ホーム > 雑誌 > yomyom > おススメの一冊 > 「無」をくれ、と彼は言った

yom yom ヨムヨム yom yom ヨムヨム
じっくりヨムヨム、ぱらぱらヨムヨム、晴れの日も雨の日も、楽しくヨムヨム

 >> What is「yom yom」?

最新号目次 yom yom便り おススメの一冊 yom yomの作家たち 壁紙プレゼント バックナンバー


yom yom ヨムヨム 23号 特別定価:780円(743円)

「無」をくれ、と彼は言った

書籍詳細を見る
 宮崎駿監督は、自らの映画作りに影響を受けた人として作家の堀田善衛さんの名前をしばしば挙げます。堀田さんの「方丈記私記」の映画化を長年熱望してもいます。また、堀田さんの遺著となったエッセイ集「空(くう)の空なればこそ」は、この現世に生きる覚悟を教えてくれる、「僕に向けて書いてくれた言葉だ」とまで、ある講演で語っていました(堀田善衛展でのその講演はポッドキャストで聴くことができます→鈴木敏夫のジブリ汗まみれ)。

「空の空なればこそ」という言葉は、むろん「旧約聖書」の「伝道の書」からインスパイアされたフレーズです。堀田さんによれば、この「伝道の書」は、「あらゆるキリスト教の教典のなかでも、特異かつ異常な思想を表明したもの」。ここには、人間の生きることの空しさ、虚無、いっそ東洋的無常感に近いようなニヒリズムが充満しているからでしょう。
「伝道者言(いわ)く空の空 空の空なる哉 都(すべ)て空なり」と始まり、「世は去り世は来る 地は永久(とこしなえ)に長存(たもつ)なり 日はまた昇り また入る かくしてその出し処に喘(あえ)ぎゆくなり…」と続きます。つまり、アーネスト・ヘミングウェイの長篇小説「日はまた昇る」のエピグラフであり、題名の由来となった箇所です。このすぐ後に、「日の下には新しき者あらざるなり」という有名な文句も出てきます。
 色川武大さんはこのあたりを、
「この世で何をしたって益になることなんかないさ。ただ時代が過ぎ去るだけでね。なんたって大地は何も変わりやしない。太陽も風も川の流れも、みんな同じで、人の口はそれらのことを言いつくすこともできないし、見飽きもしない、耳だって聞き飽きることもない。昔あったことはこれからも起きるだろう。要するにこの世は何も変わりやしないのさ」
 と訳しています(「私の旧約聖書」)。
 人の生はすべて「空であって、風を捕えるようなもの」だ、というこの徹底した虚無に、ヘミングウェイは取り憑かれていました。

 ヘミングウェイ版「伝道の書」とでも呼びたくなるのが、「清潔で、とても明るいところ」という短編小説です(高見浩訳『勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪―ヘミングウェイ全短編 2―』所収)。
 これは「カフェ小説の最高傑作」と言えるものなのですが、スペイン(ヘミングウェイが愛し、堀田善衛さんが長く暮らした国でもあります)のあるカフェに、呑んだくれの老人が座っている。孤独で、先週首を吊って自殺しようとしたばかりで、毎日深夜までカフェでブランディを呑み続けることだけが生きがいのような老人。深夜勤務のウェイターが二人いて、テラス席の老人を眺めながら、自殺未遂の原因について、「絶望したのさ」「どんなことで?」「理由もなしに」「どうしてわかるんだよ、理由がない、って?」「金はたんまり持ってなさるからさ」なんて会話をします。年かさのほうは老人に同情的ですが、若いウェイターは早く店を閉めたくて、老人を追い出してしまいます。
 中年(初老?)のウェイターは、若い同僚との別れ際に、こんなことを呟きます。
「おれが毎晩店を閉めるのをためらうのは、だれか、このカフェを必要とする人間がいるかもしれない、って気がするからなのさ(略)ここは清潔で、気持のいいカフェだ。照明もゆきとどいている」
 そして、ひとり深夜の街を歩きながら、彼は、自分があの老人と同類であることを明かすかのように、自問自答するのです。
「自分は何を恐れているのだろう? いや、不安とか恐怖が自分をむしばんでいるのではない。よく知っている、無(ナダ)、というやつなのだ、おれにとりついているのは。この世はすべて、無(ナダ)、であって、人間もまた、無(ナダ)、なんだ。(略)おれは気づいている、そう、すべては無(ナダ)、かつ無(ナダ)にして無(ナダ)、かつ無(ナダ)なのだと。無(ナダ)にましますわれらの無(ナダ)よ、(略)われらの無(ナダ)を無(ナダ)にさせたまえ。われらを無(ナダ)の中に無(ナダ)にすることなく、無(ナダ)より救いたまえ。かくして無(ナダ)。無に満てる無を祝福したまえ、無はなんじのものなればなり。彼は微笑して、ピカピカのエスプレッソ・マシーンのある酒場のカウンターの前に立った。/『何にします?』バーテンが訊いた。/『無(ナダ)』」
 この後、12行ほどで小説は終わりますが、ラストもばっちり決まっていて、さすが名品と呼ばれるにふさわしい出来栄え。

 ヘミングウェイの、戦争の傷跡としての虚無、あらわなマチョズモと背中合せに存在する朦々たる死への傾倒、行動することの寂しさ、否定形の抒情、などは長らく指摘されてきました。そしてたとえば、戦争のあとのニヒリズムや、行動する寂しさのようなものを、宮崎アニメのここかしこにも感じます(その性格がもっとも色濃く出ているのが、「紅の豚」ではないでしょうか)。
 やがてヘミングウェイはノーベル文学賞を受賞後、猟銃で自らの命を絶ってしまいます。「清潔で、とても明るいところ」のウェイターにならえば、「金はたんまり持ってなさるから、理由もなく絶望したのさ」ということになるのでしょう。
 しかし、廃墟のような心の持ち主である中年男や青年を描いた「清潔で、とても明るいところ」も「日はまた昇る」も、作者がどういう末路を辿ったかに関わりなく、いまもなおヴィヴィッドで、繊細で、パワーがあって、読者に強く訴えかけます。

 ところで、この人間をむしばむ虚無をどうやって、うっちゃればよいのか。どうすれば、生きていくことができるのか。堀田さんは「伝道の書」の次の一節を挙げています(口語訳聖書から引用します)。
「喜びをもってあなたのパンを食べ、楽しい心をもってあなたの酒を飲むがよい。(略)あなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮すがよい。これはあなたが世にあってうける分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである。すべてあなたの手のなしうる事は、力をつくしてなせ。あなたの行く陰府(よみ)には、わざも、計略も、知識も、知恵もないからである」
 堀田さんは、気持の落ち込んだときに、人生が空の空なればこそ、「こういうところを、仏教のお経をでも読むようにして読誦していると、口のなかまでが甘くなって来るように思う。元気も出て来るのであった」と書き、宮崎監督はこの言葉を「凄いニヒリズム」だと賛嘆しています。ニヒリズムを超えたニヒリズム、というところでしょうか。

「yom yom」編集部(K瀬)

2009年05月15日
Trackback


ページの先頭へ戻る