マクベス』

 一九八〇年代後半において、閉ざされた乙女の楽園たる聖マリアナ学園を、外の世界に吹き荒れるバブルの金色の風がとつぜん襲ったことは、後の正史には残されぬ暗黒の珍事件である。学園の中枢ともいえる生徒会こそがその不名誉をもっともひどくかぶった人々であり、起こった出来事をおそらく隠蔽するだろうからである。我が読書クラブがこのことについてわざわざ書き残さんとしているのは、ほんの少しだが事件に関わったからだ。
 一九八九年の秋からしばしのあいだ、我々は三人の亡命者(ストレンジャー)をかくまった。
 
 長らく、聖マリアナ学園生徒会は西の官邸と呼ばれ、選ばれし者だけが入室を許される聖域であった。黒煉瓦造りの荘厳な旧校舎五階に位置しており、いつの頃からか、四階から五階に上がる薄暗い階段の辺りに、生徒会一年生が門番よろしく立ち始めたため、一般の生徒は近づくことさえできなかった。東の宮殿と呼ばれるのが演劇部であり、古めかしい木造の体育館を占拠し、ドレスを身に着けては発声練習やダンスに明け暮れていた。ピンクのコンクリートでできた新校舎の隅にたむろしている新聞部が、北のインテリヤクザ。ちなみに、雑木林のそのまた奥の、聖女マリアナがナポレオン・アパートを模して造ったもののとうに廃墟となった、おかしな赤煉瓦ビルに巣くう読書クラブのことは、南のへんなやつ等、と陰で言われていた気もするが、記憶が定かではない。ともかく、西の官邸こそが学園の支配者であり、演劇部から生まれることが圧倒的に多いが年度によってはテニス部、バスケ部、声楽部、たった一度だがなんと卓球部から生まれたこともある、いわゆる王子と呼ばれる人々もまた、歴代の誰もが生徒会にはけっして逆らわなかった。なぜなら生徒会と共存することこそが青年の権力を安定させ、豊かで貴族的な学園生活を送る近道だったからである。
 生徒会の少女たちは、その多くが現役政治家の子女や、著名な政治家の孫娘などだった。さらに、たおやかなうりざね顔をした元華族の家柄の者も多くおり、これらが貴族院と呼ばれて実権を握っていた。問題が発生すると、政治家の血を引く少女たちが生徒会室の隅に集まって協議し、貴族たちに対処法を提案した。選挙という概念は存在せず、血筋が権力をあらかじめ保証していた。これが古くから続く伝統であり、外の世界がどれだけ変わろうとも、学園は、そしてその中枢たる生徒会は揺らぐことがなかった。一九八九年の春、新しき権力者が門戸を叩くその時までは。
 
「旧校舎のほうが騒がしいぞ。きっと、生徒会だ」
 窓から顔を出してつぶやいたのは、長谷部時雨という一年生だった。南のへんなやつ等こと、読書クラブの部室は、その日も学園の喧騒から遠く離れ、偏狭な静寂とでもいった空気に支配されていた。歴代の先輩たちが使ったアンティークのカップで紅茶を飲み、薄いビスケットを齧っては、書物を静かにめくっていた。埃だらけの部室には、誰が置いていったのか、不気味なブリキの人形が山になり、太鼓、法螺貝、狸や蝦夷鹿の剥製などのガラクタが、床や廊下に転がっていた。この年のクラブ員は非常に人数が多かった。その数三十名近くの大所帯で、埃だらけの古びた部室には、クリーム色の制服に身を包んださまざまな容姿の少女たちが溢れていた。洒落っ気のある者、ない者。髪を伸ばした者、短い者。座りきれずに机や窓枠にも鈴なりになって足をぶらぶらさせ、壁にもたれて立ち、古いドレスを敷物代わりにして廊下に座りこんでいた。
