後日談
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さいしょのさいしょ。 「こぐさん、こぐさん、すごくこわ~くて面白いブログがあるんですよ、知ってます?」 隣に座る後輩がそんな触れ込みで教えてくれたのが、「リストラなう!」でした。たしか、「リストラなう!」というタイトルに変わってから、まだ5、6回目の記事がアップされた頃のことです。 「これ、面白いですよ。知ってます?」といわれると、すぐにでも読みたくなってしまうのが編集者の性分なわけで、目の前の仕事を一時中断して一気読みしました。 確かにコワイ。 で、どこの会社? 文章うまい。ただ者じゃない。 これから、どうなるの? どんな人が書いてるのかしら。 明日は我が身か…。 いろんな思いが渦巻き、思わず「これ、書籍化したい。著者に連絡とれる?」と後輩に声をかけていました。 (つづく) |
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著者であるたぬきちさんに初めてお目にかかったのは、4月の20日の夜。とあるファミリーレストランでのこと。連絡を取ってくれた後輩と二人でお目にかかりました。私たちの「ぜひ書籍化させてください」というお願いに、たぬきちさんは「ありがたいお話しですけど、いまは書籍化は考えてません。第一、辞めるまでちゃんと書けるか分からないし」とおっしゃいました。いろいろお話ししていると、謙遜ではなく、本当にブログが続けられるか、まだ自信がないんだなぁと言うのが分かりました。それになにより「いまはそれどころじゃない」という感触だったので、「もし気が変わったら、ご連絡くださいね」と言うにとどめ、それからは逆にいろいろと小社のことを取材されたりしつつ、ブログから離れて、出版界の様々なことについて話が盛り上がりました。 お話ししての印象は非常に気さくで、なんというか「頼れる先輩」という感じ。ああ、この人と仕事したいなぁと思わせる吸引力を持った方です。 帰りがけ、「今日、お目にかかったことを、同業他社の人と会った、という感じでブログに書いていいですか」とおっしゃったので、「ええ。お書きになる際は、美人編集者と会った、でお願いします」とお答えしたら、たぬきちさんはいい人なので、ほぼ言った通りに書いてくださいました。ムリさせてごめんね、たぬきちさん、と心で謝りつつ、まぁ、書籍化がかなわなくても、こうしてこのブログに登場できただけでも良かったな、なんて思っていた次第です。 (つづく) |
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それからずいぶんたって、ゴールデンウィークも明けた頃「いろいろ考えましたが、お願いします、という返事を頂きました!」と後輩に聞いたとき、しみじみと嬉しい気持ちと、背中がぞくぞくするような感覚を覚えました。それは「このブログを本にするっていったら、いろいろな軋轢があるかもしれないけど、10年後には、出版界変革期の激動を端的に表すものすごく貴重な資料になってる気がする。がんばろう!」という気持ちからきたものでした。 こうして、『リストラなう!』の書籍化のプロジェクトは始まりました。 (おわり) |
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「ねぇねぇ、今暇だよね?」 弾ける笑顔の上司と先輩が近づいてきたのはゴールデンウィークが明けてすぐでした。4月に異動したばかりで、特に急ぎの仕事がなかった私は、「はい!」と勢いよく返事をしたのですが、それが『リストラなう!』刊行に向けての怒濤の日々の始まりでした。 それまでも一読者として、たぬきちさんのブログは拝見していました。リストラが実況中継されているという生々しさはもちろんですが、本来ならばもっと早く真剣に議論されなければならなかった業界内の問題に実に様々なコメントが寄せられ、どんどんと議論が深まっていくことに、何より面白さを感じました。出版社に未来はあるのか、編集者はもう必要ないのか、電子書籍にどう立ち向かえばいいのか……。 また、同時に大きな不安も感じました。もし今会社を失うとしたら自分には何が残るのか。いや、何も残らないのではないか――そんな恐怖にも近い不安です。 そんな個人的な気持ちから、出版業界に限らず少しでも多くの“働く人”に読んでもらいたい! という願いを込めて、編集作業を進めていきました。 (つづく) |
