白色の表紙、
yom yom vol.2の編集作業が佳境に入りつつある頃、編集長が満面の笑みで、「くまちゃん」とタイトルの書かれた原稿を私に渡してき、「角田光代さんのお原稿、とても面白いから読んでみて。あなたの学生時代はきっとこんな感じかしらと思ったよ」という意味深な言葉を残し去っていきました。訳が分からなかったものの、角田さんの小説のいちファンだったので、早速読み始めました。
いわゆる“ダメ男”に振り回された結果失恋してしまう女の子、苑子の視点で話は進んでいきます。出逢ったその日に関係を持ち、「おれはね、何っていうんじゃなくてやっぱりどのジャンルにも縛られないようなことがしたいなとは思うんだ」という将来の夢を熱っぽく語る〈くま〉柄のシャツを着た男は、たちまち家に転がり込んでくる。――倉田真由美さんの「だめんず・うぉ~か~」に出てきそうな、典型的なダメ男です。編集長の想像通り、確かに自分自身の学生時代がありありと蘇りました(今となっては淡い思い出ですが! フッフッフ)。たった3ヶ月足らずでくまちゃんは行方をくらましてしまうのですが、3年後、苑子がくまちゃんを思い出すシーンは圧巻です。過去の痛みを自分なりに消化して、その上であんな風に思えるんだと、苑子の成長と優しさに思わず目頭が熱くなりました。
同じく、ダメな男が描かれた小説として有名なのは、織田作之助『
夫婦善哉』でしょうか。大正末期から昭和初期の大阪を舞台に、芸者あがりの蝶子と、妻と娘を捨てて蝶子と一緒になった柳吉の毎日が描かれます。商売に熱心になれない柳吉に代わって、ヤトナ(日雇いの仲居仕事)稼業に精を出す蝶子ですが、せっかく稼いだお金も柳吉の芸者遊びに消えてしまいます。仕事に嫌気が差すとふらふらといなくなり、浪費して帰ってくる柳吉を、しめつけ、しめつけ、打って、撲って叱り付けても、「く、く、く、るしい」「どうぞ、かんにんしてくれ」と請われると、ついつい許してしまう。この繰り返しこそが二人の日常で、その関係性を端的に表していると思います。稼ぎもなく、蝶子のことを「おばはん」と呼び、女房の尻に敷かれている情けない柳吉なのに、例えば、柳吉の吃音も、蝶子にとっては可愛らしく思えるのでしょうか、決して別れたりはしません。まさに、「だめんず・うぉ~か~」です。しかし、読み進めていくと、どうしたことか、柳吉を憎めない気持ちも生まれてくるのです。もちろん、織田作之助の描く大阪弁の会話の小気味良さや、文章のリズムの心地良さもあるのでしょうが、柳吉に寄りかかられる重みさえも蝶子には愛おしく感ぜられるのかなぁ、などと、まだ「夫婦」という関係を知らない私は妄想を膨らませるばかりです。小説にはない展開ですが、映画で柳吉役を演じた森繁久弥さんがラストシーンで放つ、「たよりにしてまっせ、おばはん」の名台詞には、『夫婦善哉』という物語のキモが、ぎゅっとまとめられているように思います。
『夫婦善哉』と言えば、今年の十月に雄松堂出版から、『夫婦善哉 完全版』が発売されました。未発表であった「続 夫婦善哉」の原稿が発見され、写真とともにまとめられています。舞台は大阪から九州の別府に移ったものの柳吉のダメ男ぶりは相変わらずですが、時を経た二人の熟れた関係を描いた結末には、無頼派の顔とも言える織田作之助の、理想の夫婦像が重ねられているような気がします。
「yom yom」編集部(M・T)