ある夏の昼下がりのことでした。営業部在籍中に訪れた書店で、大変な読書家でいらっしゃる店員の方と雑談していた時……。
「僕は、北杜夫の『
楡家の人びと』が、本当に一番大好きです。これほど素晴らしい小説はないと思う。物語の構成や登場人物の魅力。もう何においても、僕のなかではナンバーワンでオンリーワンなんです」
そんな風に言い切る姿に接し、私はとても複雑な気持ちになりました。
遠藤周作も好きだけど、やっぱり村上春樹も大好きだし、司馬遼太郎だって素晴らしい。「この作家が一番」と決めるのでさえ難しいのに、「この小説が一番だ」なんて、とてもじゃないけど決められない。私よりもずっとずっとたくさんの本に出逢っているのに、なぜ一冊だけを選べるのだろう。私よりもずっとずっとたくさんの本に触れてきたからこそ、選べるのだろうか。その潔さと自信に、憧れとどこか悔しさを感じたのかもしれません。
「一番好きだ!」なんて、熱烈な告白をされたからには読まずにはいられません。その場で購入しその晩から早速読み始めました。
『楡家の人びと』は、北杜夫さんの生家である斎藤家をモデルに書かれています。第一次世界大戦から太平洋戦争までの時代――登場人物としては、北さんの祖父の代から北さんご自身に至るまで――を背景に、精神科医・楡一族の栄枯盛衰が描かれます。関東大震災が起こり大きな戦争に流されていく、庶民にとって暗く辛い時代にも拘わらず、個性的で愛すべき登場人物たちがたくましく楽しく精一杯生きていく姿に、あの時代を生き抜いた人特有の強さを感じずにはいられませんでした。
これは有名な話ですが、三島由紀夫は『楡家の人びと』に対して、以下の言葉を寄せています。
「戦後に書かれたもつとも重要な小説の一つである。この小説の出現によつて、日本文学は、真に市民的な作品をはじめて持ち、小説といふものの正統性を証明するのは、その市民性に他ならないことを学んだといへる。〈略〉これこそ小説なのだ!」
こんなに絶賛されたら、もう読みたくてウズウズとしてきませんか!?
6月27日に発売となる「yom yom」vol.3では、北杜夫さんのエッセイをお届け致します。思い出に残る本を紹介して頂くコラム「人生の三冊」で、『楡家の人びと』執筆時のエピソードもご披露頂いております。“どくとるマンボウ”の人生の三冊とは果たして何か。どうぞご高覧下さい。
まだまだ未熟者の私には、「これが一番だ!」と言い切ることはできません。いつの日か死ぬまでに、「この小説を棺桶に入れてくれさえすればそれでいい」と思える本に出会えるのでしょうか……? うーん、今のままだと、菊の花ではなく大量の本に囲まれて見送られることになりそうです。最期のとき、好きな本に囲まれていられるというのも、それはそれで幸せかもしれませんが。
「yom yom」編集部(M・T)