ようやく春らしい気候になりました。4月から新生活をスタートさせた方々も少し慣れて、ひと息ついている頃でしょうか。かくいう私もそのうちの一人です。今月から、「yom yom」編集部に異動してまいりました。よろしくお願い申し上げます。
「先輩」として新入社員を迎えるのももう3回目。ついこの間入社したような気でいたのに……。なんだか、遠い目になってしまいます。
新人の頃は、次々に押し寄せる「初体験」に、感動したり悩んだり、とにかく目まぐるしい一年でした。いちばんの感激はやはり、紙の上でしか知らなかった作家や評論家の方々にお会いできること。でも、大好きな作家に会うことが叶わない――、そのことを心底残念に思ったのも、新入社員時代でした。
入社して約半年、在籍していた「小説新潮」で星新一さんの特集を組むことになりました。1997年にお亡くなりになって、ちょうど10年が経っていました。その年の春、最相葉月さんが星さんの評伝『
星新一 一〇〇一話をつくった人』を上梓されました。特集の準備と個人的な興味とでこの評伝を読み進めるうち、星さんの作品を初めて読んだときの驚きに満ちた興奮が甦ってきました。
星作品との出会いは小学校の高学年のときでした。母に「星新一さんは面白いよ。『
ボッコちゃん』を読んでみたら?」と勧められて、新潮文庫の黄緑色の背表紙の『ボッコちゃん』を手に取りました。50編のショートショートが収められた、星さんの代表作です。
いちばん最初の「悪魔」を読み始めて、すぐに夢中になりました。過不足のないすっきりとした文章、アイデアの奇抜さ、皮肉な結末。次は、次は?と時間を忘れて読み耽りました。今でも鮮明に覚えているのが、「親善キッス」という一編。地球からある惑星に降り立った使節団が、親愛の証としてキスをしよう、と思い立ちます。団長がその惑星の美人にキスすると、彼女は戸惑いを示したものの、すぐに慣れ、あたりはキスの嵐に。ところが……。結末が気になった方は、ぜひ読んでみて下さい。そしてできれば、結末を知ったあとに、もう一度読み返していただきたいのです。巧みに張られた伏線に、唸ってしまうこと間違いなしです。『ボッコちゃん』を読み終えた私は、その後も星さんの本を次々と読んでいきました。黄緑色の背表紙はどんどん増えて、自室の本棚でいちばん目立つようになりました。
ですが最相さんの評伝には、小学生の私が想像もしなかった、星さんの意外な一面も深く刻まれています。質の高い作品を量産し続けながらも、文学賞に恵まれなかったことへの屈託。作品が長く読まれ続けるために、単語ひとつにも気を配り、改訂を繰り返した執念。「ショートショート1001編」の偉業を達成した後も、星さんは出版界のパーティに頻繁に出席し、ひとりぽつんと立っていたといいます。流行作家は編集者に取り囲まれるけれど、往時の勢いを失った星さんには、旧知の作家や編集者がちらりと話しかけるだけだったそうです。
それを知って、一度でいいから星さんに会って、お礼を言いたかったな、と思いました。星さんの作品で小説の楽しみを知ったことや、まだ読んでいない「黄緑色の背表紙」を書店で見つけるとわくわくして、お財布を覗き込んで小銭を数えたことは、今の私の大事な一部になっています。私のような読者は大勢いることでしょうし、そんな告白をされても星さんは困惑するだけかもしれません。それでも好きな作家に好きだと言える機会がもう決して訪れないという事実が、残念で仕方ありませんでした。
4月29日から6月27日まで、世田谷文学館で「星新一展」が開催されます。小さな文字でアイデアを記した構想メモや、「ボッコちゃん」の下書きなど、貴重な資料が展示されるとともに、作家・新井素子さん、共に仕事をした編集者・加藤和代さん、最相葉月さんの座談会などのイベントも予定されています。在りし日の星さんの姿を想像しつつ、楽しみたいと思っています。
「yom yom」編集部(H・M)