 ちょうどベビーブームのあおりで、学園が生徒数を増やした時期でもあった。また、外のバブル景気の影響で生徒たちにも華やかな空気が蔓延しており、その新しい華やかさに耐えられないおとなしい少女たちが、辺境の地に大量に逃げこんできたためでもあった。長谷部時雨は俳優の父を模したリーゼント風のショートヘアで、長い足を男のように組んで座る、ボーイッシュな一年生であった。この春から部長になった二年生、高島きよ子と仲がよかったが、きよ子のほうは時雨とタイプがちがい、内気な性格に似合わぬ並外れておおきな乳房を持ち、女性性の強烈さでほかの少女たちを圧倒する存在であった。ほかにも、小太りで親父然とした者、外交官の落とし子で鉄色の髪にグレーの瞳をしたハーフ者、関西弁を操る道頓堀者などが点在しており、部室は不思議な、過去の気配に満ちていた。あたかも、クラブ誌に登場するかつての少女たちが、舞台を再演するために時を越えて戻ってきたかのように。年度を経るごとにOGの数は増え、つまりは、再演のために集まってくる少女の数も、それに乗じて増える。それで今年はこんな大所帯なのではあるまいかと思えるほどに、彼女たちは過去の誰かによく似ていた。しかしだからといってなにをするということもなく、ただおとなしく書物をめくっては、紅茶を飲む日々であった。
「旧校舎が騒がしい? ……ほっとけ」
 その日、窓から顔を出してつぶやいた時雨に、短く返事をしたのは誰だったか。時雨は部室をふりかえったが、少女たちは書物に没頭していて、誰の返事なのかわからなかった。時雨は元気で好奇心も旺盛なたちであり、さきほどから、雑木林のそのまた向こう、中央政界たる西の官邸がなにやら騒がしいのが気になっていたのだった。
「なにか事件なのか」
 顔を上げて返事をしたのは、高島きよ子だった。重たい乳房を机にどっかり載っけて、頬杖をつき、フランス語で書かれた昔の詩集を読んでいた。おさげ髪を引っぱりながら、
「あんまり窓から顔を出してると、みつかるよ」
「みつかるって、なににだよ」
「西の官邸。ぼくらがこうして自由にやれているのは、このところ、生徒会からすっかり存在を忘れられているからだ。だけど、今年はこれだけの大所帯だ。静かにしていないとみつかって、危険分子だ、反社会的存在だ、なんて分析されたら、アウトだ」
「おぉ、怖い。それなら首を引っこめよう」
 時雨は笑いながら窓を閉め、長い足をゆっくりと組んでみせた。髪に櫛を入れながら、
「どうも、生徒会でクーデターが起こってるらしいからさ。ちょっとばかり気になっていたんだが」
「なに、クーデターだって? それを早く言ってよ。いったいどういうことさ」
 たちまち少女たちは書物を放りだし、窓に鈴なりになった。見ると、いつのまにか新校舎の窓にもたくさんの生徒がくっついて旧校舎五階を見上げていたし、校庭からはソフトボール部や女子サッカー部が、テニスコートからはテニス部が、立ちつくして同じ方向を見上げていた。体育館からは、色とりどりの衣装を身に着けてメイクまでした演劇部の面々が、昨年選出された王子である三年生を真ん中に、輪になって震えていた。
「ほら」
 ちょうどそのとき、旧校舎五階の窓からガチャンとガラスの割れる音がした。新聞部の腕章をつけたインテリヤクザたちが、メモ帳を片手に芝生を駆け回っていた。制服のままで銀杏の大木に登り、無理な姿勢でニコンのカメラを構え、幾度もシャッターを切る者もいた。これは時雨の友人であったらしく、時雨が低い悲鳴を上げて「君、危ないぞ……」とつぶやいた。風が吹いて、このインテリヤクザの制服スカートを舞いあがらせたが、聖マリアナ学園新聞部にこの人ありとほんの一部で尊敬を集めるカメラマン、少女の姿をしたロバート・キャパたる彼女は臆することなく激しくシャッターを切り続けた。「間抜けな下着が丸見えだ。どうしてあんな柄のを穿いてやがるんだ。今度、友人として一言、言ってやろう……」乙女の楽園たる、女ばかりの敷地では誰もその姿に驚くことはなかったが、友人である時雨は、見てしまったパンダ柄のおかしなパンツに、こめかみに人差し指をあてて悩んだ。
「時雨。それより、クーデターとはどういうことだ?」
「あぁ、それか。そろそろ今年の聖マリアナ祭の時期だ。しかし生徒会は春から権力が二分されていてね、運営をどちらがやるかで今週ずっと揉めていたらしい」