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たぬきちさんからあった唯一の要望は、ブログが持っていた熱・空気感がなるたけ伝わるような本にしたい、ということでした。まずは、どのコメントに収録のお願いを申し出るか、取捨選択の作業を始めました。ブログをプリントアウトした(これぞまさに前時代的!?)超大量の用紙たちとひたすら格闘する日々です。 でも、きちんと読めば読むほど面白くて、泣く泣く誌面から外させて頂いたコメントも本当にたくさんありました。多くの人がこんなにも熱く真剣に意見を寄せ合うブログはなかなかないぞ! なんて、作業しながらひとり興奮したりもしました。 (つづく) |
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6月2日に、たぬきちさんのブログで「新潮社から書籍化されます」と発表があってから、コメントにも賛否両論意見が寄せられましたが、社内でもいろいろなことを言われました。(個人的なものではあるけれど)ある想いをもって進めていた作業ですが、コメント欄を読むたび、直接誰かに何か言われるたびに、本音を言えば、気持ちが落ちてしまうこともありました。僭越ながら、たぬきちさんの「心が折れる」という心境はこういうことなのか、と思ったりもしました。そんななか、徐々に応援のコメントが増えたことにももちろん勇気づけられましたが、頑張れと声を掛けてくれる同僚に励まされることも多々ありました。改めて、会社で働くということの心強さみたいなものも実感したのでした。 (おわり) |
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きっかけは、知人のKさんのtwitterに引用された書き込みでした。「ブログ更新しました。ブログのタイトルも変えちゃいました。名付けて“たぬきちの『リストラなう』日記”」。ん、リストラ? 年度末も押し迫った2010年3月30日の朝のことです。まだ2日分のエントリしかありませんでしたが、ぐいぐい引き込まれてしまいました。シリアスな個別面談をユーモラスに受け流す様子、辞めることを決断した人の明るさ、社内のそこここに発生するひそひそ話、金払いのよかった昔の話。全てではありませんが、どの話も私のいる会社で明日にでも起こってもおかしくないと思えたのです。 (つづく) |
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同僚や社外の出版関係者と会うと、必ず未来の話になります。たいてい、あまり明るい話ではありません。電子出版をどうとらえればいいか。他のエンタテインメントがたくさんある時代に、本は必要とされているのか。流通のこと、お給料のこと、いろいろと意見交換をするものの結論は出ず、最後は結局グチのようになることも多い。けれど、たぬきちさんは古い出版社の人間が抱える漠然とした不安に真正面から向き合っているように見えました。たとえ彼の考えに事実誤認があっても、コメント欄でばっさり叩かれ、次のエントリで訂正している姿はすがすがしささえ感じました。そこには自由さ、にぎやかさ、そしてたぬきちさんの前向きな思考の跡がありました。 (つづく) |
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同時に、実際にリストラに遭った方からのコメントには心が痛みました。ずっと会社で人とチームを組んで仕事をしてきたのに、45歳にしてたった一人で仕事を見つけないといけないとなったら、いったいどうすればいいんだろう。4月20日、本屋大賞のパーティのあと、たぬきちさんにお目にかかりました。名刺をお渡しすると彼はこう言いました。「僕の名刺は渡せない。見せるだけで許してください」。その瞬間、あ、もうこの人は組織の人ではなくなったんだと確信したのです。人と仕事をするのは楽しいし、会社に守られていると感じることも多々あるでしょう。けれど人は誰でもいつかは会社から離れなくてはいけない。そのときの心構えを、ずっとブログを通して教えられてきたような気がしています。 (おわり) |
