プロローグ

 僕には母と姉がいる。
 物心ついたときから、父親はいない。母子家庭である。
 当然、生活は楽ではなかった。おかずが三食、もやしだったことがある。そのうち、もやしも出なくなって、ごはんだけになり、やがてごはんもなくなり、米のかわりにあられが食卓に出たこともある。
 そんなとき、母は、
「今日のごはんは、あられたい!」
 と明るく言い、僕と姉も喜んで食べた。
 貧乏だなぁ……とか、惨めだなぁ……と思ったことはない。
 当時の近所の人たちも、僕ら家族がそれほど貧乏だとは思っていなかったという。
 なぜか?
 母が無類のきれい好きで、僕たちを毎日、必ず銭湯に行かせたからだ。お金がないときは、
「持ってくっとば忘れました」
 と言わせて入らせた。
 たとえ着ている服がボロボロでも、清潔にしていれば大丈夫──母の知恵だ。
 人の悪口は言わない。別れた夫(僕の父)への文句や愚痴も言わない。たとえ身内でも金の無心はしない。
 そして、あいさつや片付け、食事のマナーなど、しつけにもうるさかった。幼少の頃は、とにかくよく怒られていた。
 でも、僕がいじめにあっていると知ると、小さい体で相手の家や学校に、何度も乗り込んでいってくれた。
 僕と姉のためには、文字通り、体を張ってくれていたと思う。
 こう書くと、行い正しき理想の母のように思えてくるのだが、僕が今やっているものまね。そのルーツも、実は母にあるといってもいい。
 とにかく「笑い」のツボがズレているというか、独特なのだ。なんでそういう発想をするのだろう、と思うことばかり。
 おかげで僕の家にはいつも、笑いがあった。笑い声がしない日なんてなかった。
 反抗期もなかった僕が、人生で一度だけ、母の言うことに逆らったのは「芸能人になる」といって東京へ出て行ったとき。
 母が言ったように、芸能界は決して楽な世界ではなかった。楽しいこともあるけれど、つらいことやいやなこともたくさんあった。
 そんなとき、僕にはいつも思い出す言葉があった。
「あおいくま」
 母に教えられ、小さい頃からつねに僕の胸の中にある言葉だ。

 あせるな
 おこるな
 いばるな
 くさるな
 まけるな

 この五つの言葉の頭の文字をとって、「あおいくま」。
 母はいつも言っていた。
 「人生は、この五つの言葉たい」
 いったいどんな母親だったのか、それはこの本を読んで知ってもらいたい。とにかく、いろいろな意味で「すごい」人だ。

 おかげさまで僕も、二〇一〇年に芸能生活三十周年を迎えることができた。
 デビューこそ順調だったが、決して順風満帆な日々だったわけではない。特に人間関係ではいろんなことがあった。
 そんなとき、何度も思い出したのが「あおいくま」だった。そしてそのつど、「あおいくま」に助けられてきた。
 東日本大震災や長引く不況も重なり、新聞やテレビのニュースでは何かと暗い話題ばかりが先行している。
 仕事場の人間関係で悩んでいる人。
 親子や家族の関係で悩んでいる人。
 友だちとうまくいかなくて悩んでいる人。
 こんな時代だからこそ、ポジティブに、そして明るく前を向いて進めるように、ひとりでも多くの人に、この「あおいくま」を知ってもらえたらうれしい。

 二〇一二年一月
コロッケ