 時雨は、友人たる少女キャパから聞いた内部事情を、クラブの仲間にも披露した。
 長らく貴族院の一党政治とでもいった形で運営されてきた生徒会は、この春、変化の時を迎えていた。外の世界に訪れた突然にして空前のバブル景気は、これまでいなかったタイプの生徒を色つきの洪水の如く学園に送りこんだ。それこそが、扇子の娘たちであった。華族を初めとする名家の娘たちと、大企業の重役クラスの子女、高名な学者の子女などが集う学園に、数年前から、爆発するようにとつぜん資産を増やした、新興成金の娘たちが転入してきた。彼女たちのほとんどは中等部、もしくは高等部からの転入で、大学も外部進学することが多く、学園にいるのはわずか三年、もしくは六年という、つまりは奇妙な旅人(ストレンジャー・オブ・ストレンジ)であった。乙女の楽園にはふさわしからぬ、長く伸ばして染めた髪や、くるりとカールさせた前髪。クリーム色の清楚な制服まで、腰にぴったりフィットさせて肩パットを入れて改造を施し、靴もぺたんこのローファーではなくヒールつきのエナメル靴を好んだ。校則違反だとシスターたちに追いかけ回されても、どこ吹く風であった。朝礼で歌う賛美歌も覚える気がなく、いつも口パクで通した。彼女たちはつまりは鬼子であり、本来なら辺境でひっそりと暮らして、傷ついたハートを胸に卒業していくものであったが、時代の風はこの奇妙な旅人たちに向かってほんの一瞬、激しく吹いた。というのは、このころ外の世界ではリクルートと書かれた革命旗が振られ、一騎打ちの末に自民党一党政治が終わり、ドイツのベルリンの壁も風前の灯で、変わらず存在し続けると信じられていた概念が幾つも崩れいくさまが、テレビを通して報道され続けていたのだ。一方でこの年、天安門広場では、理想に燃える中国人大学生が、同じ国の青年兵士が操る戦車に文字通り轢き殺された。変わるのか? 変わらないのか? 紫や赤、黄色の扇子を持ったバブルの落とし子、その名も扇子の娘たちが学園の廊下を闊歩し、食堂できゃあきゃあと嬌声を上げると、これまで貴族たちに絶対服従であった大衆たる生徒たちが、しだいに彼女たちの真似をし始めた。たちまち制服は改造されてからだにぴったりフィットし、前髪はくるりとなり、革鞄にはお守り代わりに扇子がこっそり隠された。そうして――時雨が少女キャパから聞いたところによるとだが――春のある日、扇子の娘たちの代表たる三名が、生徒会室を訪ねたのである。入部希望の届出を持って。
「新聞部が事態に気づいて駆けつけたときは、なんでも、旧校舎四階から五階に上がる階段の途中で、すでに大立ち回りになっていたんだってさ。生徒会の一年生たちが、阻止しようと得意の日本拳法でがんばったが、たった三名の操る扇子に叩かれ、転ばされて、うっかり侵入を許してしまった。入部届を渡され、受理せざるを得なくなった。貴族院の面々は、たとえいても無視すればいいのだと考えたが、三名は負けずに、あれこれ五月蝿く提案するらしい。曰く、ミサの廃止。曰く、聖マリアナ銅像の撤去と偶像崇拝の禁止。曰く、食堂にミラーボールを設置し、大型ディスコクラブに。曰く……」
「ディスコクラブ? どうしてまた」
「きっと世界を変えたいんだろう、父親たちのように、とは、我が友キャパの弁さ。ところが……アッ」
