天国で君に逢えたなら
 僕の名前を覚えてくれたかい
 天国で君に逢えたなら
 僕たち二人の関係は変わっていただろうか
 僕はしっかりしなくちゃいけない
 そして未来を歩んでいく

 気分が滅入ることもあるだろう
 時には諦めたくもなるだろう
 心を打ち砕かれてしまうこともあるだろう
 お願いだから お願いだからって
 心から願うようになるさ
エリック・クラプトン「Tears in Heaven」

   プロローグ

Dear リサ

 俺は昨日、夏の貿易風が吹き荒れる頃まではもたないだろう、とドクター二宮に宣告された。お前が恐れていた通りだった。腺ガンや膵ガンは進行がとても早く、見つかったときは手遅れ。現在の西洋医学では手のつけようがないらしい。俺もその一人だそうだ。クオリティ・オブ・ライフを維持して人生を楽しむようにって、最後にドクターは力なく語ったよ。
 三十半ばにして……。まだ人生の折り返し地点にも達していないのに、何で俺が死ななきゃいけないんだって、憎しみや怒りが湧いてきた。タバコも酒もやらず、それなりに一生懸命やってきたのに……。
 ケントとサラはまだ幼稚園じゃないか。二人が成人するまで、あと十五年は生きていたい。
 しかし、これも運命っていうのかな。
“ビジネスが軌道に乗ってからにしようね”っていう忠告も聞かずに、自分の城がほしくて衝動買いしてしまった3LDKのタウンハウスも、早朝のサーフィンも、日本食レストランの経営も、今となっては全て夢のまた夢……。どうでもいいことだったんだな。
 リサ、謝りたいことがある。いや、謝らずにはいられない気持ちで胸が張り裂けそうなんだ。お前は聞きたくないかもしれない。善き夫、善きパパのイメージのままでいて欲しいかもしれない。でも、死が迫った今となっては、どうしてもお前に謝らないと、俺は死んでも死にきれない気がするんだ。

 ファミレスでバイトしながら、サーファーくずれだった俺は、あの当時、ハワイに住んで気楽に働き、サーフィンできれば幸せになれると心の底から信じていた。スローライフな南の島=ハッピーとな。
 俺が小汚いサーファー仲間とハワイのマウイに初めて来たのはよいけれど、ハードなフキーパには入れず、ワイレアのショアブレイクでパシャパシャ波乗りの真似をしていた時のこと、お前は覚えているかい。紺と白の地味だがセンスのよいビキニを着て、波間に遊んでいたお前と目と目が合った時のことを……。
 日系三世のお前は、ハワイ人女性と日本人女性の両方の美を兼ね備えた魅力的な女だった。おまけに、あの甘い香りのプルメリアのように、清純な初々しさがにじみ出ていたよ。それを見たとき、俺の身体はダラッと緩み、股間からサーフボードが空中にスピッと吹っ飛んでいった。
 ハワイ大学の学生で、夏休みを利用して女友達とマウイに休暇に来ていたお前を何とかディナーに誘えた時は、もう天にも昇る気分。何と言ったらいいか、自分がケリー・スレーターになってノースのパイプラインのチューブに勇ましく入っているようなハイな気分だった。いつも海から上がって来る時とは逆に、胸をグンと突き出し、身体全体から誇りがにじみ出ているようだった。

 その日のディナーは、ワイレアのゴルフコースにあるカントリークラブのダインだった。
 一泊十ドルのバンガローに貧乏サーファー仲間といた俺は、あの後急いでカフマヌショッピングセンターのメーシーズに直行して、親からくすねたクレジットカードで買った、コールハーンの靴やトミー何とかというオシャレなアロハで身を固め、AVISでマスタングのオープンを借り直したっけ。
 その日のディナー。
 お前は日系移民として一世紀くらい前に日本からやってきたグランパの苦労や、日系といっても三世くらいになるともう日本語はわからないことが多く、ジャパニーズ・アメリカンになってしまうこと、英語の苦手な一世のオバアちゃんをかわいそうに思い、ハワイ大に入って頑張って日本語をマスターしたことなんかを話してくれた。俺は日本では有名なプロサーファーで、たくさんのスポンサーが付き、湘南の海の見えるコンドミニアムに住み、ボードは弟子に運ばせ、自分はポルシェカレラのオープンで日本のコンテストを転戦しているとか、たくさんのことをあのディナーのときに語り合ったな。
 ウエスト・マウイの海、モロキニ島の横にゆっくり沈んでいく大きなオレンジに光り輝くサンセットを眺めながら、俺はテキーラサンライズ、お前はマイタイを傾けていた。
 気が付けばあたりは真っ暗で、レストランを囲むトーチの炎が優しく二人を包み込み、オープンエアのテーブルの俺達の頭上には、たくさんの光り輝く星達が、まるで二人の将来を祝福してくれているようだった。夜空を見上げた俺は、あまりの美しさと自然の壮大さ、静けさに、言葉を発することもできなかったよ。
 壮大な自然を作った創造主は、この数十億の男と女が住む地球の中から、俺とリサを結び合わせてくれたと、とても神聖な気持ちに包まれた。

 日本に帰ってからも、俺は手紙を送りまくった(実は代筆だったけど)。
 リサは、習いはじめたばかりだというのに、俺より格段に巧い日本語の手紙を書いて返信をくれたな。大学のこと、ハワイという島のこと、白人社会のこと、などなど。
 俺はサーフィンの大会で活躍したこと、スポンサーが付きすぎて困っていること、日本の四季や湘南の海について、色々書いた。
 それから一年後、俺たちは結ばれた。心の底から喜びがこみ上げた。俺の人生最高のときだった。

 リサ、許してくれ。

 俺は成功したプロサーファーなどではなく、ただ海に憧れてたフリーターの陸サーファーだった。稲村沖のハードコアなサーファーが集まるスポットなんか絶対入れない、臆病者なんだ。
 いつも逗子マリーナ沖のマッチョな男がたくさん集まるゲイビーチの、たまにしか割れないシュワシュワのスープ(波というより泡と言ったほうがいいのかな)で満足していた。ただボードにまたがって水平線を眺めていれば嬉しくなっちゃう、波のフェイスを走ったことなど一度もない、ヘボな陸サーファーだった。

 リサ、俺は嘘をついていた。

 俺は、二人は赤い糸で結ばれていた、なんて歯の浮くような台詞を何度も口走っていた。しかしそれは嘘だった。俺はアメリカ国籍のお前と結婚すれば、グリーン・カードが自動的に取れることを知っていた。あの首都高の渋滞のような閉塞した日本から脱出できる、という打算があったんだよ。ファミレスのフリーター生活がイヤでイヤでしょうがなかったんだ。
 俺は、ハワイに住めば幸せになれるって信じていたから、どうしてもグリーン・カードが必要だった。だからお前がアメリカ市民であることに目をつけたんだ。
 最初の三年間はお前が望むのにもかかわらず、子どもを作ろうとしなかっただろ。あれはな、イミグレーションがグリーン・カードをくれるまでじっと待っていたんだよ。
 三年経ったらオサラバするかもしれないのに、その前に子どもができちゃったら、お前から離れられなくなってしまう。

 リサ、俺にはまだ謝らなければならないことがある。
飯島夏樹『天国で君に逢えたら』