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yom yom ヨムヨム 23号 特別定価:780円(743円)

おれは、わたしだ。

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 川本三郎さんは、自らの文章上の禁止事項として、主語を「僕」にしない、と決めているのだそうです。文章が軽くなるし、甘えた感じにもなるから、と。だから一人称は「私」で書いてきたけれど、「私」も鬱陶しくなってきた、もう主語など要らないのではないかと思うようになった、とあるエッセイで書いています。日本語の文章論としては、重要で、なかなか面白い点です。
 小説であれエッセイであれ、作家が一人称で書く場合、「私」「わたし」「僕」「おれ」……日本語にあまたある一人称のうちから何を選択するかは、作家の自意識の反映であり、文体の一部であり、内容の幅や方向性をも規定します。
 おまけに日本語は、川本さんも指摘するように、主語がなくても成立するため、さらに選択肢は広がって、ヤヤコシイ。

 その川本さんが「yom yom vol.14」で「こういう文章はおそらく『オレ』を主語にするからこそ書けるのだろう。いつも『私』を主語にする人間としては羨しい」と絶賛したのは、荒木経惟さんの亡き妻を偲ぶエッセイでした。アラーキーらしい、こんな感じの名文です。荒木さんが病床の妻に「エッチしたいか」と訊くと、「うん、したい」といわれ、「キン玉」を触らせたところ――
「そうかって、オレのを触らせた。そうしたら、『おじさんの大きいですね』っていったんだ」「なんだかしんみりとして、オレが涙ぐんじゃうと、『風にふかれてブーラブラ』と笑わせてくれた」(「『ありがとう』といって死んだヨーコ」)
「オレ」でしか書けない、適度な湿り気がありつつも速度があってベタつかぬ抒情、ユーモアを含んだ哀歓、品を落とさない軽み。どの一人称で書くかが内容にどう反映するか、みごとな実例です。
 
 ここで、文芸雑誌「群像」をパラパラ捲っていたら面白いコラムがあったので、余談(余談の余談をすると、コラムが面白い文芸雑誌が少ないのは残念です。大家のライフワークも新鋭の受賞第一作もいいけれど、せっかく「雑誌」なのになあ)。
「私のベスト3」というコラムで、デザイナーの名久井直子さんが「あこがれの一人称」を挙げていました。名久井さんがなかなか使いこなせない、うらやましい一人称たちベスト3、です。
 第3位が「小生」(例えば東雅夫さんのような)。第2位が「うち」(例えば『うる星やつら』のラムちゃんのような)。第1位が「ヤツガレ」(例えばイラストレーター原田治さんのweb日記のような)。さらに「ミー」(『おそ松くん』のイヤミ)、「拙者」(『忍者ハットリくん』)、「オラ」(『ドラゴンボール』の孫悟空)、「ワガハイ」(『キテレツ大百科』のコロ助)なども挙げられています。
 こんなに豊富で多種多様な一人称にオソレをなして、今回のこの「おススメの一冊」は主語なしで書いてます。

 今こうして書いているような短い駄文ならともかく、長編小説でも、あきらかに一人称で語られているのに、「私」や「僕」を明示しないものがあります。日本語ってすごい。自伝的小説なのに「私」という単語抜きで「私」を描いたと喧伝された開高健『耳の物語』は有名ですし、冒頭から一回も姿を現さずに、最後の最後の一行でとうとう一人称の主語が登場して、絶大な効果をもたらす帚木蓬生『逃亡』や長部日出雄『映画監督』(新潮社、品切れ)もあります。『逃亡』も『映画監督』も、主人公が不条理なまでの状況下で追い詰められては逃げまくるある種の冒険譚なのですが、なぜ最後まで主語がないのか、そしてなぜ最後に主語が現れるのか、主語なしでどんな文章を書いたのか、それが小説にとってどんな意味を持つのか、どうしてこんなに感動的なのか、そこを考えさせられるのが実に面白くて愉しくなります。

 さらに大技は、途中で一人称が変わってしまう長編小説があって、筒井康隆さんの『旅のラゴス』。これは、上橋菜穂子さんの「守り人」シリーズや、「ロード・オブ・ザ・リング」が好きなひとへ薦めるのに格好の傑作ファンタジー。

 とある世界で、青年が南を目指して旅をして行く。さまざまな人物に出会い、いろんな事件と遭遇する中で、成熟し成長し、目的の土地に着き、その国の王にまでなり、二人の王妃と子供たちを得たものの、中年になると北の故国へと帰り、仕事を為しとげ、やがて年老いてきて……。何巻もかけて書いてもおかしくない年代記を、筒井さんは文庫本で250ページにも満たぬ短さで、存分に書ききっています。それも作家的実験でしたでしょう。
 そして、もう一つの実験。これは知的で、冒険心の強い青年の成長物語でもあるのですが、主人公が中年になり、さらには年老いて死を間近にするまでを描くのですから、ひとつの一人称で押し通すよりも成熟や年齢に応じて使い分けたほうが説得力を持つだろう。そんな鮮やかで、華やかな手法を筒井さんは取っています。最初に読んだ時、この手練れの物語作者にうまく乗せられて、どこで主語が変わったかまるで気がつかず、途中で「ああっ!」と飛び上がりました。
 
「……タッシオが暗記に疲れると彼を休ませ、おれは小説を読んだ。文学は時代を追って進歩し、人間性を主張しはじめていた。描写は洗練され、技巧は爛熟の域に達しはじめていた。
 一年後、ニキタが妊娠した。カカラニが嫉妬したり苛立ったりするのをおそれて、おれはしばらくの間カカラニの寝室へ三日にあげず通い続けた。その甲斐があってカカラニも妊娠した。
 大がかりな侵略がそのころ、一度だけあった。大陸西方にわが王国を真似たものが、ならず者たちによって作られ、山賊まがいの行為で周囲の村を荒らしまわり、その勢いで王国にまで押し寄せて来たのだった。だが王国にはカカラニが存在したし、近代的火器が揃っていたし、兵士たちは森での戦いを得意とした。四日にわたる戦いで王国軍の三倍近い敵軍勢は半数ほどがコーヒーの肥料となり、敗退した。森の木立の間を宙に浮游してあちこちに出現し、全軍を指揮するカカラニの姿は敵兵をふるえあがらせたという。
 ニキタとカカラニは前後してどちらも男の子を生み、国内はまたしてもお祭り騒ぎとなったが、わたしは祝典への出席をご免蒙った。タッシオと二人で電気の実験に夢中だったのだ……」

 あなたは、どんな一人称を使っていますか? どんな一人称が好きですか?

「yom yom」編集部(K瀬)

2010年03月15日
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