 窓の外でおおきな音がしたので、クラブ員たちはまた身を乗りだした。ニコンのシャッター音が銃声のように炸裂した。「おぉ。ついに貴族院を追いだしちまったぞ……」「よくやるなぁ。アッ、ミラーボールだ」「たいへんだ。生徒会六本木化計画が実行されつつあるぞ……」「ハウスミュージックが聞こえてきた。扇子を振ってる。どういうことかね……」眼鏡を拭きながら、クラブ員の一人がうめいた。庶民たる生徒たちが歓声を上げて、部活そっちのけで旧校舎に集まった。大音響となったハウスミュージックに合わせて、清楚な制服姿のままで、白靴下にローファーを履いた足を鳴らして、踊りだす。鞄から取りだされた、グロテスクなほど原色の、赤や緑や紫の扇子が春の学園のそこかしこで舞った。テニスウェアの者も、体操着の者も、一緒に踊る。聖マリアナの銅像が、撤去されるのかと怯えるように春の風にカタカタと揺れた。若き革命政府によって倒される直前の、独裁者の銅像のように。永遠のあいまいな微笑を浮かべる聖女の、大仏の如き巨大な像はもはや風前の灯であった。
「こいつは、春の波乱だな」
 時雨が物憂げにつぶやいて、ぬるくなってきた紅茶を口に運んだ。きよ子が顔を上げ、妙にさめた調子で、
「六月の聖マリアナ祭は、さらなる大波乱だろう。君たち、ゆめゆめ目立つようなことはするなよ」
「わかってるさ」
 時雨がうなずいた。
「……しかし、悪ふざけで政治に参加するやつのことは、けっして嫌いじゃないがね」
 ちいさな声でつぶやいたとき、窓の外からひときわおおきな歓声が上がり、部室の壁までが軽く震えた。
 
 春の波乱は聖マリアナ学園を突風の如く激しく揺らした。いまや生徒たちはその出自からおおきく二分されつつあった。食堂でも、教室でも、廊下でも、扇子を隠し持ち制服もぴったりフィットさせた革命派と、旧態依然とした貴族側が気まずそうに顔を背けあい、互いに口も利かぬ有様となった。
 放課後のクラブ活動もまた同様で、同クラブ内で二分され、争いは激しくなるばかりだったが、南のへんなやつ等こと、読書クラブは争い事に奇妙なほど関知しなかった。政治から一定の距離を保ち、息を殺して成り行きを見守っていた。それは部長の高島きよ子の決定であり、慎重派たるきよ子の考えに部員たちは黙って従ったが、ただ一人、長谷部時雨だけは肩をすくめて「臆病だねぇ、きよ子さん」と茶化しながらも文句を言った。そうして髪にゆっくりと櫛を入れた。
 聖マリアナ祭の季節になると、学園はさらなる騒ぎに突入した。ハウスミュージックが鳴り響き扇子の娘たちが数を増やして踊り狂う中、今年の王子コンテストは波乱の幕開けとなった。賛美歌を歌わず、生徒会を占拠し、世界を変えるための提案をぶつけた最初の扇子の娘たち、あの三人組のうちの一人が王子候補となったのだった。三人はファッションの特徴ばかりが目だって、最初は素人目には見分けがつかず、扇子の色で緑と紫と桃色と区別されていたが、二年生の二人のうちの一人、紫の娘がもっとも器量がよく、凜として独特の華があった。彼女に庶民の票が集中し、この年、王子確実と噂されていた演劇部の二年生は惜しいところで競り負けた。貴族たちが驚いている間に、紫の扇子を振り回す改造制服の美少女が王子となり、庶民たちの歓声と鳴りやまぬハウスミュージックの中、舞台に駆けあがり勝利のパラパラダンスを踊った。残りの二人も、二年生は緑の、一年生は桃色の扇子を振り回しながら踊り狂い、体育館はたちまち大狂乱となった。その様を、上品なスーツを着た来賓のOGたちが、能面の如き無表情で見上げていた。若い者に感化されてうっかり踊りだしたお調子者も若干名、いたが、大半のOGは眉をひそめ、体育館から足早に立ち去った。
「諸君、いまこそ学園を改革しようではないか。銅像の撤去、偶像崇拝の禁止、そしてなにより、王子たるぼくが提案するのは、生徒会の選挙だ。我々を代表する政治家は、我々の手で選ぶべきだ。特権階級の子でなくては政治を司ることができない、くそったれの社会なんか、みんなで、この手で、いますぐ打ち壊してしまおう!」
 ハウスミュージックにかき消されそうになりながら、王子は胸を張って叫んだ。庶民たちは踊りながらうなずいた。体育館の外から様子を見ていた時雨が、きよ子をつついた。
「どうなると思う?」
「抹殺されるだろう。もって十日。いや、十日も生きていたら奇跡だな。……おい、巻きこまれないように気をつけたまえよ」
