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yom yom ヨムヨム 23号 特別定価:780円(743円)

自転車に乗って

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 のっけから私事ですが。半年くらい前から、アメリカのモデルを台湾で真似して作った(パチもん?)自転車を買って(けっこうカッコいいのです)チャリンコ通勤をしていますが、この暑さにネを上げてまた電車通勤に戻ろうかなあと迷っています。おまけに小社は高台の上にあって、最後が憎たらしいほどの急坂、そこに差し掛かるたび「ああ会社に行きたくない」と思いがちです。
 逆に言えば、帰りは下り坂になるわけで、仕事明けに携帯用プレイヤーで好みの音楽や落語を聴きながら夜道をダラーッと降っていくのは悪くない気持です。最近のヒットは、意外や小林秀雄の最新CD『正宗白鳥の精神』。赤瀬川原平さんや茂木健一郎さんなど小林秀雄の講演のファンは多いのですが、彼の講演が面白い理由は、中味の充実もさることながら、ウケなかった時の反省から古今亭志ん生のレコードで語り口を勉強したり、庭で声を出して喋る練習をしていた、という努力の賜物でもあるのでしょう(声の高さが、志ん生に似ています。また志ん生同様、江戸弁の魅力的な使い手でもあります)。未完の遺作「正宗白鳥の作について」の端緒となったこの小林秀雄最後の講演は、現場にいた大江健三郎さんの文章(『最後の小説』所収)によると“聴衆は知的に質の高い熱狂のうちにあった”由ですが、CDを聴くと、聴衆は小林秀雄の軽口にも実に敏感に反応して笑い声が多く、「よくウケてるなあ」とも感じます。
 ところで先日、仕事を終えて、会社からそのまま自転車でレイトショーの映画を観に行った帰り道、退屈しのぎに「自転車の出てくる映画」を思い出してみました。映画における自転車は、画面にふいに風が吹いたような運動性を盛り込めるので(女優の髪を優雅になびかせもします)、貴重な小道具です。先の小林秀雄の最後の講演があったのと同じ頃に封切られたピーター・イエーツ監督の「ヤング・ゼネレーション」という、自転車とイタリアに熱中する男子高校生が主人公のアメリカ製青春映画がありました。大好きな映画ですが、川本三郎さん以外でこの映画に触れている文章をあまり見かけず寂しい思いをしていました。それが昨年、「yom yom」vol.1の取材でアメリカに行った時、DVDストアでこの映画が古典的名作の扱いを受けているのを発見して、ナニモノかに「ざまあみろ!」と思ったものです。邦画では、北野武監督「キッズ・リターン」も男子高校生が主人公で、自転車の疾走場面が幾たびも出てきますが、とりわけラストシーンの、校庭をぐるぐる廻る逆さ二人乗り(と呼ぶのか?)には泣けます。
 ベルナルド・ベルトルッチ監督の「ラストエンペラー」では、少年時代の溥儀がイギリス人家庭教師(実在の人物で、のちに『紫禁城の黄昏』を書くR・F・ジョンストン。この役を演じたピーター・オトゥールがまたよかった)から自転車を貰い、子宮のような紫禁城を走りまわります。この時、自転車は西洋的近代の象徴であり、古臭い牢獄のような宮廷からの脱出を夢見させる道具でもあるようです。やがて清朝も、満州国も崩壊した後の新中国で、老いた溥儀が幾多の民衆とともに自転車に乗る場面は、ついに自転車に乗って牢獄から出られたふうでもあり、奇妙に胸を打ちます。ほかにも、相米慎二監督「翔んだカップル」で薬師丸ひろ子が乗った自転車、J=L・ゴダール監督「勝手に逃げろ/人生」でナタリー・バイが乗った自転車(走行シーンの美しさという点では最高かも)、フランソワ・トリュフォー監督「突然炎のごとく」でジャンヌ・モローが乗った自転車なんかも忘れがたく、アニメだと「茄子 アンダルシアの夏」も「ヤング・ゼネレーション」同様自転車レースもので……って実はこの映画は見逃していますが、黒田硫黄さんの原作マンガは傑作でした。
 じゃあ、小説家と自転車の関係はどうでしょうか? まず夏目漱石に「自転車日記」というエッセイがあります。ロンドン留学中、神経衰弱に陥った漱石は、気晴らしにと当時(1902年)かの地で流行っていた自転車の練習に引っ張り出されます。これが全然うまく乗れないのに(「大落五度小落は其数を知らず、或時は石垣にぶつかって向脛を擦りむき、或る時は立木に突き当って生爪を剥がす、其苦戦云う許りなし、而して遂に物にならざるなり」)、知合いの令嬢が漱石は自転車に乗れるものと早合点して、ウィンブルドンまでの遠乗りを持ちかけてきます。その早合点を訂正せずに、遠乗りからは必死で逃げようとする会話の抱腹絶倒ぶりは、もうほとんど『猫』の苦沙弥先生で、大いに笑わせます(「自転車日記」の二年後に『吾輩は猫である』は書かれます)。『紫禁城の黄昏』のジョンストンは、漱石より七歳下ですから、小さいときから自転車に親しんできた世代なわけです。
 もう一人、文豪がいて、「焼跡のイエス」などで知られる石川淳は、溥儀の七つ年上。彼の「明月珠」という短篇小説は、主人公が自転車を仙人の雲に見立てて乗ろうと苦労する、奇妙な味の小説ですが、どうやら漱石同様、この作者も自転車は苦手だったみたいです。自転車を西洋渡来のモダンなものと捉えている感じもあって、そこは実際にロンドンで乗っていた漱石と違い、溥儀と同世代らしく、西洋と東洋の距離があった時代(あるいは、東洋が本格的に西洋に憧れ始めた時代)だなあと思えます。
 きちんと自転車に乗った名場面は書かれていないのか、と云うと、さらにもう一人の文豪の名作があります。大江健三郎さんの『個人的な体験』。井上ひさしさんの『自家製 文章読本』にも引用されていますので、そちらから井上さんの地の文も含め、孫引きします。
「自然を捉えるには、目、耳、鼻、肌など、人間の感覚器官を全開しなければならない。(中略)自然に感覚器官をぶっつけ、客観世界と親しくふれあう。このふれ合いによって精神が踊り出し、自然と自己が同時に発見される。このときこそ文章が踊り出すのである。こうして文学言語が誕生する。
 雨の早朝、鳥(バード)は「赤ちゃんに異常があります」という電話を受け、自転車で病院へ向う。鳥(バード)は客観世界に怯えながらペダルを踏む。彼の怯えはやがて読者のものにもなるのであるが、それというのも作者が鳥(バード)の感覚を全開させているからであろう。「日本文学史上もっともみずみずしい自転車走行シーン」を引用してこの項を終ることにしよう。われわれは怯えながらも心を洗われずにはいない。

