こざわたまこ『負け逃げ』

発売前の短篇 全文公開!「美しく、輝く」
[書評]窪美澄「けもの道を全力で走り出す」
目次

目次

Ⅰ 僕の災い
Ⅱ 美しく、輝く
Ⅲ 蠅
Ⅳ 兄帰らず
Ⅴ けもの道
Ⅵ ふるさとの春はいつも少し遅い

 ゆきりんの発案で、ホームルームで席替えが行われた。私は、窓際のいちばん後ろの席になった。ゆきりんやハラエリとは離れた席だ。二人に、ここやだ、クジやり直して欲しい、と半泣きで愚痴を漏らしたら、最初は真理子超かわいそう、とか、ヒデジに頼んでこようか、と言ってくれてたけど、しばらくすると、あの雑誌モデルの子が歌手デビューした話に夢中になってしまった。

 めでたく隣同士になった二人は、自分の席に戻った途端、私のことなんか忘れたみたいに楽しそうにおしゃべりを再開した。ここからじゃ、何を話してるかまでは聞こえない。仕方なくシャーペンを取り出し、ノートに描いた四角の中に二人の姿を描きつけた。二人の口の近くにふきだしを付けて、その中身を想像してみる。私には漫画がある。そう考えれば、この席だって悪くない。ここなら、誰にも邪魔されずに漫画のことだけ考えていられる。

 ホームルームの締めに、保護者宛の球技大会のお知らせが配られた。今年はクラスの実行委員になってしまったので、かったるい。教壇ではなにやら当日の注意事項が読み上げられてるけど、耳に届くか届かないかの声量でぼそぼそ語られるヒデジの言葉を、クラスの誰一人としてろくに聞いちゃいなかった。

 今日もヒデジは、ヨレヨレのシャツの裾をインして、さらにズボンは丈が足りてない。靴下とズボンの間に見える素肌からは、南国の果物みたいにまだらに毛が生えている。足ほどには元気がない申し訳程度の髪の毛が、窓の隙間から吹く風にそよぐ。

 誰かの、ハゲ、という一言とともに、爆笑が起きた。小林君のグループだ。ゆきりんも笑っていた。でも、ヒデジは注意しようとはしない。それを見て、さえない中年男性教師が主人公の漫画ってどうだろう、と思いついた。いやだめだ、スダレハゲって時点で描く気がしない。

 バケツリレーの要領で、プリントを受け取る。前の席は、シュレーディンガー系男子筆頭、田上。田上は私にプリントを渡し終えるやいなや、早速イヤホンを取り出して音楽を聞き始めた。こいつは一人になるといつもこうだ。いつだったか、漫画のネタになるかなと思って、どんな音楽が好きなのって話しかけたことがある。そしたら、口ごもったあげく、普通の、と答えた。絶対自分では普通のを聞いてるなんて思ってない。どうせ、「普通の」クラスメイトに言ってもわからないと思ってるんだ。

 田上は自分が音楽を作ってるわけでもないのに、人とは違う音楽を聞いて、自分は周りとは違うみたいな顔をしてる。そんなにあからさまにしてどうすんの? って思う。目の前の丸まった背中はリズムをとるわけでもなく、ただ音楽の世界に没頭している、ように見える。退屈そうに教室を眺める田上の視線の先に、野口さん達がいた。

 野口さんは生まれつき足が悪くて、初めて見た時はちょっとおどろいたけど、一ヶ月も一緒のクラスにいたら、慣れてしまった。野口さんにというより、野口さんがいる教室の雰囲気に。なにより野口さんは頭もいいし、控えめでかわいい(ゆきりんよりよっぽど例の雑誌モデルに似てる)から、女子の間ではマスコット的な感じで好かれてる。

 田上と野口さんは、去年も同じクラスだったはずだ。二人が実は、幼馴染って噂を聞いたことがある。本当だろうか。漫画になるかな。幼馴染だってことを隠してる、音楽オタクの男の子と優等生の恋。なんて、陳腐か。

 そんなことを考えていたら、隣の席でおろおろと周りを見回す美輝ちゃんの姿が目に映った。さっき配られたプリントが、足りなくなってしまったらしい。美輝ちゃんにはホームルームが終わった後で、あのプリント見せて、と言える友達がいないのだ。特別性格が悪いってわけじゃない。基本的には笑顔だし、悪い人ではないのだと思う。それでも美輝ちゃんは、クラスに馴染むことができなかった。

 美輝ちゃんはいつも、集団行動に息切れしながらついてきてる。例えばグループワークがあると、必ずと言っていいほど美輝ちゃんが余ってしまう。でも、誰も同じ班にはなりたがらない。確かに美輝ちゃんは成績も良くないし、運動も苦手だけど、美輝ちゃんが余り物になってしまうのは、そのせいだけってわけじゃないと思う。

 歯の矯正中ということもあってか、美輝ちゃんの声はこもりがちで聞き取りづらい。名前を呼んでも返事が来るのは三秒後、やっと口を開いたかと思えば、これすごくおもしろい話なんだけど、とか言っちゃって、そんな前置きから始まる「私が昨日見た夢の話」は、当然ながらちっともおもしろくない。そういうエピソードのひとつひとつが、美輝ちゃんが「余ってしまう」理由だ。

 勉強もスポーツもできなくて、人間関係もうまくいかないとくれば、もちろん教師受けだってよくない。ヒデジに呼び出されることもしばしばだ。ゆきりんや小林君にはなめられっぱなしのヒデジも、美輝ちゃんの前では必要以上に威厳のある教師のポーズを取りたがる。ヒデジにすらそうさせてしまう弱さが、美輝ちゃんにはあった。

 さっきだってそう。机の移動の直後、挨拶程度によろしくね、と声をかけたら、鳩が豆鉄砲をくらったような顔で数瞬フリーズしたあげく、第一声は「ごめんね」だった。
「私なんかが隣の席でごめんね」

「私なんか」は美輝ちゃんの口癖で、これはちょっと前、ゆきりんも使ってた。美輝ちゃんの声真似で、もちろんギャグで。ジュースをおごってあげたりしたら、ありがとうのかわりに、
「ごめんね~、私なんかのために」
 ゆきりんが言い出したそれは、一時期私達の間で、少し流行った。

 美輝ちゃんはとうとうプリントを入手するのをあきらめたらしい。ではどうするのかと横目で観察していたら、あろうことか私のプリントを盗み見て自分のノートに書き写す、という荒業を繰り出してきた。嘘でしょ、と思ったけどどうやら本気で、椅子から転げ落ちそうなくらい体勢を傾け、こっちを覗いてる。試験のカンニングだったら一発でアウトだ。

 勇気を出して一言見せてと言えばいいのに、それができない美輝ちゃんの要領の悪さに腹が立って、私はさっさとプリントをしまった。ああ、と美輝ちゃんの喉から漏れたため息がちょっとおもしろかったから、漫画のネタのストックができた。

PAGE TOP