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■ブログを書籍にする、その1 ブログを書籍にしようと決めた経緯は「あとがきにかえて」に書いたけど、実際に書籍を作るプロセスについてはまだどこにも書いてない。ちょうど編集部から「プロモーションの一環としてそういうことを書いてほしい」と頼まれたので、ここに書きます。 書籍の編集部に十年以上いたので、本は飽きるほど作ってきた。定型フォーマットに近い新書判、造本に工夫を凝らせる四六判(工夫できるってことは逆に言えば工夫しなきゃいけないってことで、仕事が増えるってことでもある)、単著、また多勢の執筆者がいる本、生原稿をまとめたもの、テープから自分で起こしたもの……。ホンマ、いろいろやってきましたワ。 けど、一種類だけ作ったことのない本があった。すなわち「著者が自分である本」。 書籍の編集経験がある人なら、「ほとんど自分が書いた本」というのが必ずあるはずだ。どういう理由でそんなことが起きるかはいろいろだけれど(原稿がつまらなかった、原稿が遅れた、そもそも原稿がなかった、著者が実在しなかった…とか様々ですよね)、でも最初から「自分が書いた本を自分の責任で出す」というケースは少ないと思う。 そういう機会があれば、この業界の人は誰もが飛びつくんじゃないかな? 「本を出します」と言うと、「じゃこれからは夢の印税生活ですね?」と返されることが多い。でもそれは間違ってますからね。年間何万タイトルの本が刊行され、その著者のうち何人が左団扇の印税生活を送ってるっていうんですか? ね? みなさんよくご存じでしょ。 印税生活に憧れないわけじゃないけど、それが夢でしかないことは業界にいればわかるはず。それでも、本を出す、ということについ反応してしまうのは、それがどんだけ面倒でかつ面白い作業かってみんな知ってるからだと思う。 今回の僕も、結局その誘惑に抗えなかった。しかも縁あって相手をしてくれることになったのは業界に名だたる文芸出版の雄・新潮社。これはワクワクしないほうがおかしいでしょ? そういうわけで、6月1日にブログを一応完結させた後、息つく間もなく怒濤の入稿が始まったのでした。 (つづく) |
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■ブログを書籍にする、その2 もちろん、新潮社のみなさんと仕事をするのは初めての経験だった。ていうか他社の人と本を作るってこと自体、初めて。 「へぇー」と思うことや「え?」と思うこと、「ほう!」と思うことの連続でしたよ。 一番最初に驚いたのは、初めて社屋を訪ねたとき。ロビーは狭いけど受付には三人も担当の方がおり、二階のミーティングスペースに案内されるとそこにも受付があって担当者がいる。ここはホテルかっちゅうの。執筆者を手厚くもてなそうとする、しかもそれが常態だということに驚きましたよ。 この二階のエリアには重厚な雰囲気の会議室や打合せ部屋がいくつもあって、なかなか興味深い。ある部屋には硝子戸のついた書架があって、時代がかった革装の本が並んでいる。よく見ると知ってる本がいくつもあって、それは新潮社歴代今昔のベストセラーなのだった。10万部超えると革装を特別に作って永久保存するんでしたっけ? 面白いよね。 別の会議室の書架には古くてヘヴィな全集や百科事典が並んでいる。この部屋は役員会とかでも使われると聞いたけど、出版社の多面的な歴史が形になって姿を見せてるわけで、本当に面白い。そのときの新刊やベストセラーだけを並べてるだけじゃこういう雰囲気は出せないものね。さすがは、社屋のどこかに三島由紀夫の亡霊が徘徊するという新潮社(僕は石井光太さんのブログで読んだんだけど、目撃者いますか?)