「虚実皮膜の間」という有名な近松門左衛門のフィクション観があります。ウソとマコトを巧みにつなぎ合わせ、こね合わせて、花も実もあるフィクションができる、というわけです。ところが、西洋の小説、それも明治期に西洋で流行っていた自然主義小説の影響を受けて始まった近代日本文学は、マコトのほうを熱心に書く自然主義≒私小説と、華やかなウソをもっぱらとするエンターテインメントの二つに別れてしまいました。妙なところでクソ真面目で、生活態度はそれほどでもないのに文学を論じる時だけは儒学者ふうになってしまう日本の文学者は、マコトのほうがウソよりエライと思いがちで、「ドストエフスキーもトルストイもフローベールも高級は高級だが、結局は作り物であり読み物である。所詮偉大なる通俗小説である」(久米正雄・大意)と否定される始末でした。おのれのハラワタを見せる誠実な(でも暗くて、いささかナルシスティックな)私小説こそ、リアルで心を打ち、文学の大道である、というわけです。さすがにこの粗雑な考え方を修正しようと、ウソとマコトをひとつに纏めあげ、アウフヘーベンするべきだ、としたのが横光利一の「純粋小説論」でしたが、理論を実践に移すことなく横光は死んでしまいます。
大学の1年生向けの最初の授業の最初の20分くらいで上のようなことは習うと思います。その後、横光理論をいわば実践に移した最初の世代が司馬遼太郎さんや大江健三郎さん、丸谷才一さんらであり、その後70年代末ころから、両村上さん、山田詠美さん、よしもとばななさんらによって決定的な更新がなされる(読者層の変化も大きい要因でしょう)という文学史になるわけです。
ウソとマコトをいちばん卑近な例で考えると、実在の人物、事件をどう小説にするか、という問題になります。みんながよく知っている事件をいかに芝居に仕立て上げるかは、近松だって悩んだテーマでしょう。
司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』の第一巻前半に、主人公である秋山好古、真之兄弟が東京で一緒に暮らし始める名場面があります。酒好きで、いささか奇人のオモムキがある好古は下宿に茶碗をひとつしか持たず、酒を呑みほすと弟の真之に茶碗を渡し、真之がそれでごはんを食べると、また取り返して酒を呑む。「早く食え」とせかしたりもします。真之は、兄は変ったひとだなあと興味を覚え(しばらく離れて暮らしていたのです)、そこから日本の将来についての議論が始まるのですが、茶碗という小道具が実に効果的で、そっけない下宿先が眼に浮かぶようですし、兄の奇人ぶり、弟の真面目さが読者の記憶にあざやかに残り、好感も持たせます。このキャラクター設定が後段の日露戦争の場面で大いに活かされるわけです。
資料の少ない江戸期以前を描いた時代小説ならともかく、日露戦争という日本近代史の大事件を主軸に据え、史実もかなり明らかになっているテーマだし、司馬史観といえば必ず持ち出される作品ですから、てっきりこれに似た事実はあるのだろうと思っていました。ところが、司馬番だった編集者の回想録(和田宏『司馬遼太郎という人』)によると、この茶碗酒の場面は大嘘だそうです。さらに、『竜馬がゆく』で、おりょうが竜馬のために庭の菊の花をすべて切り落とし、その花びらで枕を作ってあげるエピソード、見事におりょうさんのキャラクターを浮き彫りにさせますが、これも全くの創作の由です(竜馬モノのある芝居でこのエピソードを使われ、司馬さんは「史実と違うのに」と困惑していたそうです)。
おりょうさんのほうは嘘くさいなあと思っていたし(高知出身者のカンです)、僕の一番好きな司馬さんの長篇小説『
項羽と劉邦』は、大学の授業で「史記」その他を読まされた身には、ほとんど資料がないことをよくぞここまで(実に実にもっともらしく!)作り上げて書けるものだ、と感動し驚嘆していました。しかしそれは2200年も前の中国を描いた時のこと。『坂の上の雲』の茶碗酒にはすっかり騙されました。実にうまいなあ。伝えたいことがあれば史実なんかどうでもいい、というか、こういうウソを差し出した方がより歴史のマコトに近づけるのだ、ということでしょう。
こういうウソとマコトをない合わせる筆法をさらに精妙に、複雑微妙に、玄妙にした短篇小説が辻原登さんの「
枯葉の中の青い炎」です。昭和三十年、三百勝を目前にしながらなかなか勝てずに喘ぐ老投手スタルヒンと、彼を見守るチームメイトの相沢進。やっと三百勝を達成した試合の裏には、相沢があやつる南洋の秘術があった……。もちろん二人は実在の人物であり、スタルヒンは三百勝をあげた一年半後交通事故で死に、相沢は野球界を引退したのち、生まれ故郷のミクロネシアに帰り大酋長となります(この小説が発表された二年後の二〇〇六年、相沢は亡くなります)。ウソとマコトがみごとに交錯する、川端康成賞受賞の名品にして、野球小説の白眉です。日本シリーズ、ワールドシリーズの観戦のおともにどうぞ。野球評論家(元西鉄ライオンズのスラッガーで、斯界の名文家でもあります)の豊田泰光さんが「週刊ベースボール」でこの小説を絶賛しながら、「私はスタルヒンからホームランを二本打った」と自慢話になっていくのを読んで、思わず爆笑してしまいました。野球黄金時代のスター選手は、やっぱりこうでなくちゃあ。
「yom yom」編集部(K瀬)