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yom yom ヨムヨム 23号 特別定価:780円(743円)

「物語」から遠く離れて

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 私事ですが、入社してまず週刊誌に配属されました。あれこれあった中で、一番記憶に鮮やかなのは95年1月17日に起きた阪神大震災の取材です。2ヶ月以上神戸に張り付いていました。
 地震が起きた2日後に現場に立ったのですが、まだ火災のイヤな匂いが立ちこめ、傾いたビルはいつ倒壊するかも知れず、電気も水道もガスもなく、ひとびとは戸惑い嘆き、地震という“事件”は、どこから手をつけていいのかわからないような状態でした。インターネットが爆発的に広がる直前の時期で、携帯電話だってそんなに一般的ではなく、NTTの前に何台もの無料電話が特設されていました。神戸の真ん中は情報の真空地帯でした。
 そんな時も週刊誌は(新聞もテレビ番組も)作られるわけで、現場のわれわれが編集部に上げる細ごまとした取材の報告と、新聞・テレビなどの報道を元に、次号の記事の骨子が決まっていきます。東京から「あれをもっと調べろ」「その取材はもう止めろ」「それは記事になる」と指示が来ます。目の前の大災害が手際よく、読者が求める/読者にわかりやすい/読者に伝えたい、「物語」にまとめられていきます。念を押すまでもなく、「物語」といっても嘘だのフィクションだのというわけではなくて、事実の報道です。巨大な現実を、細分化し、分節化していく手法のことです。別に間違ったことではありません。

 でも、だから、報道なんて信じられないんだよな、とエイジなら、うそぶきそうです。「物語」は、いつだって、大切なことを取りこぼしているじゃないか。彼は、重松清さんの長編小説『エイジ』の、14歳になる主人公。
『エイジ』は、大震災から2年後にやはり神戸で起きた児童連続殺傷事件、いわゆる「酒鬼薔薇事件」(犯人は14歳でした)の余波の中で書かれています。当時マスコミは大騒ぎで、あらゆるコメンテーターがそれぞれの解釈=物語を語り、「みんなが何かを言わなくてはいけない」という強迫観念を持っているように見えました。
 重松さんは、「14歳と通り魔」を扱った小説を書くにあたって、通り魔になる中学生を直接描くようなことはせず、ただ「物語」を信じない、キレることもない、感受性の豊かな少年を主人公に据え、特段仲がよいわけではない地味なクラスメイトが通り魔になる、という設定にしました。これは通り魔事件を特定の個人の魂の問題に帰せずに、もっと丁寧に、複雑に、親身に、一般化して考える、実に上品で大人びた小説家の態度です。

「べつにおかしいわけじゃないのに、なぜかテレビのニュースを観ると笑ってしまう」「ぼくはニュースや新聞記事に通り魔のことが出るたびに、嘘くさいなあと感じてしまう」
 と、事件の物語化を信じないエイジは、家族関係においても「物語」を避けて、
「いかにもホームドラマに出てくる中学生の息子が口にしそうな台詞で、だけどすねて黙りこくる息子もドラマでおなじみのような気がするし、といって『わーい、嬉しいなあ』なんてはしゃぐのはただのバカだし、とにかく居心地が悪くてしょうがない」「母は、おしゃべりだ。ホームドラマをなぞるみたいな一家団欒をお父さんもお母さんも無自覚にやってるわけじゃないから、これはクサいことなんだとちゃんとわかってるんだからね、とわざわざ口にする」

 こういう冷静さと優しさと、現実へのほのかな違和感を併せ持つエイジは、やがて感情的に危機に陥ります。通り魔事件の犯人がわかり、さまざまな報道も、教師をはじめとする皆の反応も、いろんなパターンをなぞった「物語」にしかすぎないように思えます。一方で、親友や女の子との仲もぎくしゃくしています。
 バスケットボール部を休部中だったエイジは先輩たちから因縁をつけられますが、そこで父親のことをエゲツなくからかわれても、「アツくは――ならない」。なぜなら、「父親の誇りのために闘う息子」なんて「物語」は恥ずかしいから。「キレなかった。えらいぞ――なんて、ぜったい言われたくない」。物語を恥ずかしがるのもまた物語だ、という自縄自縛。

 そして、世に氾濫する「物語」に反発するエイジは悩み、暴れ、自らを通り魔に重ね合わせる精神の地獄めぐりの果てに、自分だけの――他人とは共有することも、交換することもできない――物語をついに獲得していきます。「ぼくはあいつじゃないし、あいつはぼくじゃない」という認識にいたる道筋は感動的で、これこそ物語だ、と嘆息しそうです。
 物語を避け続け、すり抜け、逃げまくって、見事な物語に到達する奇跡の小説を読んでみてください。

「yom yom」編集部(K瀬)

2009年09月15日
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