。 逆に「えー?」と思ったのは、頑固なまでに古臭い作り方を踏襲してるとこ。例えば、今度の本はブログがベースで、収録すべきものはすべてあらかじめテキストになっている。だったら紙のゲラにするのは最後の段階まで待って、テキストエディタとかで原稿全体の制御をやればいいじゃん? と思うでしょ。ところが編集部では早々にゲラにしてしまって、そこからテキストやコメントを削ったりして全体の分量を整え、流れを作り、予定ページ数にしようとしたんだよ。削ると赤字で「何行マイナス」とか指示しなきゃいけない。大変だ。 案の定、その作業は難航をきわめ、目標ページ数に達したのは校了直前の三校でだった。担当者さんはすごく苦労したと思うよー。 これはたぶん、テキスト原稿を早々にゲラにすることによって、紙で読んだ時の感じをシミュレートすることを大事にしてるんだろうね。紙の上で読むことでしか得られない感覚ってやはりあると思うから。でも僕個人はその感覚に懐疑的で、そんなんにこだわるより効率と速度を重視したほうがええんちゃうか、と思う。ここに個人の志向を超えた、会社の文化の違いが出てるのかもしれない。僕の相手をしてくれたチームは新潮社の文芸出版の血筋を継承してる人たちだし、「紙の上で読む文芸書の質を上げる」ことにかけてはやはり日本でも有数の会社だと思うし。 あと、編集部と宣伝部の連携が素晴らしいのにも驚きました。これは宣伝を担当してくださった方のパーソナリティに負うところが大きいのかもしれませんが、一冊の本を出すにあたって筆名か実名かとか、顔出しのタイミングとか、取材のセッティングとか、本当にいろいろ心を砕いてくださってるのが伝わってきて、迫力モンでしたよ。 僕も宣伝部で書籍を担当してたことありますが、一冊の本に対してこれだけの手間をかけることはできなかったなー。だって、今回の本は7月末に出るたくさんの本の一冊にすぎない、もっとビッグバジェットの作品がいっぱいあるでしょ、宣伝広報の資源配分とか考えると「すげーな」「てゆうか大丈夫か?」と思ったですw。 あとはですね、編集部のみなさんがみんな素敵な女性だったこととか、夏になるにつれ編集長の服の胸元が開いて僕の視線がつい吸い寄せられて「いかんいかん」と思うのだが悲しいかなこれは中年男性の条件反射であって犬が電柱を見るとついマーキング衝動に駆られるのとまったく同じで対処する術はないわけですといったことが印象に残ってますかね。あ、地下の社員食堂でごちそうになったソース焼きそばも素敵でした。 ていうか、何事につけ、日本の文芸出版の最良の部分を担ってきて、それを未来に残そうとしてる出版社だってことを感じましたよ。文化というのは蓄積した厚みや、無駄とか遊びの部分がなければ形になり得ないものもある、と。これから時間やお金の効率がますます重視され、ドメスティックな出版社のさらにドメスティックな価値観が生き残っていくのは難しいかもしれません。でも、「日本にはこういう仕事をしてた企業があり、こういう価値を守ろうとしてたんだよ」と未来の人に伝えたいと強く思うのです。なぜって、そういう価値ってとても面白いから。 (つづく) |
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■ブログを書籍にする、その3 新潮社には「装幀室」というセクションがある。これは業界でも希有なことで、つまり出版社がデザイン部門を内部に持ってて、自社の商品デザインをほとんどすべて内製しているのである。 しかも、そのデザインが良い。美しく、商品に必要なインパクトがあり、作品を盛り上げる優れたパッケージになっている。“作品”へのリスペクトがあると同時に、良い“商品”、売れる“商品”たらんとする意志があるデザイン。この二つを両立させるのはなかなか難しいんですよ。 僕は前から「新潮社装幀室」の仕事が好きだった。以前いた会社で宣伝の仕事をしてたとき、文庫のマスコットキャラクターや、それを使ったキャンペーンなどを手がけた。それはなかなかうまくいったと思う。とくに予算や時間が限られたなかでの仕事としては、かなりうまくいった部類かと。 