「……わかってるよ、きよ子。おっと、キャパががんばっているな」
 ニコンのシャッター音は、この日も銃声のように炸裂していた。
 そうしてつぎの日から、さっそく激しい選挙戦が始まった。王子たる紫の扇子の娘は、増え続ける扇子の娘たちを引き連れ、奇妙な花魁道中のように艶やかに校内を練り歩いた。我々の代表たる王子こそが西の官邸の主にふさわしいと唱えながら。一方で現在の生徒会はというと、引退を控えた三年生は頼りにならず、残された一年と二年が青息吐息で踏みとどまっていた。占拠された生徒会室を取りもどさんと、四階と五階のあいだの階段を上がろうとしては、扇子を振り回す娘たちに蹴り落とされてもんどりうって転がった。貴族階級の者は、実家が地価高騰のあおりを受け税金の支払いに苦しみ、政治家の子女もまた、リクルート事件の余波で与党議員であった父が失脚するなど、時代からの思わぬ打撃を受けていた。ふらつきながら立ちあがり、少女の姿をした政治家たちは伝家の宝刀を抜くことを決めた。その週のあいだに、OGによって運営される「銀杏の友の会」に連絡を取った。その動きはじつのところ、少女ジャーナリストたる新聞部によって尾行され、壁にくっつけた紙コップで盗聴されていたのだが、それは後になって判明したことである。北のインテリヤクザは普段は悪ふざけばかりでゴシップ記事を売りにすることが多かったが、政治が動くこの季節には、なけなしの誇りをかけ、報道の自由と中立を守った。そのせいで、生徒会室を占拠し校内を練り歩く扇子の王子の耳には、生徒会の暗躍は届かなかった。
 生徒会のOGたちが、後輩の悲鳴を聞きつけただちに集結した。いまでは政治家の妻、重役夫人、警察官僚などになった彼女たちは、肌艶もよく気品と自信に満ちあふれており、襤褸布のようにいたんだ後輩を優しく力づけた。金に糸目をつけずに大量の探偵を雇い、扇子の娘たちを尾行させ、彼女たちが夜ごと、六本木の街に繰りだしてパラパラと踊り狂う様を激写させた。同じぐらい肩パットが目立つ、ぎらぎらとしたバブルの男たちにしなだれかかる、あられもない王子のプリント写真が新聞部に持ちこまれたが、外部からの持込み写真を掲載することを、少女キャパが拒絶した。「この写真には思想がない。愛もない。撃つように撮っていないのだ!」踏みにじられたプリント写真に生徒会の面々はあわて、自分たちで大量に印刷して、ある朝、屋上からばらまいた。新聞部は報道の自由と中立を叫び、生徒会の暗躍と、王子の狂乱の夜、両方を号外として売りだした。またもや学園は二分された。王子を軽蔑する者、夜遊びさえも、世界を変える冒険なのだと支持する者が入り乱れる中、銀色のミラーボールはグロテスクな光を反射し、激しく回り続けた。選挙当日、しかし王子の姿はなかった。おれば、生徒会長に選ばれたかもしれぬ。だが、扇子の娘たちの最初の三人、緑と紫と桃色は、前夜に六本木にて揃って補導されてしまったのだった。おそらく「銀杏の友の会」の手が回ったのだろう。
 選挙の朝、待てどもやってこぬ扇子の娘たちに、支持者は不安を覚え、嘆き、やがてそれは怒りに変わった。こんなに信じたのに、期待したのに、なぜ裏切るのだ。夜の街での補導と謹慎処分のことがシスターたちから発表されると、怒った大衆はぞろぞろと生徒会室に上がっていき、ミラーボールを外し、窓に飾られた鮮やかな羽飾りを捨て、お立ち台を破壊した。期待を裏切られ、熱気は行き場をなくして、またたくまに怒りとなって爆発したのだった。窓から色とりどりの扇子が捨てられ、千羽の極楽鳥が絶望し飛び降りたかのように、聖マリアナ像の周りをふわふわと舞い、芝生の上に無残に散った。いつのまにか夏の始まりがやってきていた。日射しは熱かったが、学園は奇妙な静けさに包まれ、まるで水の中に沈んだように冷えていた。
