既に新聞や雑誌で話題ですが、小林多喜二『
蟹工船』が爆発的に売れていて、この半年だけでも30万部以上重版しました。蟹を捕り缶詰に加工する船で働く労働者たちの、まるで奴隷のように扱われ使い捨てにされる日常――暴力や虐待、過労や病気で次々と倒れていきます――が、現代のワーキングプア問題と重なり、特に若い世代から支持を得ているようです。私も高校時代に新潮文庫版で読みましたが、「おい、地獄さ行ぐんだで!」の冒頭、団結しては潰され国にも見放される労働者たちの姿は、ぬくぬくと何の不自由もなく育った私には強烈過ぎたし、多喜二自身が警察の激しい拷問により29歳4ヶ月の若さで獄中死したことも、今の自分にはどうにも関係のない「過去の出来事」としか受け取れませんでした。
そんな多喜二が、一気に私の中に飛び込んできたのは、三浦綾子さんの『母』(角川文庫)を読んだ時でした。『母』は、多喜二の母――おセキさんに話を聞いた三浦さんが、おセキさんの一人称で多喜二のことを語っていきます。
決して裕福でない家に生まれた多喜二でしたが、自分の周囲にいるもっと貧しい人々たち――腐ったりんごさえ買えない人たちを何とか救いたいと願う優しい人間でした。「(貧乏な人たちを救うためには)どうしたらいいんだべ」という母の問いに、「貧乏人のいない世の中ばつくりたいと、心の底から思って、おれは小説を書いている」と答えます。自分が金持ちになってピカピカのりんごを買ってあげればいいのではない。社会の不条理な仕組みを変えなければ何の解決にもならない。優しさだけでない多喜二の強い想いが、幾度とない逮捕・拷問に挫けず、執筆を続けさせたのでしょう。ですが、母の許に戻ってきたのは首や手首には縛られたロープの跡が残り、指はぶらんとするほど折られ、足はぶすぶす千枚通しで刺されたのか二倍にも膨れ上がっていた多喜二の遺体でした。母が語るのは、作家小林多喜二の最期ではなく、愛しい息子の理不尽でむご過ぎる死なのです。「ほめられんでもいい。生きていてほしかった」。何年経っても拭えない、母親のやるせなさと哀しさがこの本からは滲み出てきます。
もう一冊。私の大好きな一冊は、1年にも及ぶインタビューをもとに書かれた沢木耕太郎さんの『
檀』です。妻ヨソ子が「語る」檀一雄という人間。愛人との生活を描いた『
火宅の人』にあるように、檀は妻子を放り出し愛人との欲情の日々に浸ります。檀の生前も、亡くなってからも、ヨソ子は『火宅の人』をずっと通読できずにいました。それが、沢木さんに檀のことを語るに至って初めて、一気に読み通すことができたのです。
「僕はヒーさんと事を起こしたからね」。檀がヨソ子に浮気を宣告した言葉です。ヨソ子の抑えきれない嫉妬とどうしようもない苦しみの日々はこの言葉から始まりました。その後の火宅の日々はぜひ読んで頂きたいのですが、「事を起こす」前に檀は手紙で妻に、〈僕は君と立った姿勢で接吻をする、そんな時間を持ちたい〉ということを切実に伝えています。子育てに追われ(しかも次男は障害を持っていました)、家事や金策に忙しかっただけでなく、そういう方面に不器用だったヨソ子は、自分にだけ向けた愛情や優しさをもっとはっきりと表現して欲しいとの檀の叫びに、うまく応えることができませんでした。その後悔から、「もういちど初めからやり直すことができれば、今度はもう少しうまくやれるのではないか」と、再び「檀の妻」になることを望んでいくのです。
語ることで浄化されていく「母」と「妻」。ある人の苦しみや悲しみを受けとめることに、三浦さんと沢木さんの作品には「書く行為」以上の何かがあるような気がします。
「yom yom」編集部(M・T)