だがご存じの通り、文庫業界にはずっと以前からとても強力なマスコットキャラがいて、そいつがずーっと一人勝ちしてる。そう、あのパンダだ。 あのパンダがどんだけ書店の店頭で人々から愛されているか。みなさん、書店に行くと、マレーグマより一回り小さいくらいの、プラスチックの模型が文庫売り場に置かれているのを目にしたことがあるでしょ。そして夏になるとパンダが小さい浮き輪を持っていたり、水着を着てたり、冬になるとサンタの赤い帽子を被ったりしてるのを見たことあるでしょ。あれは新潮社の人が「これをパンダに着せてください」ってやってるんじゃないと思うんだよね。ほぼ百パー、パンダを愛する店員さんたちが自発的にやってるんですよ。 あのパンダは社外のデザイナーさんの仕事だと聞いたけど、つまるところあのパンダを採用した背景には「装幀室」をはじめとする新潮社の人たちの鍛え抜かれた眼力があるわけです。おそるべし。 宣伝マンだったときは「打倒パンダ」とひそかに思っていたわけですが、まあ難事業というか無理でしたね。その証拠に、この十年で各社文庫のマスコットキャラがどういう変遷をとげてきたか見てみるといい。十年間ずーっと変わらずにいるキャラが、パンダの他にどんだけいることか(十年変わらないキャラなんて滅多にいないんですよ)。 話がずれました。 パンダは新潮社デザインの典型例ではありますが、今回は関係ありません。 四六判だから単発というか一冊一冊が独立したデザインになるわけで。ただ、『電車男』『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』の2冊がweb発のタイトルの先行例として存在し、今回の本もこの2冊の存在を踏まえたつくりになったとのことです。 全文を入稿して初校が出そろった頃だったかな? 表1のラフデザインを見せてもらいました。まだイラストとかはアテウマでしたが、シンプルかつインパクトのあるデザインで、一目見て「これは美しい」と思いました。僕は、こういう、でかくてシンプルで動きのあるタイポグラフィが好きです。 その後、正式版のイラスト案が届きました。仁木英之さんの『僕僕先生』シリーズに素敵なイラストをつけておられる三木謙次さんが「タヌキにたかられたサラリーマン」のイラストを描いてくださいました。僕の顔かたちなどご存じのはずはないのですが、なんだか激似のイラストになっております。個人的にはそのサラリーマンに憑依して? いるタヌキが野獣っぽくて好きです。 造本という仕事はカバー周りだけじゃなくて、本文レイアウトの隅々にまで手がかかります。今回は横組みだし、40以上の章に分かれているし、引用文が多かったりしてたいへんお手数をおかけしました。章タイトルというか「その××」で始まる大見出しのデザインがとても見やすく、わかりやすくなってて嬉しかったですね。 「今どき本を出すなんて簡単じゃん。その証拠に、この本なんてすぐ出たわけだし」と思われる向きもあるかもしれません。しかし、何事にもこまごまとした仕事がついてまわり、誰かがそれを遂行しないと仕事は前に進んでいきません。今回、僕の思いつき? 暴走? で始まったブログが、こんなふうにいろんな人の手を経て「書籍」というかたちで書店さんの店頭に並ぶことになって、ほんとうにありがたいと思うと同時に、複雑な気持ちです。「いいのかな?」という気持ちですね。けど、ちょっとは類書にないことを書いているかも、という自負のようなものがあります。ふだんブログを読むような方はもうご存じのことばかりかもしれませんが、出版社ってなんだろう、どんなとこだろう、と思っているような方にはもしかすると目新しいかもしれません。よければお手にとっていただきたく、とお願いするしだいです。 それにしても今年の夏は暑い。表通りに面した窓を開けてると体温くらいもあろうかという熱気が流れ込んできます。もしかして東京は、沖縄や台湾より暑いんじゃないですか。ということは、マンゴーやグアバ、パパイヤ、ドリアンやアテモヤのタネを植えておくと、再来年くらいには実がなって食べられるんじゃないか。そう思いませんか。誰か、やってみてください。場所を教えてもらえれば、行ってご相伴にあずかります。 (おわり) |