 そのまま夏休みになり、狂乱と興奮はそのあいだに忘れ去られた。生徒会は秩序を回復し、秋の体育祭で王子コンテストをやり直すと決定した。改造された生徒たちの制服も、あっというまに元に戻った。知らぬは扇子の娘たちだけで、長い夏休みが明けて学園に帰ってくると、三人に声をかける生徒はもはや一人もいなかった。娘たちには理解できなかった。押せ押せムードには強かったが、逆境と戦う術など持たない、若く無謀な娘たちは、三人きりで荒野のような学園に残された。生徒会室からはミラーボールがとっくに撤去され、ふるびた丈夫な机と椅子と棚が並ぶ薄暗い場所に戻っていた。眼鏡をかけてまっすぐな黒髪をした少女たちが座り、学園の運営に忙しかった。階段はとうに封鎖されていた。とぼとぼと降りてきた扇子の娘たちは、べつの居場所を探して学園中をさまようこととなった。体育館に近づくと、ドレスに身を包んだ演劇部の面々が出てきた。そしてシェイクスピア悲劇の台詞でもって、落ちぶれた三人を、似合わぬ王位に固執した愚者に喩えて愚弄した。「いつにしよう、また三人いっしょになるのは、雷、稲妻、土砂降りに誘われて?」「騒ぎが終って、戦いが敗けて勝って、そのあとで」「それなら、日暮れまえに片附こう」「所は、どこだ?」「荒れ地がいい」「ひき蛙が呼んでいる」「どどん、どどん! それ、マクベスが来るぞ」声を合わせて囃され、三人は追われた愚者のように逃げた。校庭でも、サッカーボールが、ソフトボールが、テニスボールが飛んできて三人に当たり、痛さに悲鳴を上げて退散した。声楽部はソプラノで歌いながら彼女たちに背を向け全力疾走し、バドミントン部はラケットで殴りかかってきた。吹奏楽部は演奏しながら大人数で走りだし、ベートーベンの交響楽とともにおそろしい勢いで遠ざかっていった。何日も何日もかけて、哀れな旅人たちはつめたく広大な学園をさまよった。西へ……。東へ……。北へ……。そうして最後に、南にやってきた……。雑木林を抜け、追っ手を怖れるように。過去の栄光が諦めきれぬように。ふりかえり、ふりかえり、へんなやつ等がたむろする廃墟、ふるびた赤煉瓦ビルにたどりついた。古い地球儀や、バルコニーの大道具。埃だらけのドレスに、壊れた椅子。デカダンなガラクタに埋もれたビルを一歩、一歩、上がって、ついに赤黒いドアの前にたどり着いた。
「そのドアを、開けるな」
 いつになく不安そうな声で、部長の高島きよ子が命じた。本をめくり、紅茶をすすっていた部員たちは、そっと顔を上げてドアをみつめた。きよ子の命で、ここ数日というもの約三十名の部員は廊下にはみだすことなく、狭い部室に満員電車の如くひしめきあっていた。ドアを閉ざして気配を押し殺すことで、政変の季節をやり過ごそうとしていたのだった。
 ドアをノックする音が続いた。廊下に亡霊が立っていると言わんばかりに、読書クラブの面々は黙ってドアをみつめていた。震える者もいた。
 ノックは続く。
 立ちどまり、うろうろする足音がし、またドアを叩きだす。それが五分ほど続いた。窓辺で物憂げに頬づえをついていた長谷部時雨が、マクベスの一節をつぶやいた。「きれいは穢ない、穢ないはきれい。さあ、飛んで行こう、霧のなか、汚れた空をかいくぐり」誰も一言も口を利かなかった。ついに時雨が立ちあがった。椅子がおおきな音を立てた。大股で歩き、ドアに近づく。ドアノブを握ると、
「きよ子、ぼくは開けるぞ」
「……だめだ」
「汚れた空で困ってるやつ等を、見殺しにできるか。権力を求めたからといって、悪人だとも愚かだとも、ぼくは思わん。助けてやろう」
「そういうところが君の欠点だよ、時雨。君はいまに痛い目にあう」
「かまわん。……お涙頂戴はぼくもきらいだが、情けはべつに、堕落ではないのだ」
 時雨は勢いよくドアを開けた。




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