 ……鳥(バード)は風圧にさからって上体を右にかたむけ、自転車のバランスをとりながら走る。舗道のアスファルトを水の薄い膜がおおっているのを疾走する自転車のタイヤがこまかく波だたせ小さな霧のように飛びちらせる。それを見おろしながら体をななめにかしがせて自転車を走らせているうちに、鳥(バード)は眼まいを感じる。かれは顔をあげた。見わたすかぎり夜明けの舗道にはいかなる人影もない。舗道をかこむ並木の銀杏は濃く厚く葉を茂らせ、それら数しれない葉のそれぞれが豊かに水滴を吸いこんで重おもしくふくらんでいる。黒い樹幹が、深い緑の海のかたまりを支えているのだ。もしそれらの海がいっせいに崩壊したなら、鳥(バード)は自転車もろとも、青くさく匂いたてる洪水に溺れるだろう。鳥(バード)は樹木群がかれを脅かすのを感じる。はるか高み、梢のあたりの秀でた葉むらは、風にざわざわ鳴っている。鳥(バード)は茂った木立に狭められた東の空を見あげた。いちめんにそこは灰黒色だが、その奥底にわずかながら薄桃色に滲んでいる陽の気配がある。卑しげに羞じているような空と、駈ける尨犬のように荒あらしくそこを乱している雲。数羽のオナガが、鳥(バード)のすぐまえを野良猫さながらふてぶてしく横切ってかれをよろめかせた。鳥(バード)はオナガの群の淡青色の尾に銀色の水滴が虱のようにたかっているのを見た。鳥(バード)は自分が怯えやすくなっていること、自分の眼、自分の耳、自分の鼻の感覚が、過度に鋭くなっていることに気づく。……」

 大江健三郎さんが悪文家だと評されるのが、いかにデマに満ちたものであるかがわかる、美しい場面です(この前後の文章もきわめて力に満ちたもので、筆力鼎をあげる、というオモムキがあります。新潮文庫版p.27-29)。 
 この作品の赤ちゃんのモデルになったのが、のちの作曲家大江光さんですが、たしか『個人的な体験』のアメリカ版ペーパーバックの裏表紙は、光さんと自転車の二人乗りをする作家の写真だったと記憶しています。
 六月から秋までの、大人になりきれていなかった一青年の地獄めぐり、とも読むことのできる長篇小説『個人的な体験』を、夏の終りの一冊にいかがでしょうか。BGMは木村拓哉氏出演のWOWOWのCMでも有名なクィーンの「Bicycle Race」で――って全然あわないなきっと(いや、熱っぽい大江節と意外とあったりして)。

「yom yom」編集部(K瀬)

2007年08月15日
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