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yom yom ヨムヨム 23号 特別定価:780円(743円)

春にして君と別れ

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「千の風になって」の詩を、歌になる遥か以前、十年ほど前から僕が知っていたのは、前田陽一氏の最晩年の日記(「映画芸術」前田陽一追悼号、のち『含羞のエンドマーク』あすなろ社所収)を読んだためです。前田さんは「進め!ジャガーズ 敵前上陸」「喜劇・あゝ軍歌」「神様のくれた赤ん坊」など独特の喜劇映画で知られた映画監督。
 日記によると、前田監督は、南木佳士さんの芥川賞受賞作「ダイヤモンドダスト」の映画化を企画したことがあり、これは喜劇ではなく、さまざまな死を看取る看護士の物語なのですが、その演出ノートのように、「千の風になって」が引用されていました。この詩の死生観のような映画を作るのだ、というわけです。
 映画化を果たせずに監督は亡くなり、「千の風」はご存じのように、もう一人の芥川賞作家の作曲によって歌となり、大ヒットしました。前田監督は「作者不明」と書いていますが、あの詩がアメリカの白人の一主婦の手によるものであることも、もう有名でしょう。
 先日、瀬戸内寂聴さんの講演を聞きに行ったら、例の「私のお墓の前で泣かないで下さい そこに私はいません」というフレーズについて、「あれ、困ってるんです。お墓にもいないし、仏壇にもいないとなると、お墓も仏壇も要らないことになって、お寺は困るんです。お墓にいるし、仏壇にも、きちんといるんですよ、大事にしてあげて下さい」と軽妙に仰ったので、聴衆は大喜びしていました。僕も大笑いしながら、城山三郎さんのことを思い出していました。
 ――いや、やっぱり、墓にも仏壇にもいないんだよ、と城山さんは笑いながらも、そう答えた気がしたのです。
 城山さんは、容子夫人を喪くした時、「通夜も告別式もしない、したとしても出ない、出たとしても喪服は着ない。お墓は決めても、墓参りはしない」とお嬢さんに宣言したそうです。「二〇〇〇年二月二十四日、母が桜を待たずに逝ってから、父は半身を削がれたまま生きていた」「駄々児のように、現実の母の死は拒絶し続けた。仏壇にも墓にも母はいない。父の心の中だけに存在していた。他人の知らぬ、踏み入れられぬ形で」(井上紀子「父が遺してくれたもの」――城山三郎『そうか、もう君はいないのか』所収)。
 そんな悲しみの中、城山さんは一睡もできぬ夜を重ね、喉を通らぬ食事に替って赤ワインを頼りにしながら、『指揮官たちの特攻』の執筆を開始します。何年もの間、執筆を計画していた、特攻隊がテーマの長篇小説です。海軍に志願入隊し、あわや特攻隊員になりかけた経験を持つ城山さんが、自身の世代の戦争体験を描く予定でした。
 そのころ僕は駆け出しの編集者で、「少年航空兵を題材に城山先生が連載を始めるから」と言われ、担当になりました。原稿はどんどん出来てくる、ところが少年兵はほとんど出てこない。タイトルにあるように指揮官たち――特に特攻第一号となった関行男大尉と、玉音放送後に飛び立った最後の特攻隊中津留達雄大尉という対照的な二人をメインに据えた物語でした(上の書影の左の人物が関、右が中津留)。特攻隊員の憤怒のような悲しみや、城山さん自身の軍隊生活も語られ、特攻という作戦の醜悪、軍隊という組織の不条理が描き尽くされ、僕は息を呑む思いで原稿を読み続けました。なかんずく最終章、いつまでも帰って来ない息子を諦めきれぬ親たちの肖像は胸をうちます。
『指揮官たちの特攻』が単行本になった時、ふと思い出して、「執筆前のお話とちがいましたね」と訊ねると、城山さんは「家内が死んだからね」と不思議な一言。何か説明しないと目の前の莫迦な若者には通じないと思われたか、言葉を継いで、
「特攻隊員たちは確かに辛い死を選んだかもしれない。でも、遺された家族の方が辛かったんじゃないか、って思うようになってね。予科練なんかの少年兵はまだ花も蕾のまま死ぬけど、関や中津留は、結婚したり子どもを持ったり、短い時間だったけれど、幸せを味わってから死ぬ。彼らも無念だったろうけど、一緒に幸せを味わった妻や親たちの悲しみは、戦争が終った後も、ずっと、ずっと続いたんじゃないかなあ。幸せな時間は花びらのように散っておしまいだけど、枯枝だけが残るというかね。遺族にとって、戦後はひたすら虚しい、切ない、砂を噛むような時間だったんじゃないか。幸せな記憶を持って先に死ぬのと、後に遺されて生き続けるのと、これ、どっちが辛いんだろう?」最後ははにかむように、「そんなことを考え始めたのは、まあ、家内が亡くなってからだよね。この小説がこの形で書けたのは彼女のおかげだなあ」
 いくら莫迦でも粛然たる思いになる僕に、城山さんは、「これが僕の最後の小説になってもいい、と思ってます。戦争をきちんと書けたしね、自分の仕事はもう終ったと思ってる」
「いやあ、まだ七十を過ぎたばかりじゃないですか」
「うーん、まあ、家内のことは書くかもしれないけど」
 そんな会話をしてから六年、城山さんは、一篇の小説を発表することもなく、容子夫人との出会いから別れまでを描く『そうか、もう君はいないのか』をゆっくり書き継ぎながら、昨年春に亡くなりました。その原稿は、遺された者の悲しみや虚しさよりも、「これを書いている限りは君と再会できるのだ」という幸せに充ち、文章は若さと華やぎと柔らかさを湛えています。幸せな時間は、書くことでとり戻した、と言わんばかりに。
毎日が日曜日』以来、『粗にして野だが卑ではない』『部長の大晩年』など、〈サラリーマンの定年後の人生〉〈事業をなし遂げた後の第二の人生〉といった「余生」をテーマに年来書かれてきた城山さんが、「自分の余生は、これを書くことに捧げることができた」と満足気に呟いているような遺作『そうか、もう君はいないのか』について、僕はまだうまく感想が言えずにいます。まるで、作家が、彼が描いた主人公のような人生をみごとに生ききって、彼の死がそのまま彼が抱えてきた文学的テーマをきれいに完結させたような、すごい奇跡を目のあたりにしているみたいで、なんだか落ちつかないのです。 

「yom yom」編集部(K瀬)

2008年03月17日
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