先日井上陽水さんのコンサートに行ってきました。幻想世界に誘うかのようなセクシーな音の響きから一転、鋭くギターをかき鳴らし叫ぶように歌う。実に感動的な2時間でしたが、往年の名曲「心もよう」は特に印象に残っています。というのも、歌い終えた後それまで以上に沸き起こった拍手に、彼は短い口笛でだけ応えたのです。言葉は何も発さずに次の曲に移った姿からにじみ出た、どうしようもない照れくささが、私にはたまらなく格好良く見えました。この歌の前、今年亡くなった忌野清志郎さんとの共作「帰れない二人」も披露されました。が、ここには若い頃の曲を歌うことへの照れはなく、まるで清志郎さんに語りかけるようにしっとりと歌うのでした。
清志郎さんの突然の訃報は多くの方に衝撃を与えましたが、他にも作家の庄野潤三さん、俳優の森繁久彌さん、画家の平山郁夫さんなど今年も多くの方が亡くなられました。
yom yom vol.8にご登場下さった、動物行動学者で作家の日高敏隆さんもそのうちのお一人です。
その著作から窺うに、日高さんは、とにかく“自分の目線で考える”方です。見たものや感じたことが「不思議」だと思ったならばまず考えて、なんとか答えを見つけようとまた考える。周りの世界をぐるり見渡し考えることは、日高さんの人生そのものと言ってもいいでしょう。
『
春の数えかた』の冒頭、日高少年は「新春」について考えています。「こんなに寒いのに何が春なんだ?」うそばっかり!と憤って、「現実の春」を見つけに出かけるのです。寒さに震えながら、動植物の小さな春を探し歩くのですが、キノコの表面についた粉をヒントにキノコムシと呼ばれる小さな甲虫を見つける様子には、日本における動物行動学の草分けとなる、のちの姿を垣間見ることができます。
この本は、1995年の4月から6年間、滋賀県立大学の学長として過ごされた彦根での前半期にお書きになられたものですが、幼少期の疑問に始まり、日々の観察からの推考はもちろん、モンゴルやヴァヌアツ共和国への旅行から環境問題まで、日高さんが日々考えられた様々なことが語られます(スリッパやシャワーにおける文化論まで書かれているところがまたスゴイ)。平易で分かりやすい文章はもちろん、“クジャクのオスの尾羽とコム・デ・ギャルソンの関係”といった愉快な例えも持ち出されているので、専門知識がなくても充分理解することができるのです。
さて下の問いを上手く説明することができますか?
――カモメたちはどうやってねぐらに帰る時間を知るのだろう
――セミはどうしてあれ程大きく響かせて鳴けるのか
――植物はどうやって季節を知るのだろう
日高さんご自身が疑問に感じ、ひたすら観察して考えられたことですが、詳しくはぜひ読んでみてください。世界を見つめる目線の鋭さ、そして愛情に満ちた優しさをきっと感じて頂けると思います。
そして、もうひとつ。
――人間は自然と共生できるのだろうか
この問いにも様々な角度から考えをめぐらされていますが、文章にいつもの穏やかさは消え、緊張感が漂います。突然に現れるこの文体の変化は、きっと日高さんの作戦なのでしょう。動植物を知ることはつまり、自分たち“ヒト”を考えることでもあり、知らないままに「共生」などというきれいな言葉を使うことへの、強烈な批判にも思えます。
「yom yom」編集部(M・T)